INTERPRETATION

初心忘るべからず!!

上谷覚志

やりなおし!英語道場

皆さん、こんにちは。

先日、午前中の空き時間を使って自分の勉強のため、ある大学の英語の授業を見学してきました。友人のアメリカ人が担当しているクラスを後ろでこっそり見るつもりでしたが、“今日は通訳者の上谷さんがお越しです!!”と紹介され、いきなり逐次をすることになり、おまけに授業の最後に質疑応答まで用意されていてちょっと焦ってしまいました。質疑応答では“通訳になるためには単語をどれくらい覚えればいいんですか?”とか“どういう有名人の通訳をしたことがありますか?”というある意味素直な質問が結構出ました。大学に入学したばかりの人にとっては、英語の勉強(受験勉強)=単語の量を増やすことだったので、通訳者ともなるとさぞかしたくさんの単語を知っているんだろうなと思ったのでしょうし、ビジネスの世界を知らない彼らにとって通訳者は海外から映画俳優や政治家の横に座っている人またはテレビの二ヶ国語放送で同時通訳をしている人というイメージなんだろうと思います。

もし、自分が大学生の頃に通訳者に質問する機会があれば、きっと同じような質問をしたでしょうし、機械のように何を聞いてもスラスラと訳してしまう語学の達人(一般の人がいうところの英語ペラペラな人)という印象を持っていたと思います。大学在学中に英検準一級を取った知り合いがいて、その人が英語を話しているのを聞いて“すげー!”って思った記憶があります。でもよく考えると”Excuse me, can you say that again?”程度のことを外国人の先生に言っていただけだったような・・・。自分が経済学部にいて周りに英語ができる人がほとんどいなかったということもあったのかもしれません。大学生から見ると、通訳という仕事があることは知っていてもどういう人なんだろう???という感じなんでしょうね。

以前“むかしむかし・・・”というタイトルで自分がアメリカにいた頃の話を書きましたが、20年ぶりに日本の大学の授業を受け、不思議なフラッシュバックを感じ、“確かに自分もこんなもんだったよな”って思い出しました。質疑応答の最後で“自分も大学に入った頃は皆さんと同じような感じでしたし、ひょっとしたらもっとできなかったもしれません。外国人の先生の授業受けても全部わからず、横の人に聞いていたくらいでしたし・・・。もし皆さんが英語で自由にコミュニケーションできるようになりたいと望むのであれば、少なくとも私のレベルくらいまでなら行けるはずです。私くらいのレベルになるのであれば、特別な才能は必要ありませんから・・・”と言うと“えっ?”って顔をしていました。

子供の頃、自転車にうまく乗れず、補助輪を一つずつ外して何度もこけて、やっと両輪を外し母親に後ろをもってもらいよろよろと数メートル進めた時の気持ちや、母親に“後ろを持っているから大丈夫”って言われて実は持っていなかったと後で言われ、誇らしく感じた気持ちも自転車を普通に乗れるようになると忘れてしまいますが、公園で自転車の練習をしている親子を見ると、ふとそういえば自分もそういう時期があったよなって思い返すように、今回大学の授業を見学し、英語でのコミュニケーションでしどろもどろだった頃の自分を思い出しました。

よく“私は語学の才能がないから・・・”とおっしゃる方がいらっしゃいますが、本当に語学に才能が必要なのでしょうか?もちろん達人の域に達するためには、最終的には必要なのかもしれません。短距離走の黒人選手やその他アスリートのように生まれもった身体能力で勝敗がほぼ決まってしまうようなケースとは違い、外国語でコミュニケーションをするというのは生まれ持った才能というのはあまり関係ないような気がします。少なくとも私レベルまでは・・・。

子供の頃外国で育ち、英語と日本語を自由に使いこなせるいわゆるバイリンガルな人も増えてきました。発音や音に対する反応という点に関しては確かに敵わないなと感じることもありますが、だから英語を今さらやっても無駄というわけではないわけですし、コミュニケーション能力ってもっといろいろなものを総合して決まってくるものだと思います。

大学生の方にも“語学に才能は要らないと思いますし、才能よりも言葉や人に興味があるかどうかの方が大切で、これってなんて言うんだろう?とか、〜のことを外国人の人に伝えたいという気持ちをどれだけ持ち続けられるかで、どこまで英語でコミュニケーションができるかが決まってくると思います”と伝えました。

通訳といった語学スペシャリストを目指している方やTOEIC等の資格に向けて勉強されている方、英語の勉強で行き詰まりを感じている方、子供の頃自転車にうまく乗れるようになった頃の嬉しさや誇らしさの気持ちをもう一度思い出してみてもいいかもしれません。知らないうちに英語の勉強が無味乾燥な訓練になっていたら、自分の英語が通じ、相手の言っていることがわかり始めた頃の気持ちを思い返してみてください。本来語学は楽しんでうまくなっていくもので、バックグラウンドの違う人と比べて一喜一憂したり、強制されてうまくなるものでもありません。長く英語をやっているとそういう感覚を忘れてしまいますが、そういう基本の気持ちに立ち戻ることで、また次のレベルに行けることもよくあります。やはり“初心忘るべからず”。これって本当に大切なことだと思います。

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記事を書いた人

上谷覚志

大阪大学卒業後、オーストラリアのクイーンズランド大学通訳翻訳修士号とオーストラリア会議通訳者資格を同時に取得し帰国。その後IT、金融、TVショッピングの社での社内通訳を経て、現在フリーランス通訳としてIT,金融、法律を中心としたビジネス通訳として商談、セミナー等幅広い分野で活躍中。一方、予備校、通訳学校、大学でビジネス英語や通訳を20年以上教えてきのキャリアを持つ。2006 年にAccent on Communicationを設立し、通訳訓練法を使ったビジネス英語講座、TOEIC講座、通訳者養成講座を提供している。

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