INTERPRETATION

第203回 車内スクリーンから得たきっかけ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

最近の電車は新型車両が随時導入されています。私が日ごろ使う路線も同様で、ドアの上にはトレインチャンネル(画面)が設置されています。ニュースやCM、雑学クイズやグルメ情報、天気予報など見ていて飽きません。いつも興味深く眺めています。

もう一つ、車内で重宝するのは運行情報です。私は車内であえてメールもネットもしませんので、こうした情報は貴重です。

先日のこと。新幹線遅延の情報が日本語と英語で表示されていました。遅れの理由として英語でblackoutと出ていました。「停電」のことですよね。

そこで「あれ?停電ってpower failureじゃなかったっけ?」と思ったのです。私の中ではpower failureが正解と思えたのですが、目の前にblackoutと書かれてしまうと、自分の記憶が頼りなく思えてきます。その場で私はメモ用紙に「blackout? power failure?」と殴り書きして「宿題」として持ち帰りました。

こういう時にスマホや電子辞書があればすぐに答えは出ますよね。でも、あえて即座に調べず自分の中で「熟成」させるのも一つの学び方と私は思っています。その日は一日中「うーん、どっちだろう?」と家に帰るまであれこれ考えていましたので、「停電」一語で思考を充実させることができました。

帰宅して真っ先にやったのは辞書引き。ハイ、いつも通り紙版のジーニアス英和辞典です。まずはblackoutを引きました。やはり「停電」と出ていますが、その隣にカッコでpower cutとありました。次にpowerを引くと、関連表現の下の方にpower cutと出ています。でもよく見ると「(英)」とありますので、power cutはイギリス英語であることが分かります。

なぜアメリカ英語を優先して掲載する日本の英和辞典が、blackoutの類語としてpower cutというイギリス英語を紹介しているのかもビミョーに気になります。まあそれはそれとして、電車内でメモをしておいたpower failureを次に引いてみました。ここまで自分を引っ張ってくると、power failureという基礎単語が「実は自分の思い込みで造語だったのでは?」とさえ思えてきます。ですので「辞書に出ていなかったらどうしよう?」とドキドキです。

・・・で、実際は?

ありました!やはりこちらも「停電」と出ています。ようやくほっとしました。

ところで英単語にはpassive vocabularyとactive vocabularyという用語があります。passive vocabularyは「見たことも聞いたこともあるし知っている。でも使いこなせるまでには至っていない」という言葉をさします。一方active の方は「意味も知っているし使いこなせる」という状況です。

今回私が不安に感じたpower failureは、passive vocabularyの状態だったのですね。そもそも停電など最近は頻繁にありませんので、毎日毎日「停電」”power failure”などと口にする機会もないわけです。

けれども通訳という仕事では、passiveとactiveの状態の差を限りなく縮める必要があります。私もまだまだ勉強途上です。今回は車内スクリーンの運行情報をきっかけに、自らの仕事へのあり方を改めて感じたのでした。

(2015年3月9日)

【今週の一冊】

「ほんとうの贅沢」吉沢久子著、あさ出版、2015年

先日のニュースに驚いた。池袋の大型書店・リブロが閉店するというのだ。個人経営の書店が街から姿を消すというのはこれまでも見られてきたが、まさかリブロほどの大きな本屋さんがなくなるというのは想定外だった。理由はいろいろあるのだろう。でも実店舗の良さは、ふらりと立ち寄った際に思いがけない本と出会えることなのだ。その機会がまた一つなくなるのは残念だ。

今回ご紹介するのは「偶然見つけた一冊」である。たまたま遠方に出かけたとき、電車の出発まで時間があった。そこで近くの書店を覗いてみたのだ。都内の書店とは異なり、そのお店にはオーナーさんのこだわりが反映されていた。文具売り場も併設していたのだが、レイアウトもそのお店のカラーが出ていたのである。そうした「出会い」はリアル店舗ならではだ。

著者の吉沢久子氏は齢97歳。様々な場面で活躍なさっているが、実は私にとって吉沢氏の著作を読むのは今回が初めてだった。吉沢氏はご主人を亡くされた後も日常生活をいつくしみながら一人暮らしを続けていらっしゃる。本書には幸せに生きるためのヒントが満載だ。

自分の頭で考えて行動に移すことの大切さや、できない自分を認める勇気、物事への潔さなど、本書を通じて私はたくさんのことを考えさせられた。中でも「不安の先取りはしない」という一言は、忙しい時代を生きる私たち全員が心の中に大切にしておきたいと感じた。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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