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もったいない

the apple of my eye

通訳・翻訳者リレーブログ

すこし前にケニアの副環境大臣であるマータイさんが来日されたのが話題になっていた。彼女が世界中に広めたいと提唱しているのが、日本語の「もったいない」という考え方だというのもTVや新聞で何度も紹介された。外国語には「もったいない」という概念を一言で表す言葉がないのだそうだ。

翻訳をしていて困るのが、この、翻訳先の言語にない対象言語の概念とか表現。
私は英語しかできないのだが、英語にない日常的な日本語の表現って、結構ある。

たとえば「お大事に」。
一瞬、Take care でいいじゃない、と思うかもしれないけど、ちょっとニュアンスが違う。
Take care! って、別れ際に「またね!」くらいの感覚で言うので、相手の具合が悪くない時でもしょっちゅう使う。相手やその家族が病気にかかっていると聞いた時に、「どうぞお大事に」と言うのとは違うのだ。
「お大事に」で辞書を引くと Bless you! っていうのも出てくるけど、これは相手がくしゃみをしたときに言う言葉なので、これも違う。
Please take good care of yourself! とか、I really hope your daughter’ll get well very soon!のように、文章にして強調して言うしかないので、日本語の挨拶に添えて「お大事に」という、気持ちがこもっていながらスッキリした表現が、優れているなぁと思うのである。

挨拶関連で言うと、「いただきます」も英語でピッタリの表現がない。
「いただきます」も、食べ物やそれを栽培した人、あるいは生活のために働いてくれている家族や、料理をしてくれた人に感謝する気持ちを込めた言葉。もっと大きな存在の、お天道様や神様への感謝もあるだろう。「もったいない」にも通じるところがある。
「いただきます」に相当するものとして、たとえばキリスト教では食前の祈りがあるだろうけれど、現代の家庭で食前の祈りをちゃんとしているところってどれくらいあるだろう。

「懐かしい」も難しい。
「古き良き」みたいな意味で、good old 〜という表現はあるけれど、例えばどこかのお店で有線放送から古い歌謡曲が流れてきて、「あ、これ懐かしいね〜!」と言う時の、一言での表現がない。文章にして、Oh, I used to like this song very much! くらいは言えるけど、別に好きではない曲だけど昔よく耳にした曲だよね、という場合には使えない。
ちょっと歳がばれそうだけど、たとえば松田聖子の「♪懐かしい〜痛みだわ〜」の歌詞を、どう英訳するか。
英語では I miss you! などで使われる miss という動詞があって、これは逆に日本語にしづらい言葉なのだけれど、I miss those days. のように、「懐かしく思う」という意味もある。でも「懐かしい〜痛みだわ〜」を I miss the old pain …と言ったのでは、ちょっと変だものなぁ。論理的に言って、昔の痛みが恋しくて取り戻したいと思うなんて、変態っぽい。「懐かしい痛み」とは言っているけれど、実際には痛みそのものが恋しいのではなく、痛みが思い出させてくれる昔の恋人との時間や、自分が幸せだったことが恋しいのだから。さっき言った有線放送の「この曲、懐かしいね〜」でも、曲自体が懐かしいときもあれば、その曲が流行った時代とか、その頃の自分の生活とか、何か別のことを連想して「懐かしい」と思うときも同じ言い方をする。それを聞いた人も、言った人の気持ちの中にある言外の意味をとくに詮索することなく、「うん、懐かしいよね〜」と相槌を打って気持ちをそっと共有してあげられる。英語で This song brings back memories! って言われちゃうと、ストレートすぎて、What memories? って聞かないといけないような。とてもあいまいで繊細で意味深で楽しい表現、「懐かしい」。

ビジネス・メールの翻訳でいつも困って、挙句の果てに時には無視してしまうフレーズは、
「大変お世話になっております」
「よろしくお願いいたします」
の2つ。
正式なレターの文頭と文末の挨拶なら、Thank you for your patronage. とか、Your corporation is greatly appreciated. とか、Best regards. くらいでいいけど、最近のメールでは、もっとインフォーマルな文面でも始まりと終わりだけはこういった表現を使うこともあるので、メール本文の内容次第では、唐突だったりそこの部分だけがやけに丁寧すぎたりと、バランスが難しいのだ。
さらに困るのは、日本語の表現の特徴の1つなのだけど、「これこれこういう状況になっておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」という文面。
「今日送った品物は明日届くと思いますので、よろしくお願いします」
具体的に何を「よろしく」してほしいのか不明で、英語のセンテンスにならない。
届いたら連絡して欲しいのか、届いた物の中身を検査して欲しいのか、届いたものを特定の人に渡してほしいのか……。こういうのは、前後の文脈から推測できない限り、「よろしく〜」の部分を無視している。

商品の宣伝などでよく使われる曖昧な表現も苦手。
「我が社の商品は、生き生きとしたオリジナリティに溢れ……」
originality が「生き生きする」ってどういう意味?

「こだわりの〜」も困る。
「こだわりのカレー」というキャッチフレーズがあるとして、別にカレーが意志を持って何かにこだわっているわけじゃない。作った人がこだわっているのだ。でもこのコピーには「作った人」は登場していないし……。
fastidious という形容詞や、be particular about という表現はあるけど、「好みがうるさい」といったニュアンスで、かならずしも肯定的なイメージではない。
こういうときは、「こだわりの」を読み解くしかない。
何が「こだわり」なのか → (多分)材料や製法にこだわっている → 材料にこだわるとは材料を厳しく選定することで、製法にこだわるとは、普通よりもユニークな製法なのだろう
Curry cooked with selected ingredients and unique recipe
こんなところだろうか? でも長ったらしくてスッキリしない。

日本語って、一言でとても色々な意味や気持ちを込めることが可能な、高度かつ美しい言葉だと、翻訳をするようになってつくづく思う。だからこそ、短歌や俳句といった世界でもっとも短い文学が成立するのだし。
奥深い日本語、もっと勉強して大切にしなくては。

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記事を書いた人

the apple of my eye

日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!

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