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あゝ矛盾だらけの此の世界!

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通訳・翻訳者リレーブログ

ミュージシャンには、この地球のこと、自然や動物に敏感な人、ベジタリアンやヴィーガンが少なくはなく、その思いや考えや活動内容を、インタビュー中でも、熱心に語ってくれることがあります。
その中には、ふたつのタイプが存在します。
ひとつは、自分の見方が絶対的だと信じ込み、他者の声には耳傾けず、自分の思いを周囲に一方的に押しつける、感情的でエキセントリックなタイプ。
もう一方は、その分野を深く研究し、100人いれば100とおりの考え方があるとし、すべてを冷静に客観的に見ているタイプ。
どちらのタイプの意見も、聞いていてとても興味深い。

それにしても、環境問題や動物愛護、考えさせられること、分からないことの多いこと……。

“エコバッグ”。あれは何から作られているの? 何枚も持っていて違和感ないの? それからあの高級ブランドの高価なエコバッグ。ああ、もう何が何だか…。
“ミネラル・ウォーター”。水道水をそのまま飲める、世界的に稀有でありがたい此の国で、わざわざ外国の水を買う必要、本当にあるの? それとも“きれいな水道水”と言うのは、単なる誤解?
だいたい、その水を詰める“ペットボトル”。あれは地球にやさしいの? リサイクルされるから良い…と満足しているけれど、でもそのコスト&エネルギーは、どうなっているの?
“ゴミは出さない増やさない”。つまりそれは、“ものを買わない”と言うこと? そうしたら国の経済、先行きはどうなるの?

“トレッキングに山登り”。いつの間にやら、この大ブーム。“自然を満喫したい”と言い、流行りのファッション身にまとい(=買いまくり)、集団で出かける初心者マークの人たち。自然を愛でているつもりが、でもその実、自然を破壊していることに、気づいているの?
“伐採反対、森を守ろう”。でもそのアコースティック・ギター、その家具、その机、そこにあるそれとかこれとか、何で作られているの?
“割り箸は自然破壊、伐採反対”。でもどういう木を使用しているのか、調べたことはある?
“自然にやさしい生活を”。そう言う一方で、それほど年期のいかないビルを、どんどん取り壊しては、跡地に安普請(やすぶしん)のビル建てる。
街のど真ん中にいきなり、スカイツリーなるモノを設計し、その高さがナンバーワンになった…と歓喜する哀しき人間たち。

“フルーツは皮ごと食べましょう”。でもそれ、どういう土地で育ったもの?
“無農薬野菜”。でも本当に本当に無農薬? そんなこと、あり得るの?
“自給自足”。そんな生活を“おしゃれ”だと、ひとり酔いしれ、おまけに周囲を煽る、“カリスマ”とか“セレブ”なる種の人々の、イタく胡散臭い生き方。
化粧品、石鹸、歯磨き粉、洗剤、あれやこれや。“自然から成るもの”だけで生活することなど、今の時代、本当に可能なの?
屋根にソーラーなんとやら。実際にフル稼働するまで、何年かかるの? だいたいあの装置自体、資源の無駄になってはいないの?

ああ、キリがない。

今年の夏が猛暑だったからか、部屋の中では昼も夜も、冷房を付けることを、誰も彼もが訴え続け。昨年までの“省エネ”とやら言う話、あれはどこへ吹っ飛んで行ってしまったの?
“地球温暖化”。エルニーニョ、ラニーニャ。あぁまたそれですか…。何かあるたび、すべてそのせいにしてしまう昨今。非常に分かり易い構図ではあるけれど。それを唱えるたび、背後に潜む大金稼ぐ大勢の人々。その存在の何とも不気味なこと。
CO2を削減すれば、それで問題は解決するの? 本当にそんなに単純な話なの?
だいたい、地球温暖化って、そんなに悪なの?

エコやらリサイクルやら。それが今のトレンド。みんな右へ倣え、そうしてみんな、気持ちよくなっている。

トイレで、“あの音”を消す為に水を流したり(そこでやってるコト、みんな知ってるんだぞ!)、“音出し装置”を使ったり(そんなモノ、それこそ無駄遣いじゃないか?)、ナプキンを二重包装して貰ったり(ソイツのどこが恥ずかしいんだ?)。それで、“エコエコ”の大合唱。
“抗菌抗菌”って、そんなに菌が怖いか? 無菌状態がいいのか?
ニッポンのオンナは、限りなくアンビビーバボー!

あっ、こりゃ余談。

マスコミに持て囃されている人の言うこと、売れている書物に綴られていること、それは絶対的なの? “有識者”って何者?
核廃絶を宣言しながら、核実験をする国。核廃絶を訴えながら、核に守られる国。
子供に甘く、大人に冷たい国。
“少子化”。そんなに問題?

