INTERPRETATION

バランスのいい英語

上谷覚志

やりなおし!英語道場

皆さんの中で、地方出身者の方はどれくらいいらっしゃいますか?以前書いたことがありますが、私は大阪出身(関西人は自分のことを地方出身とは思っていませんが(笑))で、普段は完全に標準語を話し、”今、標準語を話している”という意識もほとんどありません。最近知り合いと、“自分を一番表現できる”言葉は何かという話になりました。あまり考えたことはなかったのですが、よく考えてみると、一番が関西弁、少し距離をおいて標準語、そして英語という順番になるという結論に達しました。

標準語で育った人にはわからない感覚かもしれませんが、私にとって“心を伝える“ “自分を一番感じられる”のはやはり関西弁です。だからといって標準語で普段不便を感じているわけでもないですし、“標準語で話さないと”というプレッシャーがあるわけでもないのですが、どこか借り物のコミュニケーションツールというある意味、英語と同じような感覚が標準語に対してあります。

関西で生まれ育ったとは言え、子供のころから標準語はTVで聞いていたので、音としては理解していましたが、実際に自分で使い始めたのはここ10年弱で、よく考えると英語よりも歴史は浅いのです。ですから、自分の中では標準語を話す感覚と英語を話す感覚は似ている部分があります。今でこそ、仕事以外のプライベートでも標準語を使う場合がほとんどなので、あまり違和感なく使っていますが、ふと関西弁を話した時に感じるあのフィット感から標準語に戻した時に感じる感覚は、ジャージから洗いたてのジーンズに着替えた時に一瞬間感じる窮屈さと似ています。

なぜこういう感覚が生まれるのでしょうか?関西弁は多感な時期を含めて、自分の気持ちを伝えてきた言葉で、標準語は音や単語といった形から入った言葉で、気持ちを伝えるために使った実体験が関西弁ほどはないため、気持ちを100%言葉に乗せられない感覚が残るのかもしれません。

同じ日本語という言語の中ですら、言葉の温度差があるのですから、英語となるとその“借り物”感はもっと大きくなります。仕事で英語には毎日触れ、使っているので、以前より英語の語彙・表現は増えていますが、5年ほど前に日本に帰ってきてから、英語で自分を表現する機会が減ってしまいました。ですから、英語を使うときは、気持ちを言葉に込めるという感覚よりも、言葉で情報を伝えるという感覚が強くなってきているような気がします。

通訳・翻訳や講師業という観点で考えると、これ自体は大した問題ではないのですが、言葉を習得するという観点でいうと、少し問題かなと感じています。この“借り物”感を少しでも減らしていくためには、プライベートで、いろいろなものを英語で感じる機会をもっと増やしていく必要がありますが、これはいわゆる“英語の勉強”とは違います。他人のために英語を使うとか、英語の上達のために何かを覚えるというのでもなく、海外にいた頃のように、英語で生活する時間を増やし、英語を使っているという感覚すらない状況に自らを置かないとバランスが悪い英語が身についていくような気がします。

仕事だけで英語を使えればいいとお考えの方もいらっしゃるとは思いますが、英語というのは言葉ですから、自分の気持ちを自然に伝えられるような母国語に近い感覚で使えるようになりたいものです。そのためには仕事・勉強以外で自分のために英語を使う時間を確保する必要もあるのではと思います。皆さんは、そういう時間持っていますか?

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記事を書いた人

上谷覚志

大阪大学卒業後、オーストラリアのクイーンズランド大学通訳翻訳修士号とオーストラリア会議通訳者資格を同時に取得し帰国。その後IT、金融、TVショッピングの社での社内通訳を経て、現在フリーランス通訳としてIT,金融、法律を中心としたビジネス通訳として商談、セミナー等幅広い分野で活躍中。一方、予備校、通訳学校、大学でビジネス英語や通訳を20年以上教えてきのキャリアを持つ。2006 年にAccent on Communicationを設立し、通訳訓練法を使ったビジネス英語講座、TOEIC講座、通訳者養成講座を提供している。

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