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日本通訳翻訳学会 大会1日目

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

やはりというか何というか、抜かりなくドジを踏む。夜行バスの集合場所を間違えた。危うく乗りそこなうところだったが、何とか無事に出発。朝6時半ごろに名古屋駅到着。そこそこ眠れた。駅のトイレで着替えてヒゲをそる。結構ホームレスの人も体を拭いたり顔を洗ったりしていた。普段ならそういうことも目にすることはなかったわけで、人生いろいろなのだなと思う。

駅構内のパン屋さんでモーニングセットを食べて、のんびりペーパーバックを読んだ。夜行バスの中でもしつこく読んでいたので、どうやらこの出張中に読みきりそうだ。日経とデイリー・ヨミウリも買ったのだが、ついついスペンサー氏の捜査の行方を追ってしまう。店のBGMがオールディーズで居心地がよかった。

会場の金城学園大学に向かう。名鉄瀬戸線のなかで、神戸市外国語大学の石塚さんとバッタリ出会った。話をしながら数十分すごし、下車すると、事務局長の水野先生も同じ電車だったことが判明。声をかけていただく。会場入りしてさらにいろいろな先生方と久闊を叙す。

会場に入ってペーバーバックを読みふけっていると、「お、いぬさん、ロバート・パーカー読んでるんですか」と声をかけられた。ふと顔を上げると、同時通訳のオーソリティー、小松先生。なんだかマンガ本だらけの本棚を家庭訪問の先生に見られた中学生のように恥ずかしくなってしまい、「いや、これはその……」などとしどろもどろの返事をしてしまった。学術書のひとつも開いていれば良かったなあ。いや、そんなことろで良いカッコをしようとしても仕方ないのだけれど。

獨協大学でお世話になった永田先生にもご挨拶に行く。「落ち着いたら、また獨協大学にも出講して下さい」と言っていただき、本当に嬉しかった。

四国の高校で教えていらっしゃるO先生とも久しぶりにお会いして、いろいろ話していると、いよいよ学会の年次大会が始まった。

基調講演は、長崎オランダ通詞のご子孫でもある、名古屋学院大学名誉教授の、堀孝彦先生。「通詞と『対訳』辞書」というお話だった。以下、面白かった点を列挙する。

・通詞は50軒から百件ぐらいあった。
・4歳ぐらいから暗記中心の特訓が始まる。
・出来が悪い子は養子に出し、代わりに出来のいい子を養子に迎えた。
・神奈川条約、英日の文章があるが、対訳ではない。双方とも漢語訳からの翻訳
・「解体新書」凡例 「訳に三等有り。翻訳、義訳、直訳」
・「義訳」とは、「両国後の言語において一致した概念がないために生ずる、創作的翻訳とでも名付けるべきところのもの」であり、「解体新書」の述語の大部分は義訳(むしろ翻訳的義訳)
・engineeringと言えば、日本では「築城」のことだった。このためcivil engineeringという概念がどうしても理解できなかった。
・既成概念(訳語としての名詞、学術用語)の暗記→日常経験や考える過程の省略→哲学(=根拠を問う精神)なき国民?
・専門用語が学者用語として日本語の外にあり、その日本語でない専門語を安易に使うことによって、かえって日本語のなかに生まれるべきもの(=思想)としての専門語をおしつぶしているということがないか(内田義彦)
・伊藤博文「西洋のキリスト教の求心力に代わるものを」→日本の近代天皇制の誕生

午後は日本手話通訳士協会の小椋英子先生と、日本通訳翻訳学会前会長の近藤正臣先生の「手話通訳と音声通訳の接点を探る」と題した特別フォーラムだった。手話に関しては本当に無知だったが、これも実に面白かった。

