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ジョン・レノン・ミュージアム

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

まず最初に、昼顔さん、1年間お疲れ様でした。いつも楽しみに読んでおりましたが、今回で最後とのこと、個人的にはとても残念です。たまーに「集中連載」なんて形でも、またニューヨークの様子をお聞きしたいなと思います。どうぞお元気で!

……さて、こちらはというと、描きかけのブログがクリックミスで消滅して、放心状態。しかたないので、2週間前の日記を引っ張り出すことに。

3月10日(蔵だしで申し訳ありません)

東京大空襲の日か。などと思いつつ、確定申告に行く。書類をそろえるのですでに精根尽き果てかけたが、自分を叱り付けつつ家をでる。あー、やだやだやだやだ。

会場に到着。経費をあれこれ計算して来ていたのだが、今年からPC画面に「合算」した額を入力するだけでよくなっていた。なななんだよう。早く言ってくれよう。心労が数十パーセントは軽減されたものを。

その後、近くのロイヤルホストで読みかけの本を読みつつ疲れを(?)癒す。読了したので宇佐美寛先生の、「『道徳』授業に何が出来るか」を読み始める……が、うーん、宇佐美先生、資料を意図的に誤読してませんかねえ。いや、印象ですが。斜め読みですぐに読了。せっかくなので、今年で閉館してしまう、ジョン・レノン ミュージアムに行ってみることにした。

館内はガラガラ。いくら平日とはいえ、これでは1500円もの入館料を取っても、経営的には苦しいだろうと思う。でも、これを維持出来ないというのも貧しい話だ。壮大な夢(と書いて「ムダ」と読む)を持つゆとりがあることが、本当の豊かさでは?と思う。ただ、一番最後のオノ・ヨーコの言葉を読む限りでは「このミュージアムすら彼女の動的「作品」なのかな、だから閉館するのはそれはそれで仕方ないのかな」とも思った。主に英語の表示だけを見て、表現を拾って回る。

家族とくつろぐジョンの表情が印象的だった。一人の若者の顔をしていた。40歳で死んだジョン。40歳の僕。40年で燃え尽きたジョン。なんとなく40年生きてきた僕。いろいろなことを思う。

音楽に文章に絵画。なるほど、天才だったのだな。

天才にしか見えない世界がある。周りの人に見えない世界を、何とか表現しようとするのは、孤独な営みだったのかもしれない。見えなくてもいいもの、聞こえなくてもいいものが、見えたり聞こえたりするのかもしれない。誰にも分かってもらえない苦しみもあるのだろう。

ようやくつかみかけた幸せが、銃弾で砕かれたのは、いまさらながら残念でならないと思った。

ミュージアムのラウンジで、「イエロー・サブマリン」の最初の30分ほどを見た。意外な曲がビートルズのものだったことが判明。小さいころ聞いた「あいうえおばけ」は、調べてみたらピンポンパンで使われていたらしい。また、ポンキッキでよく流れていた曲も出てきた。へえ。なんにしても、入館料分はきっちり楽しんだ。

その後最寄り駅のネットカフェで読書。ついでに漫画を読む。多重人格の登場人物が出てくる作品があって、人の死と「人格の死」について、ちょっと考える。

帰宅して息子を学童に迎えに行き、普段着のままジョギングへ。いつものコースを1周だけするつもりが、途中からコースをそれてコンビニに向かい、ビールを買ってしまった。健康的に不健康への道を歩んでどうする。でもまあ、ちょっと飲みたい気分だったので。

ワイワイと夕食を食べて、就寝。

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いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END