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日本通訳翻訳学会 2日目

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

学会二日目。寝付かれないからといって、ペーパーバックなど読んで夜更かししなければ良かった。ちょっと眠い。まだ昨日詰め込んだ知識と食べ物とアルコールが未消化な気がするのだが、電車に乗って出撃。降りたところで鳥飼先生たちに会ってご挨拶する。

さて、今日はバース大学の後輩でもある、神戸市外語大の石塚さんの発表からスタートだ。発表前にいろいろとお話をする。今は仕事を絞って、研究に打ち込んでいるということ。やりたいことはたくさんあるのだが、それ全部に取り組む余裕がないのは分かっているので、今は博士論文に集中しているということだった。それだけ研究テーマがあるということが凄いなと思うし、何一つ浮かばない自分がいかにまずい状態かということもよく分かった。

他の方と話している石塚さんが「研究を面白く出来るかどうかは、自分の取り組み方次第だと思うんですよ」と語っていて、そうだなあ、いい事聞いたなあ、と思う。ただ、そこで止まらずに何らかの研究に結び付けなければ、ワイドショーを見ながらうなずいている人と、何ら変わらんのだよな。

発表は、「通訳者の発話理解における独自の視点の導入」というもの。発話理解において事象構造の把握が決定的な役割を果たす場合があるが、この際通訳者が独自の視点を導入してコミュニケーションに積極的に関わるという内容だった(違ってたら済みません)。

例えば、
Jane needed Susan`s pencil. She gave it to her.
という文章の2文目、She gave it to her.それだけを取り出しても、sheとherが何を指すかは、当然特定できない。ちなみに、この文章全体を示して、第2文の代名詞が何を指すかを問うと、ネイティブでも小さな子供は間違うそうだ。全体の関係性、つまり事象構造を把握することが求められるということ。

これを通訳者が訳出すると、事象のとらえ方の違いから、第2文の訳出にも複数の可能性がある。まず誰もが思いつくのが
「スーザンはジェーンに鉛筆を与えた」
というものだが、視点をスーザンからジェーンに移動することによって
「ジェーンはスーザンに鉛筆をもらった」
と訳出することも出来る。ただ、もちろんいつも視点の移動が起きるわけではなく、追加労力に対して得られる効果に変化がなければ、わざわざ移動させることはない。

この考え方を基本に、NHKで放映された同時通訳の原発言と訳出を比較対照して、通訳者の独自の視点の導入について分析していた。この「独自の視点の導入」は、通訳者の意識的努力によって獲得されるものというよりは、原発言の表面的特徴にとらわれない柔軟な姿勢がもたらした、とのこと。これは非常に面白かった。後は、情報をそうやって柔軟に吸収できる力のない通訳学習者に、どうやってそれを出来るようにするかが、我々教育の現場にいる人間への宿題だろう。

うーむ。まあ、基本的に圧倒的な英語力と日本語力が必要だろうなあ。自力で気づかせるしかないか。公式みたいに「こういう場合は、こういう視点を導入する」などと教えたら、かえってそれが情報の柔軟な吸収を阻害する恐れがあるし。

続いて新崎先生の「通訳者のコミュニケーション調整」について。これは通訳における「不変・不介入原則」(何も足さず、何も引かず)に対して異を唱えるという、非常に野心的、かつ、個人的には「良くぞ言って下さいました!」と叫びたい内容だった。

もちろん、不変・不介入原則からの逸脱にもいろいろあって、通訳者の力不足による逸脱(=誤訳)もある。例えばIt is fair enough.を「大変公平です」と訳した場合がそう。

それに対してIt is too optimistic.を「読みが甘すぎませんか?」と訳したり、大きな航空母艦をan unsinkable aircraft carrierと訳すなどが、新崎先生が今回問題にしている逸脱行為だ。

通訳者のこのような逸脱行為には、3つの特徴があって、

1 通訳者に逸脱行為という自覚がある。(本来の責任を超えるもの。原発言に忠実であるべきだが……という悩みを抱えている)

2 コミュニケーションに貢献しようという動機から行なわれる。(これでは印象が悪くなってしまうから調整しよう。これでは誤解されるから、まず謝っておこう)

3 利用者や同僚の指示がある。(以前に逸脱行為をやって、「交渉が成功したのはあなたのおかげだ」などと好意的に評価されている)