もう、どんどん脱線しそう。

“動物実験、動物の命を奪うことに反対”。でも着ているそのジャンパー、履いているその靴、持っているそのバッグに財布、それは何で出来ているの?
“鯨やイルカは、知的な動物だから、食用にしてはならない。牛やブタは、人間が食用にする為に、神様がお与えくださったもの”。本当にそう信じているの?
“鯨は絶滅の危機に瀕している”。どこの何の統計を元に、語っているの?
“犬鍋”。それぞれの食文化。なぜこればかりが非難されるの?
ガチョウの肝臓を人工肥大させる“フォアグラ”、牛を最後には殺す“闘牛”。あれ等は許されるの?

“ボクたちの棲家と食糧を奪って、それでそっちに降りて行ったら、いきなり射殺だなんて、冗談じゃないぜ!”…と嘆くクマ&サル&イノシシたち。
“こっちに勝手に連れて来ておきながら、生態系に悪影響だとか、有害だとかって、いつの間にか邪魔者扱いとは、ヒドイ話だよなぁ!”…と怒る外来種たち。
“増え過ぎたって、いきなり駆除するなんて、メチャクチャ過ぎるよ!”…と鳴く北の国の動物たち。
“山に食糧がないから可哀そう。木の実を撒いてあげよう”。そ…そんなことしていいの? それで問題は解決するの?

空前のペットブーム。服を買うように動物を買い、飽きたら平気でポイ捨て。殺処分される犬猫の凄まじい数。
都合の悪いことは、見ざる聞かざる言わざる。都合の良い時だけ、“動物との共存”を唱える、不思議な動物ホモサピエンス。

書き出したらキリがない。

“発展途上国”の人々により、大量生産される安価な服を、大量に買いまくり、大量に捨てる“先進国”の人々。その一方で、消費社会を一方的に否定し、節約することを肯定し、質素な生活を提唱する人々。
“昭和、昭和”と連呼し、あの時代を、一方的に美化し懐かしむ。そんなに良かった? そんなに過去に戻りたい? 

あの時代を知らない世代よ、この時代はそんなに悪いか?

自然回帰、文明否定。そう簡単にはいくまい。

その理想とする生き方を、実行に移すとしたら、そのように地球の未来を考えるのなら、人間はもはや、現在のような家には住めないし、ものを食べることはできないし、服を着ることはできない。いまの生活をすべて放棄し、森の中へ戻り裸になり、木々の上で暮らし、余計なことせず余計のこと考えず、密かに時を過ごすしか、残された道は最早ない〜(@_@)。
でもそんなこと、今更みんな、できる?

あれこれ煽るマスコミ。それに乗っかってしまう人々。
無知、矛盾、偽善、欺瞞、ダブル・スタンダード。まやかし、インチキ、怪しく、卑しく、下品。極端でアンバランスで薄っぺら。

表面をなぞっただけで、それで全体像を把握したと思い込み、そうして他者を煽り、巻き込む。そんな人々に翻弄されるのでは、何の解決にもならない。
感情に流され、自分本位になってしまっては、ものの本質は掴めない。ひとりよがりの自己満足。そこからは何も生まれない、何も解決はしない。

目に見えるもの、耳に入るもの、それはひとつの側面、ほんの一部分。それがすべてではない。
周囲の雑音に惑わされず、すべてに於いて、しなやかに謙虚に。人の考えに耳傾けつつ、でもそれを鵜呑みにはせず、感情的にならず、冷静に客観的に受け止めたいと思う。

絶対に忘れたくはないのは、問い続け、疑い続け、考え続けること。そうして、答えなど容易には出ないこと、ひとつの正解など存在しないことも…。

現代人にとり、最良の生き方とは、幸せの形とは、どういうものなのだろう?
“夢”とか“理想”とか“生き甲斐”とか“自分探し”などとは違う次元で、日々黙々と生きる人々。彼等を見ていると、人間にとり本当に大切なこと、人間本来の姿が、見えてくるような…。

人類とは、本当にちっぽけなモノ。そのひとりひとりが、ほんの一瞬の間、この地球に住まわせて貰っているだけの存在。
この地球の主が、人間であるなんて、それは単なる勘違い。驕るなかれ!

ヒトとは、限りなく矛盾に満ちた動物。高尚でもなく、美しくもなく。神さまがお創りになり、そうしてあとに後悔したとも言われる、この地球上でもっとも愚かで、もっとも醜くて。どうしようもなくて。
それでも学ぶことを止めず、成長し続ける生きもの。愛すべき存在。そうあり続けたいと、こころから思う。
この美しく青き地球が、美しくあり続ける為にも……。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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