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一山越えて

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

いやあ、ここ2〜3週間はバタバタしてしまいました。今週もその余波があったのですが、後半に入ってようやくいろいろなことが出来るようになりました。

で、また無茶をする、と。いつものいけないパターンなのですが。

木曜日、妻のiPodに「ハンナのカバン」のCDを入れてあげました。重い内容ではあるけれど、ぜひ聞いてもらえればなと思っていたのですが、通勤途中で早速聞いてくれたようで、携帯メールで感想が届きました。それだけではなく、「今日の夜、『帝国オーケストラ』を見てきたら?明日はNHKの早朝シフトだから、その後渋谷に泊まったら良いじゃない」と提案してくれたのです。

普段は半分眠っている脳細胞が、こういうときになると活動を始めます。

「帝国」は、夜9時からの上映です。それならば、同じ映画館でその前にやっている、「ベルリン・フィル」も見たい。まてよ、「ベルリン」が始まるのは、6時40分からだから、それまでも時間があるな。あ、「ハンナのカバン」で知った、ホロコースト教育資料館に行ってみよう・・・と思い立ちました。

尻尾を振りつつ出勤し、R大の授業を済ませて教育資料館へ。大学5年目(実は普通4年で卒業できるところを、6年間大学に行っていました。勉強が好きだったからではないことを、書き添えておきます)に、3ヶ月ちょっと新聞販売店に住み込んで新聞配達と集金をしていたのですが、ちょうど配達担当区域に当たるところで、当時を思い出して感慨に浸ってしまいましたね。

肝心の資料館自体は、現在は一般公開はしておらず、教育資料の貸し出しと、講演などをメインに活動していらっしゃるということで、残念ながら見ることが出来ませんでした(問い合わせのメールに、その日のうちに丁寧なお返事がありました)。

ポプラ社のビルに入っていたので、受付のお姉さんが親切にも電話をかけてくださったのですが、恐らく講演か何かにお出かけだったのでしょう、誰もお出になりませんでした。

それはそれとして、本の一杯あるロビーに入れたのは楽しかったですし、授業の一環として資料をお借りして何かしたり、講演をしていただいたり出来ないかなあと考えたり、有意義なひと時でした。

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スポイラー注意!この先「ベルリン・フィル」「帝国オーケストラ」の内容についての記述があります。まだご覧になっていない方は、ここで読むのをストップしてください。
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そのまま渋谷のユーロスペースに向かって、まずは「ベルリン・フィル」。サイモン・ラトルと団員のやり取りが、すごかった。笑顔を浮かべたまま、真剣で斬りあいをやっているような感じです。

また、団員の背景をいろいろ知ることが出来たのも、興味深かったですね。自分の容姿にコンプレックスのある女性奏者や、吃音に悩んでいた男性奏者などが、そのコンプレックスをバネに演奏に打ち込み腕をあげて、世界最高峰と言われるベルリンフィルに入る。まあ、日本人好みの「美談」なので印象に残っているのかもしれませんけれども。その陰で、コンプレックスをバネに努力したけれども報われなかった人も、コンプレックスなど無縁だった人もいるはずですから。

団員が「指揮者は変わるが、団員は残る。団員が伝統を伝えるんだ」と言っていたのも印象的でした。カラヤンに「一番レベルが低い演奏者のレベルが、楽団全体のレベルを決めるんだ」といわれてしごかれた世代のベテラン団員がまだ残っていて、「世界中のオーケストラでも、指揮者を団員が決めるのはウチぐらい」と語っていましたっけ。

演奏ツアーの休日、自転車に乗ったり観光をしたりと、音楽に打ち込むのと同じぐらい自分たちの趣味に打ち込む団員の姿も印象的でした。わざわざ分解した自転車を、ホテルの自室でくみ上げてましたからねえ。そうやって、精神的なバランスをとっているんだろうと思います。

さて、メインディッシュの「帝国オーケストラ」。戦争責任のからみをどんな風に描くのかなと思っていたのですが、冒頭にナチス時代のベルリン・フィルで演奏していた団員2人のインタビューがあって、「ナチズムは楽団の責任ではない」と語っていました。ナチズムに積極的に手を貸したわけではなく、自分たちはただ演奏をしていただけだ、というわけです。ふむ。

ナチスに取り込まれる前のベルリン・フィルは、有限会社で財政は常に火の車でした。実力は世界トップクラスでも、「武士は食わねど高楊枝」というような状況だったようです。1933年に国有のオーケストラになったことで、恐らく団員は「これで思い切り音楽に打ち込める」と思ったのではないでしょうか。しかし、この年から、アーリア人証明書が必要になるなど、ユダヤ人演奏家への締め付けが始まります。ホールにあった、メンデルスゾーンやチャイコフスキーなど、ユダヤ人の作曲家の像は撤去されました。

