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あの日を取り戻す

ハイキャリア編集部

拝啓!通訳・翻訳者の皆様へ

日課の散歩を終えて自室に戻ると自分の変化にようやく気が付いた。
朝目が覚めた時には特段の変化はなかった。いや、あまりにも自然な流れだったので、受け入れてしまっていたのかもしれない。

匂いと味が私の世界から消え去っていた。

寒暖の差や目に見えるもの、その他の五感には影響がなかった。
ただ嗅覚と味覚が突然消失していた。

気が付いたきっかけは朝食の準備をしているときだった。
いつもは匂いのフリースタイルラップバトルの装いで開けた瞬間に鼻腔に刺激が飛び込んでくる冷蔵庫から何も感じられなかったからだ。
冷蔵庫の扉を開けたタイミングで違和感があった。

「なぜだろう。いつもと何かが違う」

すぐには判別できなかった。
まさかと思い、最近の匂いのチャンピオンである鯖フレークの瓶を手に取り、勢いよく息を吸った。
いつもはむせかえるような鯖の香りが、このときは全く感じることができなかった。

「ついに自分の身にも起こってしまったのか」

同じ症状に苦しむ人々が増加傾向にあると、メディアで連日取り上げられていた。
テレビやスマートフォンを通して触れるその情報はどこか遠いところの話で、自分にはきっと関係ないことだと聞き流していた。
それが文字通り他人事ではない現実となった。

現状把握のため、まずは自分自身に起きている事象を検証することから始めた。
匂いだけなのか、味も感じることができないのか、その他に発現しているものはあるのか。

手に持っていた鯖フレークを一口味わってみることにした。
ふむ、やはり味も欠落しているらしい。
鯖の身がゴロゴロとしてる感覚は口の中にあるが、味覚と嗅覚については全く何も刺激されない。
かなり不思議な感覚だった。まるで崩れた消しゴムを口に含んでいるかのような、本来食べ物でないものを味わっている、そんな気がした。

さらに検証を進めた。
どこまで感じないのか、その度合いを探ってみよう。

匂いと味はない。では辛味のような刺激はどうなのだろう。
キッチンを探検してみると担々スープ春雨が見つかった。
正に私がいま求めている刺激がそこにあった。

お湯を入れて待つこと3分。空腹時の3分や電車を待つ3分よりも長い3分だった。
どこかの科学者が理論を発見したときもこのような感覚だったのだろうと思いを馳せた。

実食。
……やはり辛味もないのか。
そう思って箸を進めると、ピリリと舌の根にほんのわずかな刺激を得た。
なるほど味と辛さは別なのだなと発見があった。

中途半端に食べ始めたせいでどうやら本格的に空腹になっていた。
味は無くとも腹は減るらしい。
しかし、どうにも味が無いと食事を楽しむという気持ちすら湧いてこなかった。

ただ空腹を満たすために食事をする。まるで何かの修行のようだ。

簡単に卵かけごはんですませることにした。
やはり味はない。
いつもより2周ほど多く醤油をかけてみた。
……変わらず。しかし塩分濃度は上がっているので体にはきっと悪影響なのだろう。
この症状が続くことへの恐怖がそこにも見てとれた。

もう少し何か食べようかと冷蔵庫から豆腐を出した。
これもきっと味がしないのだと、醬油は少なめにしておいた。

衝撃が走った。
味がする?いや、醤油の味は全く感じられない。この蜃気楼をみるようなぼんやりと感じるものはなんなのだ。
豆腐だ。豆腐の独特の食感が視覚と相まって私に豆腐の味を思い起こさせる。
かなりうっすらとしたものであったが豆腐の味を見たような気がした。
幻想かもしれない。それでも良かった。人体の神秘に触れたようだった。

食事も終えて、一息つくことにした。

インスタントコーヒーを淹れてソファに座った。
やはり匂いも味もしなった。

「これからどうなっていくのだろう」

いつかまた匂いと味に溺れる世界に戻ることができるのだろうか。
現状をひとまず受け入れて、味のしないコーヒーをすすった。

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ということで今週は翻訳部よりお届けいたしました。
小説風に書いてみましたがいかがでしたでしょうか?
普段は読むばかりなので、書き手側を体験してみると、本当に作家の皆様の偉大さに圧倒されてしまいます。

ステイホーム期間はまだまだ続きそうなので、積読状態の本たちを少しずつ消化していこうかなと。

皆さんも年末年始に時間があればどうか素敵な読書体験を!

それではメリークリスマス。

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記事を書いた人

ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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