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翻訳の神様

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

孔子は論語で「子、怪力乱神を語らず」と言っている。君子たるもの、おばけやUFOの話をしたり、困った時の神頼み的な行動は慎むべし、との教えである。
これは通翻訳者にもあてはまると思う。オリジナルの原稿やスピーチがあってこそ、私たちの職業は成り立っている。だから、勝手に幽体離脱してあらぬ世界に想いを馳せたり、陶酔のあまり自分の世界に浸ってみたり、意味が取れないからといって自己流に解釈して自分の哲学を振り回すのは、仕事上、絶対にタブーなのである。
しかし、通翻訳者といえども人間。時には神に祈りたくなることもある。
例えば、翻訳中、筆が進まなくなった時。
自分にとって初めての分野や形態の通訳の現場に行く前日。
このような場合、君子のプライドなど捨てて素直に神に祈ってみると、案外効果があるものだ。特に翻訳で詰まった時に有効である。まず、原稿とパソコンの画面にしがみつくのをやめ、おもむろに専門書や資料を広げてみる。この時、おいしいコーヒーがあれば尚よろしい。脳が悲鳴を挙げている場合は、アルファー波を与えるためにモーツァルトのアリアなどをかけてみるのも良いだろう。バッハのブランデンブルク協奏曲もお奨めだ。これで少し落ち着いたら、次にお風呂に入って「みそぎ」の儀式をやってみる。これまでの内容を反芻・整理しながらバスタブに浸かり、脳内に溜まった垢を洗い清め、余裕のない自己を反省しつつ、「翻訳の神様、どうか降りてきてください」と真摯に祈るのである。身が清められたところで、再びパソコンに向かう。すると、なんとまあ、思いも寄らぬ妙案・名文が浮かんでくるのである。ただ、ここまで念入りに「儀式」をしてしまうと、大抵夜中になっているのが問題だ。しかし、せっかく気合を入れて「翻訳の神様」をお呼びしたのだから、ここでやめてはもったいない。と、そのまま作業を続けると、だんだん窓の外が白んでくる。新聞屋さんが明け方に「ボコッ!」と新聞を入れる音がすると、先刻まで翻訳の神様と過ごしたオイフォリーから目覚め、何とも言えぬ寂寞感に襲われる。

以前、翻訳者の友達にこの話をしたら、
「翻訳の神様はわかる。でもその“儀式”って、ただの気分転換じゃないの?」
まあ、命名については人それぞれにしても、翻訳籠城中はアフターファイブのストレス発散はできないし、そもそも外に出かける心理的・時間的余裕もないので、好きな入浴剤を入れたバスタブに浸かるだけでも、ちょっと贅沢な気分を味わうことができるのだ。

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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