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国際会議

ガットパルド(gattopardo)

通訳・翻訳者リレーブログ

どうも今週は頭がうまくまとまりません。
フリーで通訳などやっていると、仕事というのは来ない時はこないし、来る時はくる、私の事情などおかまいなしに・・・ということを実感いたします。今週頭がまとまらない理由は、ひさびさにありとあらゆるタイプの仕事がほんの十日ほどの間にいっぺんに押し寄せたため。そしてご想像いただけるとおり、部屋は十日前の状態のまま。今週はファイリングの続行と、ソファとは名ばかりで、モノがのっかりまくって全然すわるための余地が見いだせないソファの上の片づけ、この二つが目標でしたが、もはや挫折。また来週にもちこしです。
雑多な最近の記憶のうち、いま脳裏をめぐるのは「国際会議の実態」。な〜んて、べつにあのモノモノしい円卓の上でじつは踊りだす人がいるのよ、とか、そんな話ではないですが。
私の語学レベルではとても会議の同時通訳など務まりませんが、多言語能力を買われてか、そういう場でのホステスのような役割が時々まわってきます。受付から会場内の案内から、開会・閉会のアナウンス、はてはお茶運びまで。ちょっとしたことなら何語をしゃべらせてもなんとかなる、ってな妙な評判が立ってしまっているせいで。軍事用語ではこういう種類の兵士を「遊軍」と呼ぶようです。みなさま、お手元の国語辞典でお調べ下さい。
さて、おかげさまでこの経済関係の会議、一歩離れた視点で細部まで観察することができ、あるとても有意義なことに気づきました。共通言語は日本語または英語でしたが、世界各国からの参加者のなかには、英語があまり得意でない人もいる。プレゼンテーションをする時も、討論をする時も、どうも「しゃべりが流暢でない」人もいるんですよね。そうかと思えば、いかにも会議慣れした英語圏からの参加者などは、これ見よがしといっていいほどしゃべりがうまい。そういう人の話のほうが当然説得力もありそうなものですが・・・実際は、そうではないのです。「言わんとしていることが具体的で、端的」でありさえすれば、その言葉はまるで広い会議場の空中に絵が描き出されるかのように「見えて」きます。反対に、いかに言葉がなめらかでも、抽象的すぎたり、表面的なデータにのみ頼ったような語り口では、発せられた言葉は宙にただようばかりで、ひらべったい味気ないものになります。ぶっちゃけた話が、前者は通訳しやすい。後者は、つるつると他言語に変換はしやすいかも知れないけれども、心がこめにくく、私なんぞは、そういう通訳はどうもやっててムズムズします。
この違いはなにか?
これは、正直に言いますが、会議に参加しているそれぞれの人たちの、議題とされていることへの「距離感」の違いだと感じます。つまり、このとある経済問題を「自身のこと、自分が解決のための役割を担っていること」に切実な人は、言葉にも命があるのです。
ですが、某国の著名な大学の先生などは、おっしゃることはたいそう立派ですがなんの色も感じさせない言葉を操られますし、プレゼンでは台本どおりにみごとな言語をしゃべっても、細部への質疑応答では何を聞かれても「その件については私は専門家ではないので・・・」とお茶をにごすEU加盟国代表もいました。
かと思えば、たどたどしいながら懸命に日本語で説明する某アジア代表の言葉からは、貧困にあえぐ自国の人々の生活をできるだけ向上させたいという「現場への思い」がひしひしと伝わってきたり。
「言語は人なり」。少々複雑な気分で眠りについた日でした。
はたして己の言語はいったいどの程度、人様の心に届いているのだろうか?と。

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ガットパルド(gattopardo)

伊・仏・英語通翻訳、ナレーション、講師など、幅広い分野において活動中のパワフルウーマン。著書も多数。毎年バカンスはヨーロッパで!

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