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通訳「教育」は可能か?

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

通訳を志す人に「通訳教育」を施して、通訳者にすることは出来るのでしょうか?

通訳を教えている身として、のっけから自分のまたがっている木の枝を鋸で切るようなことを言っているのは、自覚しています。でも正直な話、「通訳教育」とは、具体的にどんなことを「教育」することを指すのかと、たまに考え込んでしまうんです。

そりゃ、「トレーニング」はいろいろあるんですよ。シャドウイングとかスラッシュリーディング、リテンショントレーニングにサイト・トランスレーション、そしてもちろん通訳訓練そのものとか。

でも、それって「英語」トレーニングなんですよね。通訳訓練(実際に指名して通訳させてコメントする)は違うと思うかもしれませんが、最近では「英語トレーニングの一環としての通訳訓練」などもあるので、そうとも言い切れません。

大学での「通訳」を冠した授業にしても、ある先生が「それを受講したのに通訳のプロになれないと言うことは、『通訳教育』としては失敗しているのであって、であるならば、『英語教育』としてどのような成果があがったかが肝心なのだ」とおっしゃるのをお聞きして、なるほどと膝を打ったことがあります。

膝を打った直後にゾッとしたのですが、通訳学校の授業においても、同じことが言えるのではないでしょうか。私が担当していたのは、通訳コースの一番初歩のクラスと中級クラスでしたが、特に前者では授業のほとんどが「通訳」のトレーニングではなく「語学トレーニング」に割かれていました。そういう位置づけのクラスなので、別に羊頭狗肉というわけではないのですが、決して安くはない授業料の対価として生徒さんは何を受け取っているのかなと、考えてしまったのでした。

・・・と、一生懸命思い出しながらキーボードを叩く隣の部屋で、4歳の娘が「ゲゲ○の○太郎」の歌をエンドレスで歌っています。それだけなら良いんですが、歌詞が微妙に違ってて、ツッコミたくてツッコミたくてたまりません。

「たのっしな たのっしな (軽くシンコペーション)
お化けにゃ 学校も〜 仕事も何にもないっ!」

ほほお!お化けはニートだったのですかっ!(正解は「仕事」ではなく、「試験」です)

・・・閑話休題。結局、初級クラスの場合は、英語トレーニングと通訳に対する若干のコメントと励まし、中級クラスの場合は通訳に対するコメントと学習継続のインセンティブを得る対価として、生徒さんは学費を支払っているように見受けられました。

前回「通訳はサービス業だ」というようなことを書いたのですが、サービス業なのは「教師」とて同じであって、学習者の求めるものを与えられ、目標を提示してその方向へ誘導できて初めてまともに仕事をしていることになります。

そんなわけで、生徒さんの「求めるもの」は何となく分かったのですが、問題は「通訳に対するコメント」とは何かということなんです。

「指名して通訳させて、それに対してコメントを加える」というのが、通訳クラスにおける一般的な授業風景なのですが、それが授業のメインを占めており、生徒さんの主なニーズである以上、どんなコメントを加えるかがとても重要なことだと思うんです。

しかし、明確な基準を持つことがなかなか難しいんですよ。「木を見て森を見ず」的な訳の方には「もっと全体的なメッセージをとらえて」と言わないといけないんですが、全体的なメッセージがとらえられたら今度は、「もう少し細かい情報も拾いましょう」などと言いたくなってしまいます。つまるところ、両方とも必要な要素なのですが、まだまだ英語力が不足していて、その都度どちらかに焦点をあてていくしかないんですね。

このあたりは、通訳学会の染谷先生も「通訳翻訳ジャーナル」でお書きになっていて、非常に参考になりました。
http://www.someya-net.com/10-JAIS/TsuHonJournal/someya(No_5).html

まあ煎じ詰めると、ヨーロッパなどにおける通訳教育と日本における通訳教育の前提条件の違いに行き着くのですが、ヨーロッパで通訳を学ぶというと、通訳に使う言語については、ほぼネイティブレベルの力を持っていることが前提になるのだそうです。「通訳教育は、6ヶ月で十分」という意見を初めて聞いた時は、目が点になったのですが、前提条件がそれなら納得が行きます。

しかし悲しいかな、日本の通訳教育においては、そのような状況は望むべくもありません。私自身をとってみても、ネイティブレベルには程遠いまま、悪戦苦闘しているのが現状です。

となると、いきおい「通訳教育」はかなりの部分、「英語教育」とオーバーラップしてしまうことになるのです。コメントにしても、英語の理解力や表現力について言及することが多くなります。

