INTERPRETATION

フィードバックと適度な自信のバランス

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 通訳というのは、瞬発力を要する仕事です。じっくりと辞書を引く時間もありませんので、瞬時に訳語を考え、それを言葉として発していく必要があるのです。どうして適切な語彙が出てこなければ、全体像から想像して自分なりに考えついた言葉で切り抜けるしかありません。どんなに大変でも苦し紛れでも、とにかく訳語を口にする。それが通訳者の仕事です。

 こうした過度な緊張感に常にさらされる通訳者は、誰もが勉強家です。忙しい仕事の合間を縫って次の業務の予習をし、自分の苦手分野の強化に励み、毎日シャドウィングやリプロダクションの練習などを自らに課しています。単語帳の作成や関連分野の文献読破などもこれには含まれます。

 仕事の依頼を受けると、まるで受験勉強のような予習が当日まで続きます。わずか短期間で、専門家並の知識を得た上で現場に臨まなければなりません。全体像を把握して初めて適切な訳語も出てくるわけですから、その勉強量も半端ではないわけです。こうして通訳者たちはテーマの引き出しをどんどん増やし、それと同時に得意分野に関しては専門家顔負けとも言えるぐらい、専門知識を深めていきます。

 しかし、このような段階に達したときこそ、大きな勘違いが待ち構えています。それは「自信過剰になってしまうこと」です。人間には適度な自信と自己肯定感が必要です。とは言うものの、「自分はこの分野に関して知識を十分備えている」「英語力も万全を期すよう努めている」という、自己努力・自己研鑽に基づく自信が頭をもたげてしまうと、周りの評価を受け入れられなくなってしまうのです。

 具体例としては、クライアントからのフィードバックです。たとえば「あの言葉はこういう訳語の方が良かったのではないか」「今回の通訳者は聞きづらかった」といった意見が寄せられたとします。しかし通訳者はそれまで多大な努力を払って勉強をしてきましたし、長年の通訳経験もあります。そのような状況のときに限って、「私はすべてを拾った。あの語句も、あのデータもきちんと訳してある。だから間違っていない」と反発してしまうことも少なくないのです。確かに通訳というのは原語を「何も足さず何も引かずに」目的言語へ変換する作業です。しかし、そのようなとらえ方はややもすると、言葉を単に一対一で対応する言語変換活動と位置づけるにすぎません。パリ第三大学のミカエル・ウスティノフが「翻訳−その歴史・理論・展望」(白水社文庫クセジュ、2008年)で記すように、「言語は文化の多様性と切り離せない」、つまり自分の訳だけが正解と言い切ることはできず、全体像や多様性といったものを包含すればあらゆる解釈も可能になります。適訳だけでなく、通訳アウトプットやデリバリーそのものもこれには含まれます。そうした観点から、通訳者に対しネガティブなフィードバックも発生しうるわけです。

 よって、通訳者はクライアントから何かを指摘された場合、「自分の訳は合っているはずなのに」という前提で耳を傾けてはいけないと私は思います。「自分では正しいと思ってあのように訳したけれど、現場の方から見れば別のとらえ方もあるのだ」という受け入れの姿勢が必要です。明らかに通訳者に対する個人攻撃・中傷のようなフィードバックであればある程度差し引いて解釈しても構わないと思いますが、自己改善できるような内容であれば、必ず謙虚に受け止めるべきだと私は思っています。

 とはいえ、その一方で自己評価が低すぎるのも問題です。特に通訳者デビューしたてのころは業界の様子もわからず、周囲のフィードバックそのものにナーバスになりがちです。建設的な意見を言われているのに、「やっぱり自分はだめなんだ」「通訳者には向いていないのではないか」と考えてしまうと、伸びる実力も停滞どころか後退してしまいます。ですので、適度な自信もしっかりと持ち合わせることが必要です。自分で自分をいじめても何も進歩しません。

 先日聞いたフィットネス関連のポッドキャストで、プレゼンターが“Do something good for your body because you are worth it.”と述べていました。「あなたにはそれだけの価値があるのだから、体のために良いことをしなさい」というわけです。これは仕事をするときも、勉強をするときも大切な考えでしょう。「自分には人間としての価値がある、そのためにも前向きな考えに基づいて生きる必要があるのだ」と、私はこの発言を解釈しています。

 他者の評価を謙虚に受け入れ、改善できることは直していく。自分のためにもマイナス思考ではなく、前進できるような考えを抱いて一歩一歩進んでいく。これが次につながると私は信じています。

 (2009年6月1日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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