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ある現場にて

昼顔

通訳・翻訳者リレーブログ

今更、私が指摘することもないですが、ご存知の通り、通訳者には通訳する際に与えられる時間が本当に辛いぐらい限定されています。同通など3、4秒以上沈黙が許されません。聞こえてきた単語が未知であれ、発言者のロジックが意味不明であっても、パートナー通訳者からの迅速なサポートや種々なテクニックを使い、何とかさばくことが求められるような気がします。

通訳者と翻訳者に求められる違いの中で、一つはこの与えらた時間差およびその環境があるでしょう。その一瞬一瞬が勝負の短距離競走や一回限りの舞台みたいなもので、辞書や資料を時間をかけ、じっくり腰を据えて調べるなど現場では無理なことです。

だからこそ通訳者にとって事前の準備が極めて重要な意味合いを持ちます。会議資料の読み込み、時間があればその分野に関する書籍(両言語)も読み、単語リストを作成するのはもちろんのこと、企業様がクライアントのときは株価の動向を含めた企業情報、業界情報も調べます。これら事前に準備したことが全て役立つとは思いませんが、無知な状態で通訳するぐらいなら、少し寝る時間を削っても準備を万全にしたいもの。

覚えては忘れ、覚えては忘れ…。今までこの作業の繰り返し。

優秀な通訳者で一度勉強・準備したものは忘れない方々や歩く生き字引のような方もいらっしゃいます。ですが、私の場合、残念ながら脳にキャパがあるらしく、新しい知識を入れるために、知らず知らず使っていない古い知識を忘れているようです。

仕事では伏兵のように、そんな忘却の彼方に消えていった単語とばったり出くわすこともあります。ある時など「あ、この単語、トレンド辞典で<軍事・防衛>分野の右頁の上から3番目にこの単語、あったよな〜」とすっかり意味は忘れているのに、かつては覚えていたことをそれこそ覚えているから余計に辛いもの。

先日、緊急医療体制に関する会議でその伏兵が…いました。国会での法案策定のたたき台ともなるこの会議はもちろん、現地視察でも単なる表敬訪問の類ではなく、米国当局を苦笑させるぐらい実務的で厳しい質問が飛びました。

もちろん準備はきっちりして臨みました。視察先の一つが緊急医療室(ER)だったので、トリアージュを含めた医療体制に関連する情報、医療機器、急患で考え得る疾病名は事前にチェック。訪問したERはTVドラマさながらの施設でした。準備した甲斐があり、ほとんどが想定済みの情報で円滑に通訳を進める中、ER入口に取り付けられた空気成分を分析・警告するユニットに説明が及びました。取り付けの発端はあの大騒ぎになったAnthrax attackであったと言及。もちろん準備ではこの単語は網羅していなくて、Anthraxと聞いた途端、心の中で「わー、これ、通訳学校でよく出てきた単語で懐かしいな〜。あれ以来、通訳の仕事では出会ってないよね」と思いつつ、冷静に「炭疽菌」と訳させていただきました。インパクト大の事件だったこともあり、「ふぅ、忘却の彼方に消えてなくてよかった。覚えているじゃん、たまたまだけど…」と胸をなでおろした瞬間でした。

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記事を書いた人

昼顔

外資系金融、在ジュネーブ日本政府代表部での勤務を経て、外務省職員として採用。帰国後は民間企業にてインハウス通訳者としてキャリアを積み、現在は日英仏フリーランス通訳者として活躍中。昨年秋からはNYに拠点を移す。趣味は数年前から再び始めたバレエと映画鑑賞と美味しいモノの食べ歩き。

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