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ある日の「いぬ庵」(研究室)

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

研究室であれこれ読んだり書いたりしていて、ちょっと疲れてきたので、昼食。その後、学生用に大量に買ってある学習マンガ(日本の歴史、世界の歴史、中国の歴史、偉人伝など。はよ読みに来い!)から、新渡戸稲造の伝記を読む。実に刺激的だった。

「願わくば、われ、太平洋の架け橋とならん!」という意気込みは、実に気宇壮大だ。こういう大きな理念を持つことが勉学の上では本当に重要だと思うのだが、今の時代の学生たちは、そういう考えを実に持ちにくい環境にあるなと思う。もちろん学生たち自身も、もっとしっかりしなくてはいけないのだけれど。

とりあえず、入学直後から就職活動の心配なんてするなよなあ。勉強あっての大学生活だろうに。もちろん、机に向かう勉強でなくても良いから、何かを「学ぶ」ことをまず考えて欲しいものだ。

8月23日付のオンライン版産経新聞の「古典個展」のコーナーに、立命館大学の加持伸行氏のエッセイがあったが、最後の部分で、こんなことが書いてある。

(引用ここから)
 五十年前当時の私たち学生はほとんどみな貧しかった。それでも、生活費を削ってでも本を買っては読んだ。学生の年収など吹けば飛ぶようなものであったにもかかわらず、腹を減らしながらも読書していた。

 そのころ、三人で喫茶店に入り、コーヒー一人前を注文したものだ。コップに水は三人分あるので、コーヒーに付いてきたミルクをコップに入れて薄いミルク水を作る。もう一つは砂糖水。つまり、コーヒー、ミルク水、砂糖水を作り、ジャンケンで配当。支払いはコーヒー一杯分を割り勘。それから数時間の文明批評や天下国家論。貧しいながらも、なにも苦痛ではなかった。

 『論語』里仁(りじん)篇に曰(いわ)く「士の道に志(こころざ)すや、悪衣悪食(貧しい服装・食事)を恥ずる者は、未(いま)だ〔同志として〕与(とも)に議するに足らず」と。(かじ のぶゆき)
(引用ここまで)
(出典)http://sankei.jp.msn.com/life/education/090823/edc0908230234001-n1.htm

諸正論……変換すらされないのか。「書生論」という言葉が、かつてあった。決してプラスのニュアンスの言葉ではないが、やはり若いうちに、自分なりの理念を振りかざす意見のやり取りをするということは、とても大切なのではないか。今の学生は、実におしゃれだし、万事そつがない。が、只それだけ、という印象もある。包装紙はとても美しいし、事実その部分にはみんな気を使うのだが、肝心の中味はどうなのだろうか。もっとも、中味を見る目が僕に備わっていないという可能性も考えなくてはならないが。

ウィキペディアで新渡戸稲造を引いてみると、なんと芥川龍之介の「手巾」の大学教授のモデルが、新渡戸稲造だと書いてあった。寡聞にして知らなかった。それは面白い。実に意外なつながりだ。

早速青空文庫で「手巾」を読んでいると、通訳翻訳課程の男子学生がふらりと研究室にやってきて、しばらく話す。暑そうだったので、冷房を付けてあげた。英語の勉強に、柔道にと頑張っているらしい。いいぞ。読売新聞と、デイリー・ヨミウリを自宅で購読しているそうで、それを持って来て読んでいる。実に素晴らしい。僕が大学1年の頃は、英字新聞なんて読めると思わなかった。たまに父が読み終わったものを拝借するぐらいだったな。切抜きをしたいと言うので、はさみを貸す。

結局彼は3時過ぎまであれこれ勉強していた。英検準1級の問題集にも取り組んでいたようだ。今度こそ合格すると良いなあ。たまに居眠りしたり、学生コーナーの本を読んだり、僕に質問したり。僕も仕事や勉強をしていたので、細かく見ていたわけではないが、研究室をそうやって気楽な学びの場にしてくれるのは、とても嬉しい。学食が開いていれば、麦茶でも買ってきて振舞ってあげたいところなのだがなあ。頑張っている人を見ると、老若男女を問わず、全力で応援したくなる。

「手巾」は、教授が教え子の死を母親から聞かされる瞬間の描写が秀逸だと思った。もちろん題名にもなったハンカチの描写も良いけれど。ただ、最後の戯曲がらみの話が、ちょっとよく分からなかった。

何というのだろう、非常に上手いけれど、着眼点というのか、カメラのアングルというのか、そのあたりに芥川の「若さ」のようなものを感じた。以前には感じようのなかった印象だ。決して未熟という意味での若さではないのだが。う〜ん、言葉を生業にしていながら、上手く説明が出来ない。もどかしい。

通訳翻訳学会に参加するための、名古屋までの夜行バスを予約する。まあ、3列シートだし、大学生の頃イギリスで夜行バスを使いまくって旅行したときへのノスタルジアもあるし、結構楽しめるのではないかなと思う。後で話したら、妻は「新幹線で行けば?疲れるのに」と心配していたが。

研究室を出て帰路につこうとすると、メディア・イングリッシュを受講している女子学生が「あ、今研究室に本を読みに行こうと思っていたんですけど!」と声をかけてきた。「ああ、それじゃあ、一本電車を遅らせようか?」というと、そこまでしなくても良いというので、歩きながらあれこれ話す。充実した夏休みを送っているようで、何より何より。校舎の出口で別れて、彼女は図書館へ。

最寄り駅について、名古屋からの帰りの新幹線の切符を買うことを思いつく。近くに金券ショップがあるのを発見。時間がないから月曜に買うとするか。電車に乗り込み、デイリー・ヨミウリの読み残した記事を読み、イスラムの専門家である菊池先生(大学の同僚で、研究室はお隣)からいただいたご著書「異端と正統」を読み(著者紹介を読んで、同い年だということを発見してのけぞった)、ウトウトして目が覚めると、赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいたので、席を譲って立つ。目が覚めていい。

ついでに本を変えて、「日本人なら必ず誤訳する英文」を読み進める。うーむ、手ごわい。誤訳しまくり。このあたりに僕の英語の抱える問題があるようだ。通り一遍の英文法はちゃんと頭に入っているのだが、「プロ」としての一段階突っ込んだ運用力が弱いと見た。

両親宅で夕食だったので、たまには発泡酒ではない本物のビールを飲ませてあげようと買って帰る。あれこれ話して夕食。妻は義父の合唱コンサートに行って不在だったので、子どもたちと川の字になって寝た。

「お父さんが寝てからも起きてるとなあ、押入れのふすまがガタガタッと揺れて、スーッと開く。中から光る目玉がのぞいてたら、絶対目を合わせちゃダメだぞ。『押入れお化け』に、食

られちゃうからな」などと出任せを言ったら、「怖い〜!」と両側から密着してきた。可愛いけど、暑い!君らの方がお父さんにとってはよっぽど怖いぞ。うひゃうひゃ笑っているうちに、アルコールも手伝って、あっという間に眠りに落ちた。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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