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ペラペラです!

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

通訳をしていて『ドイツ語がペラペラですごいですね!』と言われると困ってしまう。本来はお客さまからの善意と称賛に満ちたお言葉なのだが、デビューしたての初々しい頃は、内心ムッとしていた。

そもそも、通訳という仕事は“ペラペラ”でないと務まらない。
“外国語が話せる”という前提の下、この仕事は成り立っているのである。
ということは…と、どうもあまのじゃく的なところがある私は考えてしまう。

ピアニストに『ピアノが弾けてすごいですね。』
俳優に『演技が出来てすごいですね。』
エンジニアに『機械のことが分かってすごいですね。』
弁護士に『法律に詳しくてすごいですね。』
税理士に『会計が処理できてすごいですね。』
と言うのと同じではないか。
その発言、甚だ失礼ではないか。

通訳者の資質とは、なにも語学力だけではないのである。
もちろん、外国語をいわゆる“ペラペラ”に操ることはすごいことである。大人になってから語学を学ぶ者は、まずこのレベルを目指す。初級〜中級〜上級のクラスに通い、外国人と意思の疎通ができるようになると自信も着く。
外国語がしゃべれる自分は、すごい、と思う。
語学を学ぶことが楽しくてしょうがない時期だ。
次の段階の心理として、この語学力を使って何かしたいと思うようになる。会話に自信のある語学学習者の中には、『よっしゃ、通訳者になってみるか!』と一念発起する者もいるだろう。
そこで、なのである。
人も羨む“ペラペラ”状態であっても、通訳者になるには厳しい試練が待っているのだ。

まず、日常会話を訳す目的のためだけにお金を払って通訳を雇う人はいない、という事実を知る。
つまり、今のレベルでは仕事してお金をいただける状態でないことに気付く。
ユニバーサルに専門知識が必要なことを知る。
100年前から各種専門分野に精通しているかのごとき、堂々たる演技力も必要だ。
これは背景知識がないとまったくもって不可能なため、そこで自分がいかにモノを知らないかに気付く。
自分に母国語運用能力が欠けていることに気付く。
自分の声に人を説得できるだけの表現能力がないことに気付く。
自分がいかに、集中して人の話を聞いていないかに気付く。
つまり、たった今聞いた話を記憶・分析できていないことが分かる。
外国語がペラペラというだけの自分は、別にすごくない、ということに気付く。
かくして、自分が宝物のように大事にしていた“ペラペラ伝説”が音を立てて崩れ去るのである。
これまで培ってきた自信をゼロにリセットしてからやっと、通訳の勉強が始まるのだ。通訳者への道にはそれぞれ違いはあるものの、同業者の話を聞くと皆、崩れ去った自信の瓦礫の中から日々復興の努力を重ねてきた歴史を持っている。
だからこそ、『私はペラペラにしゃべれるから通訳ができるのではないのです!』と魂が叫ぶのである。

このように自分では大変理屈っぽいことを並べているが、先日、フランス語の通訳さんに私もうっかり同じ言葉を言ってしまった。
『フランス語がペラペラって、すごいですよね!』
あれっ!?私、何てこと口走っているんだろう!?
大学の時に挫折したフランス語なだけに、純粋にすごいな〜と思ってしまったのだ。
決して馬鹿にしたつもりではない。
この言葉の出処を探ってみると、案外素直な心理である。
自分にない才能や技術に惜しみない称賛を送る、ただそれだけだ。
その反省から、お客さまから『ペラペラですごいですね!』と言われても、善意の言葉として受け止め、素直に『ありがとうございます。』と答えるようにしている。

ただし:
『仕事ですから。』の一言を添えたい気持ちをぐっと飲み込みながら…。

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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