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通訳翻訳学会・翻訳研究分科会

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

今日は実川元子さんの「『翻訳とは何か』を教えること」という講演だ。実に興味深い話ばかりで、あっという間に時間が経ってしまった。以下、印象的なことを列挙する。

・翻訳を勉強したいと言う人に、次のような質問をしてみる
「好きな作家は?」
「好きな翻訳家は?」
「最近読んだ翻訳本は?」
「感動した翻訳本は?」
「ぜひ翻訳したい作家/本は?」
下に行くほど、答えが少なくなる。一番最後の質問に回答出来た人は、ほぼゼロだった

・「なぜ翻訳を仕事にしたいか」が見えない
「英語が好きだから」→こういう人に限って、実際に仕事をさせると信用できない
「英語が得意だから」→帰国子女に多いが、そうでもないことが多い
「英語を使った仕事をしたいから」→主婦などに多いが、現実はそれほど甘くない
「家で出来る/一人で出来る仕事だから」→同上
「退職後/家事の合間に出来そうだから」→趣味としてなら翻訳は良いが、仕事としてはどうか?

総じて言えるのは
「仕事(翻訳)で使える英語力を付けたい」
「仕事(翻訳)を取ってくる方法を教えて欲しい」
という動機で翻訳の講座を取る人が多いが、これは本末転倒ではないか
翻訳→「内職」というイメージが強い

・翻訳には、フレキシビリティーが大切
・経験にとらわれず、別の発想が出来るか?
→現役時代に役職についていた、いわゆる「偉かった」人には、難しいことも多い

*翻訳に必要な資質

・コミュニケーション能力
→狭い範囲の中でしか考えられないのでは困る。書かれていることをどう伝えるかという能力
→Blowin in the windを訳させてみる
→何が言いたいのか?を考える。時代背景を理解する必要性。ボブ・ディランは誰に向かって歌っているのか?
→「今の時代」で、「あなたの言葉」で訳す。ストーリーを作ることで伝えられる。
→60年代における若者のあり方と、今の若者のあり方。比較してみると、なぜ今、反戦運動が盛り上がらないかも見えて来る

・論理性
→小説などでは、感情の流れは論理に従っているはず。それがくみ取れる力があるか?論理破綻に気づかない人も
→大島弓子の「ダイエット」を教材に使う。マンガは感情の流れが分かり易い
→「その上飢餓状態なの。ハートがね」を、「ハート」を主語にしても伝わらない。
Besides, she should be starving for love.と、何を渇望しているのかを考えて訳す(なるほど!面白い!)

・諦めない
→言われたことをコツコツやるだけの人は、結局下訳担当で終わってしまう

・ヴィジュアル/音に敏感であること
→架空の町の話など、自分で地図を書いてみる。登場人物などの絵を描いてみる。出来れば自分で、下手でも
→原文と訳文を、必ず声に出して読むことによって、敏感さを鍛える
→文字・言葉だけで理解しようとしない
→イメージ・音をどう翻訳するかを考える。そこで俳句を教材に使って翻訳させる
→「夜桜や 美人天から 下るとも(一茶)」の「夜桜」をどう訳すか
→cherry at nightではない。それではイメージが浮かばない。
→イメージを持つ。ホワイトボードに夜桜の絵を描かせる。
→なぜきれいなのか?黒い夜空に白い花というコントラストがきれい
→桜の花がshining against the night skyと訳す(なるほど!)

・時代を読む力→市場性を見抜くこと
→良く知っていることを、そのことを全く知らない人に説明する。例えば、日本を紹介するガイドブックを英語で書く
→必要な情報を整理する。使う人が、どこに興味を持つか、どうやってその興味を満たせるか、使う人の身になって考える
→翻訳とは、情報を的確に伝達することである、ということを、もう一度認識させる
→つまり、書きたい事だけ書いてもダメ。読み手は何が必要なのかを考える!
→今、この時代に求められている情報/物語は何か?
→「今」の情報だけでは行き詰る。だから古典新訳の意義が生じる。温故知新
→紙媒体だけで良いのか?ネットなど他の媒体も
→さらに、英語だけで良いのか?

*量が質を作る
→量をやっているうちに、分かってくる。質も上がる。ある程度、勉強の量をこなしていないのに、質を求めてはダメ

質疑応答に移ってから「なぜ日本ではヨーロッパや中国と違い、翻訳者の養成が民間に委ねられているのか。スペインでは翻訳者は文化と文化の「仲立ち」になれるように、大学で指導されている」という質問があった。

実川さんもいろいろとお答えになっていたが、僕に言わせれば、日本の翻訳者(通訳者もだが)養成の事情は、「文化の仲立ち」などという状況ではない。まず、英語力が壊滅的に弱い。さらに背景知識も絶望的に足りない。おまけにコミュニケーション能力にも、時代を下れば下るほど問題がある。大学で教えるような、より高次の「理論」の出番は、日本の翻訳者教育では、なかなか廻ってこないと言って良いだろう。

発表が終わったあと、コーディネーターの水野的先生が、先週末(9日、10日)に立命館大学であった翻訳シンポジウムのスライドを見せてくださった。実に面白そう。来年もやるのであれば、ぜひ行こう。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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