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『不動心』

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

2日続きで野球の話で申し訳ないが……。
ヤンキースの松井が書いた本が売れているという。発売5日で10万部という売れ行きは、あの『バカの壁』や『国家の品格』さえ上回る勢いらしい。厚さ1センチほどの薄い新書だけど平積み状態にして10万部重ねると、東京タワー3本分だとか(333メートルだから、計算合ってるよね)。売れているという本にすぐ飛びつく方ではない私も(でも、上記2作はやっぱり買った)、さっそく家人に買ってきてもらった。いや、自分で買いに行かなかったのは何も「話題の本を買うのはチョットかっこ悪い」なんて思ったからではない、単に出かける用事がなかったからだ。ゴニョゴニョ……
で、肝心の本の内容? 素晴らしい!
松井に関して普段からメディアで伝えられるようなことが、彼の語りとして書かれているだけで、「バカの壁」とか「品格」のような、キャッチーなフレーズや目新しい概念が語られているわけではないのだが、やはり誰でもないあの松井が語るから頷ける、彼の野球や人生に対する思いがどんどん伝わってくるので、なんかこう、しょっぱなから涙ジワ……なのだ。
冒頭で彼はこう書いている。昨年の骨折のことをたくさんの人から「大変でしたね」と声をかけられる。もちろん大変だったし手首の状態も完ぺきではない。将来の不安もある。でも、
「その苦しみや辛さこそが、生きている証ではないでしょうか。僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます。」
これはさほど画期的な考え方じゃないが、功成り名を遂げ既に引退した人物ではなく、まだまだ発展途上の若干32歳の現役選手が堂々と書くのはすごいと思うのだ。こう書いちゃったら、この先も失敗や困難を絶対に乗り越えなくちゃならないんだから、松井は。しかも松井の場合、「乗り越える」=「成績として結果を出す」ということなのだから。
実は私は松井に会ったことがある。彼の入団初年度の都内某所でのパーティでだったが、田舎から出てきた少年が無理やりトレンディなスーツを着ようとして失敗している典型のような姿だった。
それが今はどうだ。顔かたちが変わったわけではないが、風格のある面立ちになり、ユニフォームもスーツも、CMで観るカジュアルなスタイルも和服もどれも似合っている。やはり人間、年齢を重ねると内面が外見にもにじみ出るなぁ……という典型だと思うのだ。
高校時代から大物視され、長島さんが監督復帰する年に鳴り物入りであの巨人軍にドラフト1位入団し、好成績をあげて当然と見られ続ける中で好成績をあげ続け、大リーグに移り、昨年のあの骨折の日まで連続出場記録1768試合という記録は、並み大抵の努力とか才能とか運で実現できることではないけど、どんな時も松井は淡々としている。
なんでいつもあんなに淡々と揺るぎない様子でいられるんだ、と思っていた。
こちとら1回1回の翻訳の仕事のたびにあたふたし、納期とにらめっこしてキリキリしたり、そんな中でパソコンが不調になって叫び声を上げちまったり、いかんとは思いつつコーヒーをがぶ飲みして胃を痛くしたり、「不動心」とはまるで縁のない状態。松井の本を読んだら、僅かでも彼のような不動心を身につけられるだろうか。
たとえば松井が本の中で繰り返し言うこと。
努力すること、今できることは何かを考えること、コントロールできないことをしようとは思わないこと、感謝すること。
これなら誰にでもできそうじゃないか。この私にでも。
翻訳だって地道な努力の積み重ねでしかない。現時点ですべての言葉を知っているわけでもないのに、新しい用語は次々に生まれてくるし、少しでも質の良い翻訳をしようと思えば努力するしかない。パソコンがクラッシュしたら、その時何ができるかを考えるしかない。努力した結果、クライアントが何と言うかまでは自分でコントロールはできない。まず、今日この仕事を下さったクライアントやエンドユーザーさんや、家の中が散らかってても土日も仕事を入れてしまっていても文句を言わない家族に感謝しよう。
まあ、こういった姿勢を常に保ち続けることができるか、すぐに忘れちゃってまた煩悩の世界でじたばたするかが天才と凡人の分かれ目なのだろうが、時々は思い出してみたい。
そんなことを考えていたら、結構すぐに読み終えてしまったが、その読後の清々しさよ。
松井の心がけをすぐに体得できるかどうかは分からないけど、この清々しさだけでも読む価値ありだったなぁ。
ありがとう、松井。今シーズンも頑張って。それから早くステキな女性と巡り会って幸せになってください。大きなお世話だな。
そしてまだ読んでいない皆さん、お勧めです。

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記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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