INTERPRETATION

第546回 やめる勇気

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ライフステージや自分の好みなど、人にはそれぞれ状況があります。よって、学習法にもテキストにも絶対的正解はないのですよね。ついつい口コミやオススメなどで導入したくなりますが、それが自分に合っていれば万々歳。そうでなかったとしても、あまり気に病むことは無いように思います。

私もテキストに関してはずいぶん寄り道してきました。英検合格を目指していたころは、単語集を購入するも、開始から数ページで挫折。テキスト代がもったいないなあと思いつつ、どうしても食指が動かずでした。ラジオやテレビ講座で英語を学んだこともありましたが、継続したものもあればフェードアウトしたものあり。自分との相性ということなのです。

勉強法だけでなく、仕事であれ、人間関係であれ、人は「考えながら生き続ける」以上、変化していくのだと思います。それまで合っていた方法が突如合わなくなることもあります。仕事であれば、入社当初はとてもやりがいを感じていたのに、何だかしっくりこなくなってしまう。仕事の醍醐味を見出せなくなることもあるでしょう。人付き合いでも「あんなに仲が良かったのに、なんか最近そりが合わない」というケースもありえます。

要は自分も変わる、相手も変わる、置かれている境遇も変わるのです。すべてが固定していれば、そうした齟齬を感じることはないでしょう。でも、人は物事を考え、それに合わせて自分も変わり、変化していくのです。変わりゆく自分を否定するのではなく、それと共存することが大事だと最近私は思います。

先日読んだプロトレイルランナー・鏑木毅さんの文章に、興味深い箇所がありました(日本経済新聞2022年6月24日金曜日夕刊)。鏑木さんは故障を押してレースに出場し続けてしまった結果、本来の走りができなくなり、苦悩が続いたのだそうです。なぜ中断しなかったか。それは「自分の体でありながら、さまざまな期待を背負った身、自分の考えだけで周囲に大きな迷惑をかけてはまずいという気持ちが強く働いた」からだそうです。

いったん着手した学習法をやめることに負い目を感じたり、にっちもさっちもいかないような人間関係から抜け出ることができなかったりするなど、人は生きていると色々な状況に直面します。その根底にあるのが、鏑木さんの言う「自分の体でありながら、さまざまな期待」を自分で自分に課しすぎるからだと思うのです。

特に人間関係の場合、自分の中では「もうこの関係を続けるのは不可能」との結論が出ていても、周囲が良かれとの思いで仲介しようとしてくることがあります。そうされると余計自分自身も「あの人がここまで一肌脱ごうとしてくれるのだから、やはり私が意地を張り過ぎているのだろうか」と心が揺れ動きます。「自分が我慢すれば、うまく行くのではないか?」と思い悩み、「我慢した自分」への将来的評価がちらつき、余計惑わされます。

けれども、心の中で「次を目指そう」と思っているならば、それが自分にとっての正解だと私は思うのです。「このテキスト、つまらないなあ」と不満を抱きながら学習したとて、身に付くことはあまりないでしょう。人生もそれと同じ。自分にとってのベストな正解を実施するのであれば、やめる勇気も必要だと私は考えています。

(2022年7月5日)

【今週の一冊】

「開局70周年記念TBSラジオ公式読本」武田砂鉄責任編集、リトルモア発行、2021年

これまで私はニュースを主にNHKラジオから得ていました。公共放送という安心感がありましたし、公正中立というイメージがあったからです。一方、民放ラジオに対するイメージは「広告がやたらと多い」「何となく騒がしい」というもの。タクシーに乗車した際にもドライバーさんが民放をつけていると「うーん、少し静かに過ごしたいのだけどなあ」と思ったほどです。

しかし、信頼している友人が「毎朝TBSラジオを聴きながら通勤している」と言ったのを機に、私も聴き始めました。具体的には「森本毅郎 スタンバイ!」という朝の情報番組。そして今や大ファンになっています。森本さんは元NHKアナウンサーですが、この番組は開始からすでに30年経過。「聴く朝刊」と銘打っているだけあり、実にわかりやすい。しかも日替わりのコメンテーターと共に様々なニュースを取り上げ、わかりやすい解説がなされているのです。森本氏はCNNやBBCなどもくまなくチェックされているとのことで、海外ニュースが豊富なのも私にとってはありがたいです。

今回ご紹介する本は、TBSラジオ開局70周年を祝う一冊。森本さんを始め、生島ヒロシさんやジェーン・スーさんなど、TBSの看板番組を担当される皆さんのインタビューが出ています。番組作成の裏話を始め、ラジオというメディアに対するそれぞれの熱い思いがこの一冊からわかります。

ネットも便利な昨今ですが、やはりラジオにはラジオの魅力が。それがぎっしり詰まった一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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