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the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

みなさま新年明けましておめでとうございます。
どのようなお正月を過ごされていることでしょうか。

最近では、おせち料理はデパートなどで買ってきてお重に詰めるもの、お餅もスーパーなどで買ってくるもの、あるいはお正月も年末から海外に出かけて過ごすものということで、自宅でおせち料理を作りお餅を搗いて三が日はお雑煮を頂くという過ごし方がマイナーになりつつあるのではと思う。
それの善し悪しは個人の判断に委ねるとして、ちょうど年末に、直接は存じ上げないある方が次のように言われたのを耳にした(正確には「書かれたのを目にした」)。
「人生は、大切なことを次へ渡していく伝言ゲームみたいなものだと思う。(中略) 重要なのは“大切なこと”であること。」
親から子へ、師から弟子へ、上司から部下へ、古い世代から若い世代へ。それが伝統の芸であろうが技能であろうが、技術や知識、家訓や家風、習慣であろうが。どんな文明も文化も、積み重ねがあって今がある。人はいつか死んでいくものだけど、死んだから終わりなんじゃない。
伝えられる方も、受け継ぐだけではダメなのだ。受け継いだものを磨き、その時代に合ったもの、あるいはさらに価値の高いものにして、次に渡すのだ。

年末に、吉本のなんばグランド花月に行った。
新旧の漫才を聞く。
「旧」のほうはさすが、年季が入った安定の話術。
確かな芸を感じる。
「新」のほうは、より時代の息遣いを捕らえた新しいトーク。
これからのパワーを感じる。
新喜劇では、最近ドラマで話題になったテーマ、10代の妊娠を扱いながら、私が子どもの頃から見ていた新喜劇の笑いが変わらずそこにあった。小難しい主義主張とは無縁、ただひたすらお客さんに明るい笑いをもたらすこと、それに徹した吉本の姿勢は天晴れ。

映画『父と暮せば』を観た。黒木和雄監督のライフワークである戦争をテーマにした作品だ。内容は、原爆投下から3年後の広島に暮す若い女性(宮沢りえ)と、原爆で死んだ父親(原田芳雄)の幽霊のやり取りだけ。好きな男性ができたのに「大切な人たちが亡うなったのに、生き残ってしまった私は幸せになってはいけんのです」と頑なな娘に父親が言う。「誰かが伝えんならんのや。こんなに酷い別れがあったことを。」

通訳や翻訳は、「伝える」を仕事にする。
それは、上から下へ、過去から未来への「伝える」じゃなくて、ある言語から別の言語へ、ある文化から別の文化へ、横へ、遠くへ、「伝える」仕事だ。「伝える」を怠った時、人と人は決裂し、断絶し、対立する。
勝手な解釈という「付加価値」をつけてはならないが、電子辞書のように右から左に変換するだけでもいけない、人と人との間の意思をつなぐ、大切な、意味のある仕事だと思っている。

年末・年始にたまたま見聞きしたいくつかのことで、ふと感じたことである。

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記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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