INTERPRETATION

第599回 新作落語リクエスト

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

コロナが蔓延し始めたのを機にはまったのが「落語」。今となってはピンポイントの「きっかけ」は思い出せないのですが、おそらくステイホームや様々な社会的制約で気がめいっていたのでしょう。何かパーッと笑えるようなことを求めていたのだと思います。そうした中、友人が独演会に誘ってくれて「ライブ」の高座に魅了され、以来、日本テレビの「笑点」を欠かさず観るようになりました。目下のお気に入りは春風亭昇太師匠。この3年間で独演会や二人会、寄席など随分足を運びました。

何度も出かけていると、マクラの部分がリピートということもあります。でも、昇太師匠が語ると、何回聞いても楽しいのです。聴きながら「あ、次に例の話が出てくるな」とわかってはいる。それでもまた笑ってしまうのです。これぞ昇太師匠の力量と言えるでしょう。

師匠の話で印象的だったものがあります。それは落語と講談の違い。講談はいにしえの偉人の話を聞かせるものです。しかし、落語はその逆。ちょっと抜けている人や失敗ばかりしている人が出てきます。功績を打ち立てたり品行方正だったりする人の話をしても「つまんないでしょ?」(昇太師匠談)というわけです。

その話を聞いてふと思ったのが、最近のSNS。「リア充」などという言葉がありますよね。誰かの幸せな様子に対してたとえ内心「いいなあ。羨ましいなあ。それに比べて私は・・・」などという感情に襲われても、そういうリアクションは憚られます。なので「正しい反応」をせざるを得ない。でも心の中はどんどん落ち込んでしまうとすれば、便利なはずのSNSは「自分いじめの道具」と化してしまいます。なかなか厄介です。

さて、通訳の仕事をしていると、どうも周囲が一定の「通訳者像」を抱いてこちらを見ているような印象を受けます。「勉強大好き」「何事に対してもきちんとしている」「失敗しない」と思われているようです。通訳者も人間なのに、どうも「カッチリ印象」を抱かれてしまうのです。感覚としては「絶対にミスしない音楽家」といったところでしょうか。

とは言え、通訳者だってミスはします。私の場合、「誤訳・勘違い」は序の口。大事なのは、どのようにして「誤訳」を致命的ミスにしないか、です。決定的な誤訳というリスクを冒すぐらいなら、そこそこの曖昧な訳語選びで切り抜けます。勘違いで訳した際も、出来るだけ早いうちに修正するのが大切です。

失敗談としては、他にも空腹でお腹が爆音を立ててしまったり、咳き込みそうになったり、ちゃんと本番前にお手洗いに行ったのにまた心配になったり、ということも。頼みの綱のPCがフリーズしたり、持参したノートがよりによって超かわいいキャラクターの表紙だったりなどなど、枚挙にいとまがありません。

でも、一番の失敗は何と言っても「マイクのスイッチ忘れ」。パートナー通訳者から交代して「さあ、バリバリ訳していこう!!」とスポ根マンガのごとく気合を入れて同通開始。すると傍にいた技術担当者さんが慌てて背後からヌッと手を伸ばしてマイクON。ああ、スイッチを入れ忘れていたのでした。

かと思うと、今度はOFFにするのを失念して、他の通訳者とたわいのないおしゃべりを大展開するや、またまた担当者さんが慌ててオフにしたことも。実はON忘れよりもOFF忘れの方が私にとってはダメージ大。何しろ、それまでカッコよく(?)訳していたつもりの自分がいます。なのにお喋り口調をしたわけですので、「え?私スイッチ切ってなかった?今、私、タメ口だったよね?変なこと言ってないよね?」と、限りなく動揺してしまいます。困ったものです。

あ、でも名案が!落語好きで脚本を書ける人とお友達になって、この顛末を新作落語にしてもらえばいいのかも!入選して噺家さんが語って下されば、通訳という仕事の認知度も高まるはず。

・・・などと空想してしまいます。

(2023年8月22日)

【今週の一冊】

「落語の凄さ」橘蓮二著、PHP新書、2022年
今回ご紹介するのは、噺家さんを主に写しておられる写真家・橘蓮二さんの著作です。登場するのは5人の落語家さんたち。いずれも現在、大活躍されている噺家さんばかりです。インタビュー形式となっています。

印象的だったのは、上記でもご紹介した春風亭昇太師匠。落語を聴いて笑うことは「脳をほぐすこと」と唱えています。筋肉を使ったらほぐさねばいけないのと同様、最近の私たちは色々なことを考えすぎているからこそ、脳をリラックスして笑ってほぐすことが大事、というわけです。なるほどと思いました。

一方、桂宮治師匠の「人の気持ちなんて、本当のところはわからない」というのも納得できます。自分の気持ちすら揺れ動くのですから、ましてや他者が何を考えているかは、たとえことばを尽くしてお互いに説明し合ったとしても、最終的にはわからないのかもしれません。私はこの文章を読んで、わかり合えないことに悲嘆しなくても良いと、ある意味、達観できました!

鶴瓶師匠の人生観は「楽しい自分の時間をつくること」。悩むより人生楽しめ、ということなのでしょう。考えすぎず、まずは「おもしろいこと」を探していきたいと思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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