というもの。また、通訳の「正確性」に対する堂々巡りという指摘も実に興味深かった。

1 原発言を、なるべく変えないのが通訳の理想
2 それには、言葉の置き換えで済ませるのが一番
3 しかし、置き換えだけでは上手く聞き手に伝わらない
4 聞き手にとって良く分かるのが、正確な通訳だ
5 しかし、分かるように変えるためのルールがない
6 だから、通訳者が勝手に変えてはいけない
→1に戻る

僕が思うに、これこそ通訳の現場で通訳者が直面するジレンマだ。どこまで変える、つまりどこまでコミュニケーションに積極的に介入するかは、ケースバイケースで判断していくしかない。

新崎先生は、「通訳者はコミュニケーションの成功に貢献したいという欲求を持ち、相互理解を促進し対立を緩和するようなコミュニケーションを行なう」という結論を、コミュニケーション調整理論などを援用して述べられていた。そして、今後の課題としては

・「不変・不介入」原則の順守は可能か?
・通訳者のコミュニケーション調整についてのルールを作ることが可能か?

という、ある意味矛盾した、実に難しい問題を提示されていた。実務の中でいつも感じているモヤモヤに、正面から斬り込んでいった、実に力強い発表だった。これからの研究が本当に楽しみだ。その成果をぜひ自分の通訳業務にも応用していきたい。

続いては、大東文化大学の篠塚さんの「通訳訓練法と文法や功徳における効果測定」。通訳訓練法(主にスラッシュ・リーディング、シャドーイング)を導入したA群と、文法訳読(通常の文法訳読をして、聞き流すタイプのリスニングと、音読)のB群の2つに分けて、英語力の伸びをTOEICで測定したとのこと。

予想に反して、平均スコアはB群の方が4点高かったが、A群にはTOEICのスコアが150点以上伸びた者が多数おり、さらに速読力測定でも伸びが確認できたという。

また、NIRSという機器で脳の活性度を測ったところ、一番活性化していたのがシャドウイングで、リスニングでは活性度が低く、音読でもそれほど上がっていなかったそうだ。

発表を聞き終わって私が質問したのは、

TOEICという測定方法自体が、そもそも通訳訓練法に有利なのではないか。英検などのテストであれば、また別の結果になっていた可能性はないか。
・音読の脳活性度が低かったのは、ただ漫然と読み上げるだけになっていたからではないか。リスニングなどでしっかり発音を認識させ、それを再現するという課題を持って取り組ませれば、音読はシャドウイング並みの活性度を必要とするトレーニングではないか。

という2点でした。篠塚さんによると、英検などを使った場合だと、どの級の問題を使用するかなど、いろいろな問題があるそうで、また、音読に関しては、恐らくそうですね、とのことだった。終わったあとしばらくいろいろお話する。

結局、通訳訓練法は文法訳読法を代替する必要はなく、あくまでその欠点を相互に補完するような訓練法なので、文法訳読が十分に出来ない学生相手にいくら通訳訓練法でトレーニングしても、限界がありますね、というあたりで松山のO先生と3人で意見が一致する。

コミュニケーション重視は良いが、文法訳読軽視、どころか敵視して排斥という動きには、首を傾げざるを得ない。何でも「間違いは直すな。コミュニケーションの意志を阻害する」というお達しまで出たそうだ。

誰でもかれでも英語でコミュニケーションする意志がなくたって、別段構うまいに。そういう人が、必要に迫られて間違いなくコミュニケートするために必要なことを教えていくのが、むしろ必要なんじゃないだろうか。間違いを直されてコミュニケーションの意志をくじかれるような人は、そもそも英語でのコミュニケーションは必要ではないのだ。

それどころか、日本で暮らす限り、そもそも英語は必要ないのだ。そのあたりをどう考えて「オールイングリッシュ」の方針を出しているのか。大多数の日本人にとって、主に必要なのは、口頭でのコミュニケーション力ではなく、あくまで「読み書き」であって、習得に多大な努力と(ある意味で)センスも要する「話す聞く」の分野は、必要に応じてアウトソーシング(通訳者にまかせる)すればいいのにと思う。

週に数時間の授業を無理矢理英語で行なったからと行って、それでコミュニケーション力が跳ね上がるとも思えないのだが……。

さてさて、午後の最初の発表は、東京外国語大学の内藤さん。「自学自習形式を取り入れた双方向型の通訳実習指導方法の一考察」という内容だった。これは自分の教え子たちが、将来的に通訳実習をするうえで、非常に参考になった。

