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お尻に火がつきました

ガットパルド(gattopardo)

通訳・翻訳者リレーブログ

9月に入ればもう、のんびりしているヒマはなくなる・・・これは、2ヶ月前から予想がついていたこと。しかし、人間ほんと、直前にならないと重い腰が上がらない。
お子様ランチのように色とりどり盛りだくさんのこの秋〜冬の「お仕事ラインナップ」のうち、市民講座でイタリア語を教える、というのはすでにスタートしている。レギュラーで頼まれているので、すでにノウハウはあるのだが、「今年はちょっと、授業内容を改訂しようかな。」なんて思っていたのに、結局去年と同じシラバス。ああ、進歩のない自分がイヤだわ。
今週末からつぎつぎ幕が上がる商業イベントの予習(取引関係の知識の総ざらい、商品やサービス内容に関する事前学習、etc.)にかからなければいけないのだけど、その前にさらに2件、やっつけなければならないのが「コンテンポラリー・ダンス」がらみの仕事。
まったくの偶然ながら、急遽、フランスの二人の振付家に対面しなければならないはめになった。
一人は男性で、この人にはインタビューを行い、もう一人は女性で、こちらは来日公演のアシストと講演会の通訳。スタイルは違うが、どちらも「コンテンポラリー」というところが難題なのである。
そもそも、あらゆる芸術分野において「コンテンポラリー」のジェネラルに意味するところは「クラシックに属さない」ということ。が、正直に言って、この感覚がまず日本人にはピンと来ないのである。ヨーロッパ文化における「クラシック」=「古典」の権威には絶対的、圧倒的なものがあり、時代が現代に進んでその「古典芸術」のあり方に疑問や抵抗を感じたアーティスト達が、自己のアイデンティティ追求の結果として生まれたものが「コンテンポラリー」というカテゴリーだとすれば、ひろく社会的な意味において「既成の権威的美意識との対決」という構造があいまいな芸術環境におかれている日本人には、これは、いまひとつ理解しにくい現象なのである。
具体的に言うと、コンテンポラリーのアーティストが自分のダンスグループを設立して世界中で公演を行なうことは、彼らがその道を志した時点で自明の結果であるのに、その情報を得て日本人は「舞台の成功によって自然な流れでそうなった」というような受け止め方をする。彼らは、出発点がアイデンティティであるから、極端な言い方をすると「成功しようがしまいが」同じことをするのである。かつ、場合によっては自分たちを取り巻く当時の政治体勢に反撥するような結果にもなるため、人によっては「命をはって」活動をする。
日本人はどうも、「芸術」をそういう次元では捉えない。
現在のヨーロッパ・コンテンポラリー・ダンスの世界で第一人者であるこの二人のアーティストを前に、たんに言葉を右から左にスライドさせるのではなく、きちんと人間と人間の「対話」の橋渡しとして働くためには、この意識の違いをどうやって埋めたらいいのか。
非常に頭が痛い。

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ガットパルド(gattopardo)

伊・仏・英語通翻訳、ナレーション、講師など、幅広い分野において活動中のパワフルウーマン。著書も多数。毎年バカンスはヨーロッパで!

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