INTERPRETATION

将来的に仕事をどうしていきたいのか

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 今年に入ってから、なぜかいろいろなことが重なり、かつてないほど超多忙状態が続いています。私の場合、放送通訳、教育機関での指導、執筆の3本柱で最近はやっているのですが、この3つに絞っているにもかかわらず、仕事がやってもやっても終わらないのです。 

 もともと大好きな仕事であるのに、ここまで多忙になってくると、人間というのはいろいろな面で影響が出てきてしまうようです。私に関して言うと、あんなに好きだった仕事なのに、どれに対しても前向きになれなくなってしまったことがその良い例です。「以前なら日本語にこだわって訳していたのに、今は単語を出すだけで精いっぱい」とか、「生徒たちに自分が読んだ本をいろいろ紹介したいと思っているのに、授業を進めるだけでひとコマ終わってしまう」といった類です。こうした状態が続くと、24時間が延々と続いているような状態になってしまい、睡眠時間を削って仕事をしても終わらず、ますます心身ともに疲れてきてしまいます。子どもたちが夕方に帰ってきて、学校や幼稚園で起きた出来事を話してくれても、表面的にはニコニコ聞いているものの、頭の中は次の仕事の段取りを必死になって考えています。しかも「今日こそ子どもたちと早く寝て睡眠時間を確保しよう。できれば明日は子どもたちに寝坊してもらいたいぐらいだ。なぜならその間に私の仕事が少しでも進むから」といったことを考えてしまっています。これでは精神衛生に良いわけがありません。

 ではなぜこのようになってしまったのでしょうか?私なりに理由を考えてみました。

 まず一つ目は、仕事の安請け合いです。「安請け合い」と書くと、非常に語弊がありそうですが、要は「自分ができない、あるいは苦手とする仕事を受けてしまうこと」を意味します。打診があったとき、「うーん、それはちょっと得意ではないな」と直感的に思っても、その一方で「でもこれを受けたらもしかしたら私の守備範囲も広がるかもしれない」と思ってしまうのです。その結果受けては見たものの、やはりもともと得意ではなかったり、苦手だったものというのは、よほど自分の時間とエネルギーを注げる状況でない限り、いきなり得意になったり効率的に仕事ができたりするようにはなれないのです。そのことに私自身、気づかされました。

 もう一点は「無理な労働条件のものを引き受けてしまう」ケースです。たとえばある分野の仕事を頼まれ、それが自分にとって得意分野だったとします。けれどもそれが無報酬に近いものであったり、労働条件が非常に悪かったりした場合、どうなるのでしょうか?私の場合、有償の仕事を削ってそちらの仕事を優先せざるを得なくなり、金銭面でも精神面でもかなり辛くなってしまいました。もちろん、崇高な意識があってボランティアでもその業務を引き受けたいということはあるでしょう。けれども、私のようにフリーで仕事をしている場合、そのバランスというのも見落とすこともできないと思います。今回の例で見れば、私の場合は大好きな有償の本来の仕事を削り、時間的拘束が多いながらペイが発生しない別業務を受けてしまったのでした。得意分野ではあったものの、こういうときは受けるべきか否かを冷静に判断することが大事であると思いました。

 仕事をするということは、結局のところ、自分がその仕事において将来的にどうしていきたいのかを考えることだと思います。私が今回得た教訓、それは「自分が本当に社会に貢献できる仕事を、きちんとした労働条件のもとで受けていこう」ということでした。

 (2009年2月9日)

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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