そうなると、通訳者としての立場からの講師がコメントとすると言っても、かなりの部分、「英語教育者」としてのコメントとなるということです。だとすると、そのコメントにどれだけの専門性があるのか。

ある通訳学校でやはり講師をされている、池田和子さんが書かれた「逐次通訳演習における教室内でのペアワークの効果」という論文があるのですが、これを興味深く読みました。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jais/kaishi2002/pdf/09f-ikeda_02_.pdf

仮説の一つに「講師によるフィードバック(コメント)と、通訳を学ぶもの同士のフィードバック(コメント)とでは、種類や質にほとんど差がないのでは?」というものがあり、これがその通りだとすると、我々講師の役割は一体どういうことになるのだろうとドキドキしながら読み進みました。で、結論から言うと、全体的に見て大差がなかったそうです。がーん。

ただ、講師のコメントも、生徒同士のコメントも指摘する分野は同じであるものの、そのウエイトのかけ方が違ったとか。講師がより戦略的なアドバイスを心がけることで、より効果的な授業が展開できそうだとのことです。

ただ、考えてみると大差がなかった理由は、コメントの多くが講師・生徒ともに「単語・表現」に関するものに集中したことにあるのではないでしょうか。つまりは、「英語」レベルの指摘が一番多かったということなのではないかと思うのです。

前述の染谷先生は、「通訳訓練の3Dモデル」を提唱していらっしゃいます。
http://www.someya-net.com/10-JAIS/TsuHonJournal/someya(No_4).html
要点を言うと、

通訳力=(語学力+知識ベース)×通訳スキル

となるということです。ただ日本語と英語が出来るだけでも、物知りなだけでもダメで、さらに言えば、その両方を

兼ね備えた上で、通訳スキルを身につけていないと通訳力につながらないということですね。

それで、です。池田さんの論文にもあり、私自身も実感している通り、通訳学校ですら指導の中心は語学力に置かれているのではないかと思うんですね。

個人的なイメージから言うと、通訳学校とは生徒が「通訳スキル」を習得する場なのであって、講師はそこを伸ばせないといけないのではないかと感じるんですが、では通訳スキルを伸ばすには・・・と考えると、そもそも具体的にそれが何かがよく分かりません。

染谷先生の論文を読むと、どうも「通訳スキル」とは「言語操作能力」と重なる部分が多いように思うのですが、その理解で良いのかどうか。

もしそうだとすると、結局は「国語教育」とか「論理教育」などとかなり重なってくるのではないかという気がするのです。例えば、三森ゆりかさんの「外国語を身につけるための日本語レッスン」などで挙げられているようなエクササイズが効果的なのではないでしょうか・・・と言いますか、実際効果的だと判断して、初級のクラスでは一部取り入れてみたりしていたのですが。

結局、母語である日本語を使いこなせている人(母語が英語なら、英語での総合的なコミュニケーション能力に長けている人)が、「勝手に上手くなって行く」というのが、教えている立場からの実感でした。同じフィードバックをしても、メッセージを的確にとらえ、しかもそれを的確に再表現できる(自家薬籠中のものにできる)ので、伸び方が違うのです。もちろん英語力を向上させ、知識量を増大させる努力が伴っていたことは言うまでもありませんけれども。

さて、それで冒頭の言葉に戻るのですが(前回と同じパターンですみません)、生徒さんの力が伸びたとして、それは果たして我々講師の「教育」の成果なのかどうか・・・。

まあ、別に予備校の先生みたいに「プロ通訳者の輩出数」が「優秀な通訳教育者」の直接的なバロメーターになるわけではないですし、「教育」の成果だろうが生徒さん自身の努力の成果だろうが、要は生徒さんがプロ通訳者になれれば私は嬉しいのですけれども、通訳「教育」の一端を担うものとして、たまーに腕組みをして首をひねってしまうテーマではあります。

もっとも、大学の「通訳」の授業では、英語教育をメインにすえていますから、通訳トレーニングを通して学生さんたちの英語力が伸ばせれば、個人的にはそれで良しとしているんですけれどね(プロを目指す人には、個別にアドバイスしています)。

さて、来週の授業の準備にとりかかるとしますか。4月から7月までの4ヶ月は、ひたすら迫り来る授業をインベーダーゲーム(古いですねえ)のように迎撃し続ける日々が続きます。少しでも充実した授業にしたいものです。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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