INTERPRETATION

第326回 なかったことに?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

デジタル時代全盛期の今でも、私は紙新聞が好きで日経新聞を自宅購読しています。たいていポストに入るのは午前4時過ぎ。早朝シフト勤務の日、私は3時半に起床しますので、身支度をしていると玄関から「ストン」という音が聞こえてきます。半径数メートル以内で目を覚ましているのは、私と配達員さんだけなのではと思うと、朝の静寂さがより感じられます。

ところが先日のこと。なぜか4時半を回っても新聞が入っていませんでした。大きな事件が発生した際、新聞印刷が追い付かないときは配達も遅れるのですが、ラジオニュースを聞く限り、至って平穏な感じです。「今日だけ遅いのかしら?」と思ったものの、その後数日、遅い配達が続きました。ルートが変わったのか、何かしら事情があったのでしょう。

そう思いながら過ごしていたところ、なんと先日は日経新聞ではなく、別の新聞が入っていました。販売所に電話をしたところ、こちらが申し訳なく思うぐらい店長さんは謝罪なさっていました。ついでに配達時間について少し尋ねたところ、勤めていたスタッフさんが退職され、少ない人数で回しているとのこと。新聞配達の仕事は本当に大変です。店長さんにとって少しでも状況が好転されればと思います。

さて、件の誤配ですが、その別の新聞には広告が挟まっていました。日経新聞にはチラシが一切入らないので、分厚い広告を手に取るのは久しぶりです。近所のスーパーや大手通販、不動産広告(←実は眺めるのがとても好きです)などのチラシが入っているはずですので、久しぶりに一枚一枚めくってじっくり見たいなあと思いました。

「でも・・・」と思い直したのは次の瞬間でした。その日、私は大きな仕事を夕方から控えていたのです。まだ準備は終わっておらず、家族を送り出した朝食後に急ピッチで予習をしようと思っていたのでした。「さあ、勉強しよう!」と思っていた矢先に、新聞チラシの存在を発見したのです。一方、心の中からは「せっかく届いたチラシなのだし、ちょっとの時間で済むのだもの。見ても罪にはならないのでは?」という思いも浮上しています。チラシの束を前にして「うーん、どうしようかなあ」としばし悩みました。買い物時で悩むならともかく、対峙するは「チラシ」です。真剣に悩んでしまうこと自体、振り返ってみると自分でもおかしくなります。けれどもその時はかなり本気でした。

そして結局、私が出した結論は「見ないでそのまま古紙回収袋へ処分する」というものでした。普段はチラシのない生活をしているのです。もともと「無い」状態で暮らしているのですから、件の束も「我が家に来なかったこと」にすれば良いのです。なまじ来てしまったがゆえに悩んだのであり、もともと手元に届かなかったと思えば、失うものは何もありません。

そのようなことを考えていてふと思い出したのは、とある栄養補助食品の広告でした。電車内で見かけたのですが、確かキャッチコピーが「食べなかったことにする」という文句です。過食してしまっても、そのサプリメントを飲めば脂肪分解が促されるという商品だったと記憶しています。

今回私は自分の仕事準備時間を確保するために、見なくても済むチラシの誘惑に踊らされずに何とか済みました。「なかったこと」にすれば、悔いも少ないものです。そう考えると、モノも情報も、このようにして思い切って選別できるのではないかと感じます。なまじ大量の情報が手に入る時代だからこそ、迷ってしまうからです。たとえばどのレストランへ行こうか考えたとき、口コミサイトを眺め始めて、結局決めあぐねてしまうということが私にはありますし、書籍を買う際にも、つい星の数を確かめてしまいます。そうして時間だけがどんどん過ぎてしまい、一歩も行動に至らなかったということがあるのです。

必要以上に情報を仕入れない。タダで頂いたおまけなども、今の自分に不要なのであれば、最初からもらわなかったことにして思い切って処分する。

そうした潔さも必要だと痛感しています。

(2017年10月10日)

【今週の一冊】

「ところで、きょう指揮したのは?秋山和慶回想録」 秋山和慶・冨沢佐一著、アルテスパブリッシング、2015年

本書にありついたのも、五月雨式読書によるものでした。私が敬愛する指揮者、マリス・ヤンソンス氏はお父様も著名なマエストロで、アルヴィド・ヤンソンスと言います。アルヴィド氏は今の東京交響楽団を育て上げた人物としても知られており、そのアルヴィド氏について色々調べていたところ、東京交響楽団の歴史を知ることとなったのです。楽団の発展に尽力したのが当時の楽団長の橋本鋻三郎氏でした。

ところが楽団はその後、資金繰りに苦しみ始め、橋本氏は責任をとって入水自殺してしまうという悲劇に見舞われます。それを知ったアルヴィド氏はたいそう悲しみ、後に来日して追悼公演をおこなったのでした。こうしたエピソードを別の書籍で読み、橋本氏についてもっと調べたいと思っていたところ、巡り合ったのが今回ご紹介する一冊です。

秋山氏の師匠は桐朋学園大学の礎を作った斎藤秀雄先生です。小澤征爾さんは秋山氏の兄弟子にあたります。弟弟子は尾高忠明さん、秋山さんの弟子には大友直人さんなどがいらっしゃいます。音楽好きにとっては、著名な方の名前がたくさん出てきます。

中でも印象的だったのは、音楽や後進の指導に対する秋山氏の姿勢でした。たとえば、わかるように教える大切さや、教える際には決して怒らず紳士的であることなどが具体的に綴られています。また、弟子たちには「音楽によって名声を求めようとしてはならない」「仕事は天から与えられるものだ。よけいなことは神様にお預けして、ひたすらいい音楽を求めろ」ということを繰り返し説いておられるそうです。

タイトルの「ところで、きょう指揮したのは?」の由来ですが、これは秋山氏いわく、聴衆がコンサート終了後、「ああ、良いコンサートだった。で、指揮したのは誰だったっけ?」と言われるぐらいがちょうど良いのだそうです。これは通訳者に通じますよね。通訳者が目立つのでなく、あくまでもメッセージをお客様に聞いていただくこと。その伝達者であるべきだと私も感じます。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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