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個人的な通訳は・・・

Hubbub from the Hub

通訳・翻訳者リレーブログ

「多くの外科医は自分の家族を執刀したくない」という話をよく聞きますが、通訳者はどうなんでしょうか? 自分の家族に通訳するのは、どんなものでしょう? もちろん家族に手術をするのと、家族に通訳するのでは天と地の違いがありますが、いつも気になっていました。そして先日、10日間程アメリカにいる間、母が尋ねてきて、何度か母の通訳をする機会がありました。

その感想は、正直なところ、「かなりやりにくい」・・・

まず第1に、心理的な要素があります。例え母親に対して行う通訳でも、きちんとした会議や会談の席であれば、それなりの心持ちができますが、母が私の個人的な知り合いと日常会話をする際に通訳をする、という状況では、やはり気持ちが緩みます。これは「通訳報酬の有無」とか「プロである自負」とかいう話ではありません。やはり心のどこかに、「まあ、いいや」と思ってしまうのでしょう。もちろん、メモを取っているわけでも、母の耳元でウイスパリングをするわけでもありませんから、記憶にたどって訳すことになります。ただでさえ心は緩んでいますから、ひどい訳質です。

そして次に話の内容。母が会話をしている相手は、私の友人。すると自然と話題は2人が共通で知っている私の話になります。3ヶ月に1回位は通訳中に話しかけられて、「Iがあなたで、The interpreterが私」の様な複雑な状況になりますが、今回はHeもIもthe interpreterもゴチャマゼ。存在を消している通訳者が話しのテーマになり続けるほど、話の流れが複雑になることはありません。

第3に「あなた、毎日もっと難しい内容の会議を通訳しているんでしょ」という厳しい目。言い訳ではありませんが、通訳として参加しているわけでもなく、突然引っ張られて「あなた、通訳しなさいよ」の状況では、やりにくいばかりです。通訳をしていれば、全く別の友達が"hey!"と私に話しかけてくるし……

この様な状況での通訳は、かえって通訳者じゃないほうが、やりやすいのかもしれません。

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Hubbub from the Hub

幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。

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