・手話通訳の歩みは、聴覚障害者の権利運動と連携
・1965年蛇の目寿司事件の際、「権利」を表す手話すらなかった
・手話通訳者は、聴覚障害者にとって「社会的自立、社会的行動の自由の獲得のための協力者であり援助者であることがのぞましい」
・日本語にも手話にも精通していることが求められる(自分の日本語能力を超えた手話能力はつかない)→手話能力を英語力に置き換えると、そのまま通訳者に当てはまる
・聴覚障害者の認識の組み立て方について、知識が十分あること
たとえば、「山手線」を、いきなり「山」、「手」、「電車」と手話で伝えても、伝わりにくい。
聴覚障害者は、まず「視覚」で認識するので、
「緑」、「電車」と伝えてから、「山」、「手」……とやれば伝わりやすい
・NMS→手と指以外のサイン(表情、お辞儀など)を使ってのコミュニケーションも重要
・ところがアメリカの法廷通訳で、「気が散るから余計な動きはするな」という注文がついたことも。不適切。
・日本手話(自然発生的に出来たもの)と日本語対応手話(日本語の語順で話す手話)の2つがあり、場面によって使い分けている。
・どのような手話を使えば通じるのかを考える(聞き手が小学生か?専門家か?)→僕が通訳学校で話していたことと、全く同じ。インプットが同じ言葉でも、TPOに合わせてアウトプットは変えていくべきだと思う。

講演が終わって質問タイムに入ったので、「NHKの手話通訳ニュースを見ていて思うのだが、聴覚障害者にとって、手話と字幕とでは、どちらが分かりやすいのか?」と質問してみた。そのお答えが、実に興味深かった。

・聴覚障害者は「手話」と「書記日本語」の知識のどちらも必要。
・ある程度大人になってから聞こえなくなった人は、書記日本語の知識には問題ない。
・子供のころから聞こえなくなった場合、書記日本語(書き言葉)の知識が不足していることもある。
・政見放送などは、手話だけでなく、字幕も併用してほしい。
・書記日本語に起因する誤解もある
仕事のFAXを送った後、「FAXは届きましたか?」
→FAXそのものが届いたかと思ってしまうので、「FAXの文書は読んでくれましたか?」と書けば誤解がない。
出欠を問われたので、FAXで「実は、Aさんはお休みです」とFAXで返信。
→「みのるさんは、関係ありませんが」との返事。「実は」を誤読。

聴覚障害者の認識の仕方などは考えたこともなかったので、「いざとなれば筆談で」という考えも、場合によってはうまくいかないことが分かった。

コーヒーブレイクの後は、青山学院大学の染谷先生の発表。映像翻訳(字幕)の授業についてで、学生たちにどう訳文を磨かせていくか、訳出のガイドラインを示して指導する方法が見事に確立されていた。ぜひ通訳の授業でも応用してみたい。来年度映像翻訳の授業を開講する際にも、ぜひ授業の土台として使いたいと思う。発表前にご挨拶に行くと、いろいろと親切に言葉をかけていただい

た。大学教育の世界に引っ張ってくださった方なので、いつか何かの形でご恩返しが出来れば良いなと思う。

字幕翻訳の4つの技法
1 直訳
そのまま訳しても制限字数内に収まり、意味的にも語用論的にも原文のイトを適切に反映できる場合に適用。

2 削除(=部分訳)
いくつかの単語を部分的に削除するだけで十分に原文のイトを反映できる場合に適用。基本的には、原文中の重要な情報を担う「キーワード」を中心に、必要最小限の語数で字幕を構成する。

3 補足(=明示化)
直訳法では意味が曖昧になったり原文のニュアンスが適切に伝えられていない場合、あるいは原文の意図をより明確にするために、必要最小限の補足を加える。大きく分けて、統語論的な補足、語用論的な補足、および異文化コミュニケーション的観点からの補足がある。

4 言い換え
直訳法では字数制限をオーバーしてしまう場合、または直訳法で上手く字数制限内に治まっても、意味が通じないか、目標言語の字幕として適切な表現にならない場合、および削除法や補足法では下の字幕の意図が十分に伝えられないか、目標言語の字幕としては適切な表現にならない場合に、対象字幕の全体またはその一部を別の表現に言い換える方法。通常は(より簡潔にという制約が働くため)情報の圧縮を伴うが、場合によっては原文またはその素訳より長くなることもある。

3つの「コツ」
1 表現を控えめに
特に語尾に注意。「行くわ」「行くんじゃ」「行くぜ」などは、(ここの状況にもよるが、一般的には)単純に「行く」と言い切ってしまう方が良い。