実習の準備も、実習用アップローダーに用語集を共同で作らせ、学生代表を決めてスピーカーと交渉に当たらせるなど、きめが細かく実践的な内容だ。

この学生代表を決めるという点がカギだなと思う。原稿をもらえるのか、もらえるとしたらいつもらえるのか、また、講演会当日の通訳ローテーションなども決めさせるのだそうだ。

また、原稿がもらえた場合は、それを学生がICレコーダーに吹き込んでアップロード。同時通訳の練習をするという。

スピーカーには事前打ち合わせを行い、学生個々人の準備や勉強会で明らかになった疑問点、質問をスピーカーに確認する。また、この際スピーカーの話し方の癖やスピードを把握するとともに、過去に通訳者を使った講演をしたことがあるか、講演で何を一番強調するのかなども聞いておく。

素晴らしい。実に素晴らしい指示だ。Sink or Swimという乱暴なアプローチでもないし、過度に手取り足取りというわけでもない。学生が自力で切り開いていけるよう、絶妙のバランスが保たれている。

そして、実習の後は、自分が担当した部分の通訳の音声を書き起こし、自分自身だけでなく、クラスメートの実技についてもフィードバックを行なう。

さらに、それを報告書にまとめる。
・事前準備
・通訳業務(声、態度、内容、発音)
・依頼者とのコミュニケーション
などについて、5段階で自己評価したあと、
・準備段階で行なったこと、
・通訳業務で気づいたこと、学んだこと、反省点
・次回に向けての課題
などを自由に記述させる。

また、自己学習管理記録表を書かせる。
・いつ、どこで、何を、何時間やったか

そういう学習時間の各学期あたりの下限も設定しており、
修士2年生なら150時間
修士1年生なら120時間
学部3年生なら100時間
となっているそうだ。

また、学習指導に関しては、
・学生は、自己学習管理記録表、用語集、講演会ポスター、各種資料などをまとめた「個人学習カルテ」を各学期の中間・期末時に提出
・複数の教員が内容を確認し、フィードバックを書き加えて返却。様々な観点からの個人指導が付加された「双方方学習カルテ」となる
・次学期で達成されるべき目標の再設定にも使えるし、将来雇用主に提示することも出来る。
とのこと。

システマティックだ。実に素晴らしい。しかも、この通訳実習は単位が出ない、あくまで課外活動的位置づけなのだという。それを月に数回……。学生も教員も、本当に凄いと思う。実際の通訳実習は修士の2年生が担当するとのことだが、うちの通訳翻訳課程でも、もっと講演内容を初歩的なものにして、何とか実施できないだろうか。

続いては神戸松蔭女子大学の平島さんの「日英同時通訳における起点原語日本語の分析」という発表。

日本語と英語は語順の差があるため、通訳者は何らかの形で起点原語である日本語を分析して先読みをしているはず。そういうCueの整理分析を行い、意識的に利用できる方略にしようという研究だった。

このため副詞、接続詞、名詞、イディオムなどに注目して言語的予測を伴う同時通訳をさせたところ、やはり経験のある通訳者であるほど上手く出来たとのこと。具体的には、言語的予測に使われる部分を削除して、文の述部を言語的に予測せざるを得なくして通訳させた。

これは果たして同時通訳させる必要があったのか、日本語を聞いて日本語で述部を予測させるという実験でも同じ結果が出たのか、それとも出なかったのかというようなことを質問したが、平島さんも同じことをお考えだったようだ。

続いて大阪大学の丁紀祥さんの台湾における、インターネット通訳学習サイト。どちらかというと、通訳学習より日本語学習に重点を置いたサイトだったが、とてもよく出来ていた。
www.itbi.com.tw/

その後通訳教育分科会のプロジェクトについての発表を聞いている途中で、急用のため残念ながら帰宅。いろいろと今後のヒントをいただいた大会であった。< br />
帰りの新幹線の中で、読んでいたA Catskill Eagleを読み終わるが、何だかちょっと後味が悪いような。最初の頃の、予定調和的な爽快感に欠ける。だんだんスペンサーが探偵なんだかゴロツキなんだか分からなくなって来てしまった。スーザンも以前のはつらつとしたやり取りはなくて、深く病んでる感じだしなあ。この先どうなるのだろう?

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END