INTERPRETATION

「ダラスカップ」

木内 裕也

Written from the mitten

 3月中旬に約10日間、テキサス州ダラス市に滞在しました。毎年春になると、ダラスではダラスカップという世界規模のサッカー大会が開かれます。19歳以下の大会で、今年もイギリスのリバープール、ブラジルのサンパウロなど、世界中から強豪チームが参加しました。日本からも流通経済大学付属高校が参加しました。ミシガン州からは4名の審判員が招集されました。日本からもJリーグを担当している審判員が1人派遣されていました。そのほかにもイギリス、イタリアなど各国の審判員が集りました。このような大きな大会に呼ばれるのは、審判員にとっても大きな名誉です。割り当てが決まった昨年末から研究スケジュールを色々と調整していたので、10日間サッカーに没頭してきました。11月中旬にフロリダで行われた大会でシーズンが終っていたので、約4ヶ月ぶりに太陽の下、屋外を走り回れるのも大きな魅力でした。

1週間に渡って行われた大会は、リバープールの優勝で無事に幕を閉じました。大きな大会では、全ての試合で審判員のパフォーマンスがチェックされています。その良し悪しで、その後の割り当てが決まり、割り当てがなくなれば帰らなければなりません。私は準決勝の割り当てまでもらいましたので、何とか最後まで滞在することができました。試合が終れば和気藹々としている審判員ですが、厳しい競争もあります。

 各国のチームや審判員とコミュニケーションを取ることは、必ずしも容易ではありませんでした。「スポーツは言語の壁を越える」とは言いますが、やはり言葉が通じないとコミュニケーションは不便です。即席でいくつかの表現を覚えて、試合中に使う、というシーンが何度かありました。

 アメリカで大きな大会に参加すると強く感じることですが、皆、とてもオンとオフを上手に切り替えています。先に書いたとおり、試合のパフォーマンス次第で割り当てが決まりますから、試合の90分前くらいからはやや緊張した雰囲気が控え室に漂います。しかし空き時間になると、審判用に用意されたピザを片手に、サンダル姿で知り合いの試合を観に行ったり、近所のコーヒー屋に買出しに行ったり。「審判員としての威厳」が日本的な文化だと常に重要視されそうですが、試合が終ると選手や観客、ボランティアと一緒に楽しんでいます。翌日の割り当てが午後だとわかれば、その日の夜は街に繰り出す審判員も数多いです。アメリカ人のお祭り好きな性格を見事に現しているようです。

 ミシガンからテキサスに向かった私達も、審判員のパーティーがあればそれに向かい、夕方に時間があくと映画を見に行ったりしました。Big Mama’s Chickenという現地の人しか知らないようなフライドチキンのお店を見つけると、すかさずその日の夜は向かい、いかにも体に悪そうなフライドチキンを堪能しました(お勧めです!)。また割り当てのない日には皆でダラス市内に観光にも行きました。私のリクエストで、ケネディー大統領が暗殺された現場にも向かいました。写真にあるとおり、暗殺された路上にはX印が付いています。そして暗殺者がいたとされる倉庫の6階の窓は、今でも半開きにされています。観光地化しているのが残念でしたが、それでも歴史的重要性を考えさせる場所でした。

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木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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