2 前出・後出の字幕(直近字幕)との補完性を利用する
ex. 「トムは元気か?」「ああ 元気だ」というのが原文だとすると、
「トムは元気か?」「ああ」(前出の「元気」を利用)
「トムは?」「元気だ」(後出の「元気」を利用)

3 対応する映像などの「非言語メッセージで字幕を保管する
ex. (指を切った場面とともに)「痛ッ!指を切っちまった!」
(指を切ったという説明は画面に任せて)「痛ッ!」
この場合、登場人物が「指を切った」ことや「痛い」と感じていることは画面からも明らかなので、(もし前後の状況からそれが適切であれば)「畜生!」や「くそ!」のように言い換えてしまうこともできる。

う〜ん、なるほど。感覚的に何となくやっていたことを、見事に明示化されている。どんな技術の伝達でもそうなのだが、こういう「暗黙知」をどう伝えていくかがポイントだなあ。

出だしの部分の訳に、まず教師がコメントを加え、どういうところに注意すれば良いのかを示した上で、後は学生たちに訳文チェックをさせるというやり方も、なるほどと思った。詳細なハンドアウトもある、至れり尽くせりの発表だった。もう2時間ほど聞いていたかった。

続いては小松達也先生の通訳クラスのための音声教材についての発表。

音声教材の種類
1 実際の国際会議、セミナー、講演会などでのスピーチ、討論を収録したもの
2 教師の企画、制作による対談や討議を収録したもの
3 学生など受講者自身によるスピーチや対話、討論

1に関しては、面白いのだが、大学生(特に学部生)にとっては、言語レベル・内容の面で高度すぎる
2に関しては、適切な出演者を選ぶ必要があるが、トピック、シナリオ(storyboard)、言語レベルの難易度、テーマなど、受講者に合わせコントロールが出来る。
3に関しては、生のスピーチで臨場感がある。学生のスピーチの訓練にもなる(十分準備はしても原稿は読まない)。いろいろな話題について考え、話すことの訓練になる。基本的に母語へのスピーチ。

2に関しては、新聞記者、ビジネスマンなどがとても面白い話をしてくれることが多い、とのこと。

これも非常に参考になった。うちの大学はいろいろな言語の先生がいらっしゃるから、そういう先生方に英語を話していただければ、様々なアクセントの英語に慣れる格好の教材になると思う。

また、英語圏(英語が公用語として使われている国を含む)からの留学生に協力してもらって教材を作っても面白い。

発表の後はレセプション。名古屋名物のエビフライやら味噌カツやらきしめんやら、食いしん坊にはたまらないメニューにかぶりついていると、会長の鳥飼先生が「どうですか?専任になってみて」と声をかけてくださった。思えば去年の大会で、鳥飼先生に今いる大学の学科長の先生を紹介してもらったことが、専任講師着任のきっかけだったのだ。僕の方からご挨拶に行くべきところを大変失礼してしまった。慌ててこのところの様子などをお話しする。それにしても、高校生の時に参加した英語セミナーで、ゲストスピーカーとして招かれていた、雲の上の存在だった方といろいろとお話が出来るとは。何としても頑張って結果を出そう!

帰りの電車では、NHKでもよくご一緒する、ベテラン通訳者の新崎先生とお話しする。「意訳」と「直訳」について熱く語った。結局染谷先生のおっしゃっていることも、新崎先生のおっしゃっていることも、僭越ながら僕が教室で言っていることも、要は同じことなのだと思う。大切なこと、真実は1つということだ。つまり翻訳にせよ通訳にせよ、SLとTL(原語と訳語)が一対一で対応するわけがないし、メッセージを誠実に伝えようとすればするほど、そういう形式上の対応からは逸脱せざるを得ないことが多くなる。

向かいのロングシートでは、小松先生がニコニコしていらっしゃる。存じ上げなかったのだが、もともと名古屋のご出身なのだそうだ。大阪に疎開し、その後東京に移られたとお聞きする。終点についた頃には、座ったままお休みになっていた。柔和なお顔に刻まれたしわの一つ一つに、いろんな歴史があるのだろうなあと思いながら肩を叩かせて頂き、みんなで下車。

ホテルの位置が分からず遭難しかけたが、何とかたどり着き、いろいろな意味で満ち足りた気分で、あっという間に眠りに落ちた。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END