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「戦争」と「平和」について

みなみ

通訳・翻訳者リレーブログ

 私も「戦争」について、思うことをつらつらと書いてみることにします。
 4月24日付けのAnzac Dayについての記事にも書きましたが、ほんの60年前、NZと日本は敵対国でした。
 オークランド博物館には、旧日本軍の戦闘機「零戦」が展示してあります。初めてこれを見た時、「なぜNZに、零戦?」と疑問だったのですが、終戦後の処理の際に、日本軍によって隠されていたのをNZ軍が発見し、引き揚げたものだそうです。
 南太平洋を中心に日本と戦ったNZには、日本との戦争経験がある人が多くいます。Anzac Dayのころになると、日本との戦争で死亡した若者やその遺族の方々の記事が必ずといっていいほど紹介されます。
 ついこの間は、Anzac Dayにちなんだ展示物を近所の図書館で目にしました。りりしい軍服姿の若者たちの写真には、名前や出身地、経歴などの紹介の最後に、「1944年、日本との戦闘で26歳で死亡」、といった文が付けられていました。
 逆に、当然のことながら、日本人の中にも、戦争で命を落とした人、そしてその家族がいます。私の父は11人兄弟の末っ子で、一番上のお兄さんが中国で戦死してます。幼かった父をとてもかわいがっていたそうで、残っている手紙には、父がどうしているのか、気に掛けている文面が残されています。
 勝っても、負けても、戦争で死ぬのは、今の私たちと同じ「普通の人々」なのです。
 ただ、こちらに来て、戦勝国であるNZと、原爆を2つも落とされた敗戦国である日本の意識の違いを感じることもあります。
 例えば、こちらのテレビコマーシャルに、核実験のきのこ雲を使ったものがあります。最初にきのこ雲の映像が出て、「会社に解雇を言い渡されたら、ここにご連絡を」という雇用者保護団体のPRの台詞が流れます。解雇というショックな出来事のイメージとしてきのこ雲が使われていると思うのですが、これを見るたびに、胸の奥がむかむかしてきます。結局、原爆を経験したことがない国の人は、原子爆弾がどれだけ恐ろしいものであるか、どれだけの人々が苦しみ、苦しんでいるのかに思いをはせることができないのだなあと感じてしまいます(ちなみにNZは非核国で、原子力発電所もありません)。
 また、Dデーのころになると、当時の華々しい武勇談などが新聞記事をにぎわせます。Dデーとは、ドイツ軍が占領していたヨーロッパに、ついに連合軍が上陸を開始した1944年6月6日の「ノルマンディー上陸作戦」開始日のことです。
 私がDデーという言葉を知ったのは、小学校5、6年生の時でした。「アンネの日記」の中に、「いよいよDデーです!」という記述があったのです。
 当時の私にとって、アンネは尊敬すべきお姉さんでした。ですから、アンネが死んだ15歳を迎えた時、「こんな年齢で、あの日記を書いていたのか」と、自分の精神年齢の幼さと比べてびっくりしたことを覚えています。そして、30歳になった時には、「アンネの2倍を生きてしまった!」と思いました。
 アンネは自由になったら、ジャーナリストか作家になりたい、と夢みていました。彼女ならきっと、夢をかなえ、素晴らしい仕事を成し遂げることができたでしょう。
 翻って平凡な日々を送る私ができるささやかなことは、今、空気のように享受している平和がいかに貴重なものであるかを理解し、感謝し、大切にしていくことではないかと考えます。

Written by

記事を書いた人

みなみ

英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。

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