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20年ふた昔

サイトデフォルト

通訳・翻訳者リレーブログ

仕事を始めてから約20年、いや〜、この間、色々な変化がありました。今週は、その辺のことを綴ってみようと思います。

私が編集部に入った頃は、もっぱら400字詰め原稿用紙のマス目を埋めていく時代でした。そうして入稿手段はファックス。これがまたよく詰まったり見えなかったり…で、インタビュー1本(約20-40枚)送るのに掛かる時間&面倒といったら、もう…。ライター・評論家の皆さんも、“ファックス詰まっちゃいました。調子悪いです。よって本日は原稿無理です”…なーんて言い訳(?)、よく使っていましたっけ。
でもそのちょっと前までは、ライター宅へ赴き、原稿の直接受け渡しをしていたんですよね。1日“張っていた”のに、結局手ぶらで帰って来た…とか、朝一番に出向き、お茶を軽く10杯は御馳走になり、御自慢の蒐集品を見せられ、薀蓄に黙って耳を傾け、適当なところで相槌を打ち、で、夕方にやっと原稿を奪い取り、急いで編集部へ舞い戻り……というような逸話、よく聞かされたものです。

もちろん写真はすべて銀塩。急ぎの場合は、現場でフィルムをカメラマンから受け取り、タクシーで銀座の現像所へ直行し、その日の内に上げて貰い、そうしてデザイナーの元へ…というドタバタ劇はしょっちゅうでした。
あっ、“切り張り”なんてワザも、よくやっていましたっけ。今の編集部って、まるで違うんでしょうね。

ワープロの時代は、雑誌社を去る直前から。その後、いまのパソコン&メール入稿の時代到来。昔から考えると、夢のような日々です。ただし、“誰某からの紹介でメールしている者ですが”との仕事依頼がたびたび来るのですが、翻訳や電話取材や字幕入れ等でしたら、メール&宅急便・バイク便のやり取りだけで済むので、結局何年もその人にお会いしないまま…ということも。極力早い内に、御挨拶にお伺いするよう心掛けてはいますが、でもこれ、現代ならではの、少々寂しい話ですよね。
そうそう、昔からパソコンを使っていた、レコード会社の知り合いは、“当時は冷蔵庫くらい大きかったよ!”と言っておりましたが、本当かな? 同じ頃、初めて携帯電話なるものを、プロモーターの人が使っているのを、見てしまったことがありますが、ギョッとするほど巨大でした。それで思い出しましたが、この携帯電話の普及により、現在では何処にいても“捕まえられる”ことになり、ちょっと大変です。存在しない頃は、“ちょっと疲れたから、しばらく雲隠れ”…ということを時々していたのですが、哀しいかな、そんなささやかな贅沢も、最近では出来なくなりました。

御存知のとおり、アルバム形態も一気に変わりました。仕事を始めた頃は、LPという、大きく黒く中央に小さな穴のあるアレでした。余談ですが、リリースのたび、レコード会社が関係者に“サンプル盤”なるものを配るのですが、レコード会社へ出向くたび、それを1度に何十枚と貰っては、抱えて帰るのが、そうとう大変でしたね。懐かしい日々。
その後CDの時代へ突入し、“お〜、これは文字通りコンパクトで便利だっ!”…と大喜びした…のも束の間。ジャケットのアートワークを眺める楽しみが一気になくなり、みんなガッカリしましたっけ。そうして現在では、“データ感覚”で音を買う時代。嗚呼。

そうそう、インタビューの録音方法も変わりました。以前は小型テープレコーダー(テレコ…ってヤツですね)しかありませんでした。でもテープは巻き戻しに時間が掛かる上、音質も良くありませんし、劣化も早い。それで今はメモリー・タイプの物が主流、iPODを使用している人も時々見かけます。が、今でも根強いテレコ派も結構います。何を隠そう、この私もその1人。あっ、ラジオでオンエアされるインタビューの場合は、必ず便利&高音質のMDです。

そうそう、愛しのiPOD! これ、音楽の仕事をしている人なら、必ず最低1台は所有していますが、この出現により、これまでの“孤島に持っていくアルバムを、3枚挙げるとしたら?”…という質問は(=度々していました)、“あなたのiPODには、何が入っていますか?”…という質問に変わったのは、言うまでもありません。

あれもこれも時代の流れですねぇ。

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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