指揮者のフルトベングラーは、ユダヤ人演奏家を守ろうとしたものの、守りきれなかったそうです。苦労してアメリカに移住した演奏家もいました。

楽団員の中にもナチス党員が5人ほどいて、発言力があり、要注意人物と見なされていたとのこと。しかしあくまでそれは一握りの人物であり、ベルリン・フィルは「ナチのオーケストラ」などではなかったと、当時の団員だった2人の音楽家は語ります。

その実感にウソはないでしょう。しかし、実感が真実であるかどうかは、また別問題のように思います。

ベルリン・フィルの団員は兵役も免除され、ナチのプロパガンダを一手に引き受けたゲッベルス宣伝相の指示の元、海外公演を続けます。1941年には、連合軍の空爆で廃墟と化したロッテルダムにも行きました。団員の待遇は、国立歌劇場のメンバーより良かったとのこと。

1937年から1944年まで毎年、ヒトラーの誕生日には記念コンサートを行なっていたそうです。ヒトラー本人は一度も出席しなかったとのことですが。

やがて演奏ホールも連合軍の空爆で被災、消失しますが、44年9月1日に他の全劇場が閉鎖された後も、ベルリン・フィルだけは場所を移して演奏を続けました。

当時の団員の息子は「あの頃ベルリンは無秩序状態だった。音楽で市民の心の支えというか、逃避の場所を提供していたのではないか」と語っています。最後の演奏会が行なわれたのは、1945年4月16日。ドイツが降伏するほんの少し前です。

やがてベルリンにはソ連軍が進軍して来ました。ベルリン・フィルのメンバーは大臣(ゲッベルス?)用の防空壕に家族ごと非難していましたが、ソ連軍はなぜ働き盛りの

がこんなに集まっていたのか、いぶかしんだそうです。言葉が通じないので、楽器を演奏するジェスチャーで何とか音楽家だと伝えたと言うこと。

ソ連の進駐が済んだ後、団員が集まってみると、3人が自殺していたそうです。ソ連軍を恐れて、一家を惨殺したあと自殺した団員もいたとのことで、終戦直前にサイパンや北方領土で起きた悲劇を思い起こしました。

その後、ナチ時代にはできなかった、ユダヤ人作曲家の曲を演奏したり、ナチの党員だったメンバーを追放したりといった動きが起きます。

その中で印象的だったのが、ユダヤ人演奏家のゴールドベルクが、日本軍に捕らえられていたという話です。ベルリン・フィルを追い出された後、アメリカに渡ったゴールドベルクは、アジア演奏旅行中にインドネシアで日本軍に捕らえられ、終戦まで抑留生活を送っていました。ベルリン・フィルを追われた上に、本来同盟国であるはずの日本の軍隊に「ナチスは反ユダヤ政策をしているから、こいつも捕まえておかねば」と身柄を拘束されてしまうとは・・・。何と、その後日本の富山で亡くなったそうです。

今、ウィキペディアで調べたところ、奥様は日本人のピアニストだとのこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

もともとクラシック音楽は妻の趣味で私はあまり詳しくないので、ゴールドベルクさんについても何も知りませんでした。しかし、俄然興味が出てきましたね。演奏を納めた音源、どこかで聞いてみたいなと思います。

映画を見終わって思いましたが、戦後のドイツの主張をそのまま踏襲したロジックだったなと思います。ちょっと私の主観が入ってしまいますが、「悪いのはナチスであり、我々ではない。我々もナチスの被害者だった」と言っているように思うのです。

ドイツはそれが可能だったわけですよね。ナチスに全ての罪をかぶせて、ナチスの遺産を除去するという方針のもと、非常に明快な戦後処理が出来たと思います。

その一方で日本はどうでしょう。軍部の重鎮だった源田実氏が政治家になったり、戦犯とされた人物が首相になったりして、結果的にではありますが、そういう人物の力も借りて復興を果たしたわけです。となると、ドイツのように「切り捨てる」形の戦後処理はやりにくくなる。このあたりがいまだに戦後問題が尾を引いている原因ではないかと思います。

以前にも書いたことですが、やはりあの当時のベルリン・フィルの団員の皆さんにも、戦争責任はあるなと感じました。間接的にであれ、ゲッベルスに手を貸してしまったわけですからね。それは映画の中でも「あの時団員が立ち上がることも出来たはずだが、そうしなかった」と当時の団員が語っていた通りだと思います。

でも、そういう状況になったら、立ち上がれないものだと思います。だからこそ、そういう状況になる前に、きっちりと食い止めないといけないのだろうなと思うのです。

人間の本質は進歩しない、というよりも、寿命というものがある以上、ゼロクリアを繰り返さざるを得ないのかもしれません。しかし、だからこそ、月並みな言い方ですが、歴史に学んで、同じ過ちを繰り返さないことが大事なのではないかと感じました。

映画を見終わった後は、仮眠をとってNHKへ。その後よろよろと家に帰って仮眠して・・・ああ、本当はしっかり休養をとって次に備えるべきなのに。同じ過ちを繰り返しまくっている私なのでした。やれやれ。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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