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気になる現代日本語あれこれ

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通訳・翻訳者リレーブログ

梅雨空の合間、柔らかな陽が部屋に立ち込める、穏やかな瞬間があります。そんな時には、キーを打つ手を休め、部屋の絨毯の上に寝転びながら、しばしの間、ゆるり過ごすようにしています。
そうして床に積まれた雑誌を広げたり、テレビから流れる音声に、ボーッと耳を傾けたりします。

日々、〆切に追われている身ですから、そんな時くらいは、仕事のことは忘れたいもの。それでも考えることといったら、言葉や文章のことばかり。

雑誌に書かれている単語、テレビから聞こえてくる言葉……。
気になって仕方がないのです。

まずは、短縮言葉。
これは、気になるもの&ならないものがあり、その境界線はどこなのか、時々考えてしまいますが…。
身近な言葉では、ケータイ、パソコン、デジカメ、一眼レフ、メアド、シャメなどなど。この辺はもう、生活にすっかり定着しているので、もう違和感を覚えないものの方が多いように思います。

でも街中に氾濫している、これはいったい、なに?
ジハンキ…コンビニ…ゲーセン…パチスロ…ファミレス…マクド…スタバ…ミスド!! あぁ落ち着かない!

仕事でもよく使っている(或いはかつて頻繁に使っていた)短縮用語は、例えば以下のとおり:
アーシャ(アーティスト写真)〜ジャケシャ(ジャケット写真)〜ネガ(ネガ・フィルム)〜ポジ(ポジ・フィルム)〜ダーマト(ダーマトグラフ)〜トレペ(トレーシング・ペーパー)。
しかしあまり違和感がないのは、使用頻度が高いからか?
逆にどうしても抵抗があり、使わないようにしているのは: エンタメ、コラボなど。

バンド名も、よく短縮形で言います。
㈰メイデン(アイアン・メイデン)㈪ジューダス(ジューダス・プリースト)㈫モトリー(モトリー・クルー)などなど。なお本場では、㈰は同じですが、㈪はプリースト、㈫はクルーと言うのですから、ちょっと面白い。

そういえば俳優名も、よく短くしますね。
有名なところでは“ブラピ”。英語ではあり得ませんし、御本人も嫌がるので、来日中には一切言ってはならない場合もあるのだとか。ジョニー・デップが、今では“ジョニデ”で通っていることを知った時には、絶句してしまいましたが…。

ファッションの世界も、不思議な短縮語に溢れています。
ワンピ(ワンピース)→ビーサン(ビーチ・サンダル)→ショーパン(ショート・パンツ)→コーデ(コーディネーション)→フリマ(フリー・マーケット)…。

そういえば、英文メールでも短縮語をよく使います。
magazine=mag、photograph=photo=pic=pix、personal computer=PC、information=info、cellular phone=cell phone。最近ではinfluenza=flu(日本語では“インフル”と省略しているようですが)。まぁこれらは許せる部類ですが。

厄介なのは、カタカナ用語。
相応しい美しい日本語が、幾らでもあるのに、なぜわざわざカタカナ用語を使うのか、理解に苦しむものがあります。
最近の言葉で、すぐに思い浮かぶのは、“コンプライアンス”と“マニフェスト”。もう定着してしまった感ありですが、でもこんな言葉を使わずに、なぜ“法令遵守”、そうして“声明書”“宣言”等の言い方が、できなかったのでしょう。

最近のテレビのニュース番組の原稿も、非常に怪しい限り。
先ほどアナウンサーが真顔で、“メチャクチャ”と言ってのけていました。また“原因”と“理由”の使い分けも、なっていないことが多々あり、とても気になります。

さてそんな中、私にとり“気持ち悪い言い回し”トップ4は……

*“ゲット(する)”⇒お願いだから、日本語を使って! 幾らでも言い方があるでしょう!
*“イケメン”⇒イケてるメン? あぁ気持ち悪い!
*“おうち”⇒“自分の家”“自宅”を差すのに、こんな甘ったるい表現をするなんて! 特にこれを大の男が言う場合。非常に気持ちが悪い。
“おコーヒー”“おジュース”も頂けない。丁寧に言っているつもりだと思いますが、でも外来語に“お”をつけると、余計下品な響きがしてきます。
*“〜じゃないですか”“〜ですよね”“〜かも”⇒曖昧な表現で、自分の意見に責任を取りたくないのか? ヘソ曲がりの私は、そんな風に振られると、“いいえ、〜じゃありません!”と返してみたくなります。正式な場では、逃げずに、“〜と思います”と、はっきり言いたいもの。

次点として、“全然”の現在の使い方を挙げておきます。
こちらは定着した感が強いので、それほど抵抗はありませんが…。でも先日間違い電話を受けた友達の話。相手にしつこく、“この番号で、全然間違ってませんか?”と聞かれ、“「少しは当たっている」って、そんなこと、あると思う??”…とプリプリ。これには、笑ったり頷いたりしてしまいました。

最後におまけとして、業界の“逆さ言葉”について。
“ザイハラ(灰皿)”“ジャーマネ(マネージャー)”“ギロッポン(六本木)”などなど。このような言葉を、真顔で使っている人と遭遇すると、ちょっと笑ってしまいますが、でも“業界言葉”と思われる(…らしい)これらを使う“業界の人”は、少なくとも私の周りにはいません。美しくはありませんしね…。

言葉は生もの。時代と共に変わりゆくもの。
それに、友達とのメールのやりとりといった場合には、そう目くじら立てることはないと思います。しかし公の場で発表する文章や発する言葉、それにより報酬を得ている場合には、尚更のこと、言葉にはやはり、敏感であり続けたい。細か過ぎるぐらいでいいと考えています。
言葉に対して、鈍感…無関心になってしまったら、それこそ翻訳家・文章書きとしては、間違いなく失格でしょう。

先日、昔から伝わる日本語、仏教用語や歴史を背寄っているような言葉、季節折々の単語などを、英訳する機会に恵まれました。そうして強く感じたのは、このような日本の言葉を、別の言語に置き換えることの難しさ。元の言葉のもつ甘やかな香り、柔らかな風、艶やかな色、雅やかな響きを、きれいに掬い取ることができず、もどかしくてなりませんでした。
日本語は、本当に繊細さで、本当に美しい。その感覚を忘れてはいけないと、翻訳作業を進めながら、改めて思いました。

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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