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必然かも。

仙人

通訳・翻訳者リレーブログ

お話当番で、オーラの泉の話が出ていて、まあなんとなく私もよく見てしまい、その他にも亡くなられたお友だちの話とか、ちょっとスピリチュアルな感じですね。私はそういうのとは無縁なのですが、親しい人などが亡くなったとき、危険な目に遭った(これが、またよくあったんです)ときなど、ふと「守られている」感を覚えたりします。
花札でお年玉を巻き上げていた、あの祖母が亡くなってしばらく、ある年のお盆に私の夢に彼女が現れ「お腹が空いた」と訴えてきて、「目の前にいっぱいごちそうあるやん」と答えると、「お箸がおへんがな」と言ったことがありました。食いしん坊だった彼女らしい、とおかしくなって、すぐ母に電話すると、「いや、大変!」その年、お盆のお膳に使うお箸みたいな、何ていうんでしょうね、葦みたいな棒、あれが高かったので、母は買わずに割り箸で代用していたらしいのでした。スピリチュアル体験も人によっては、こういうばかげたフォーマットになるわけです。そのまた何年か後、私が東名で170km/h(すみません、もう時効だし、許して)でクラッシュしたとき、事故のとき特有のスローモーションで映像が回っていく間、ふと祖母のことを思い出していました。車は廃車でしたが、私は全くかすり傷も、打ち身もなく、偶然とかそういうのでしょうけどね、私は、おばあちゃん、やるときはやるじゃん、と思いました。
父が亡くなったときは、いつもそばにいる感覚、やがて遠のいていく気配をずっと覚えていました。今は、「お父さん!」と呼びかけると、現れる気がしますが、最近は父のほうでも、呼ばれると、ちょっとうるさいなと思っているようにも感じられます。安心したのね、きっと。
でね、こういう話を書いてみたくなるのも、やっぱりお彼岸だからかなあ、と。偶然じゃなくて、必然なのよ、ってやつですね。皆さん、お墓参りは行きましたか? 何か、お墓参りに行くと、自分の人生とかを俯瞰的に見られたりして、なおかつ、なぜか「善いことをした」満足感があって、私は好きです。

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記事を書いた人

仙人

大学在学中に通訳者としての活動を開始。卒業後は、外資系消費財メーカーのマーケティング分野でキャリアアップ。その後、外資系企業のトップまでキャリアを極めた後、現在は、フリーランス翻訳者として活躍中。趣味は、「筋肉を大きくすることと読書」

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