INTERPRETATION

「今回から本名での執筆です」

木内 裕也

Written from the mitten

 みなさん、お久しぶりです。数ヶ月前までHubbub from the Hubという匿名で「通訳・翻訳者リレーブログ」に投稿しておりました。今日から本名だけではなく、写真入りで再登場です。前回のHubbub from the Hubは”News from Boston”という意味でした。今度の新しいブログはWritten in the Mittenという名前です。ミシガン州は手袋(ミトン)の形をしていることで知られており、”Written in Michigan”という意味です。

p01.jpg

まずは自己紹介から。10月中旬に既に初雪を観測したアメリカのミシガン州にあるEast Lansingに住んでいます。アメリカ各地で通訳や翻訳を行うと同時に、Michigan State Universityの博士課程で研究を行い、学部の授業を教えています(写真はキャンパスの様子です)。専門はアフリカ系アメリカ人とメディアです。また雪の降っていない週末にはサッカーの審判を行い、各種スポーツイベントのあるときには救急救命士(EMT: Emergency Medical Technician)として活動もしています。

これらの経歴の中で、Ten Nine Communications(Hi Career)のサイトを訪れる人にとって最も興味があるのは、きっと通訳と翻訳でしょう。そこで今回は私が通訳の分野に入ることになったきっかけのお話です。

  通訳者として会議に向かうと、「帰国子女ですか?」「ご両親も英語が堪能なんですか?」と聞かれることがよくあります。しかし帰国子女だから通訳者になれるわけでも、両親が英語に堪能だと翻訳者になれるわけでもありません。私の両親は英語を苦手としていました。だからこそ「一人息子には、せめて海外旅行で困らないくらいの英語力をつけさせたい」と幼少時に週1回の英会話スクールに通わせてくれました。これが私と英語の出会いです。その後途中から週2回、英会話に通うようになり、大学に入学するまでほとんど欠席することなく英語を楽しんでいました。

  通訳に興味を持ったのは高校2年生の時。ボランティアとして参加した長野オリンピックで簡単な通訳をする機会に恵まれ、通訳の楽しさを実感しました。丁度大学受験の勉強を控えている時期でしたので、「通訳の勉強ができる大学へ行こう」と思い、上智大学に入学しました。最初は聴講生として通訳科目に出席し、その後数多くの通訳講座を履修しました。「通訳学校には通いましたか?」ともよく質問されますが、通ったことはありません。大学での授業と、私が師と仰ぐ先生からの教えを元に、通訳者になりました。

  実際に通訳者として仕事を頂くようになったのには、運もありました。先生からお仕事を紹介していただくこともありましたし、またアフガニスタン戦争では徹夜で放送局に詰め、突発の同時通訳をするという機会にも恵まれました。審判、選手、コーチとして関わったサッカーでは、2002年のW杯にて同時通訳のお仕事も紹介していただきました。また「若い通訳者を育てるのに一役買いたい」というプロジェクトに関わることもできました。このような環境に恵まれ、大学在籍時代から通訳者として活動し、その後放送や会議の分野でお仕事を頂いています。

Written by

記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

END