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第268回 親子喧嘩をしたときに思い出す詩

にしだ きょうご

今日をやさしくやわらかく みんなの詩集

親子喧嘩。

この言葉を見ただけで胸がズキズキしてきますよね。親は子に、子は親に期待をしてしまうだけに、ぶつかってしまうことがあるんですよね。

そんな切ない親子の対立も、お互いを認め合うことで解決に向かうわけですが、まあ、お互いにそう簡単には譲らないわけです。

その様子は傍から見ると滑稽だったりするわけで、まさにそんな詩があることを思い出しました。

農家の父親と、詩人の息子。いかにも対立しそうな親子の詩なのですが、、、

*****

Confirmation
Paul Laurence Dunbar

He was a poet who wrote clever verses,
And folks said he had a fine poetical taste;
But his father, a practical farmer, accused him
Of letting the strength of his arm go to waste.

He called on his sweetheart each Saturday evening,
As pretty a maiden as ever man faced,
And there he confirmed the old man’s accusation
By letting the strength of his arm go to waist.

*****

認めること
ポール・ローレンス・ダンバー

男は素晴らしい詩を書く詩人だった
人々はその才能を褒め称えた
生粋の百姓だった彼の父親はぼやいていた
人として備わった腕を使わず 無駄にしていると

毎週土曜日の晩 男は恋人のもとを訪れた
この世で最も美しいと思われるその女性のもとを
そこで男は 父親の言葉を認めざるを得なかった
人として備わったその腕を 彼女の腰に回すのだった

*****

詩人の息子と、肉体労働派の父親。腕は働くためにあるのだと言う父親の言葉を、息子がついに認めたかと思ったら、腕は恋人を抱きしめるために使ってやったぜ!という、トホホな展開に。この親子、絶対に分かり合えなさそうですよねえ。

He was a poet who wrote clever verses,
And folks said he had a fine poetical taste;
男は素晴らしい詩を書く詩人だった
人々はその才能を褒め称えた

こじれた親子関係の問題のひとつは、息子が詩人として一定の評価を得ているところなんですよね。

父親から認められていなくても、俺は世の中に認められているんだという自負がある。これは、こじれますねえ。

But his father, a practical farmer, accused him
Of letting the strength of his arm go to waste.
生粋の百姓だった彼の父親はぼやいていた
人として備わった腕を使わず 無駄にしていると

肉体労働派の父親としては、手は土で汚すためにあるという大前提があります。

だから、頭の中で言葉遊びをしている詩人などという仕事は、人間として無駄なことをしているとぼやくわけです。

ここに価値観の対立があるわけで、まあ、こじれますよねえ。

And there he confirmed the old man’s accusation
By letting the strength of his arm go to waist.
そこで男は 父親の言葉を認めざるを得なかった
人として備わったその腕を 彼女の腰に回すのだった

人として備わった腕を使えという父親の言葉を、息子がついに認めたかと思うのですが、腕を使うとは言え、それは恋人を抱きしめるためだったというオチ。

このときの、息子のニヤニヤした顔が思い浮かびますよねえ。息子ならではの屁理屈を言うときの顔で「腕?使ったよ」と。

う~ん、親子喧嘩、一筋縄ではいきませんねえ。

*****

今回の訳のポイント

価値観の異なる親子の対立を描いたこの詩。

そのタイトルは、 Confirmation 「認めること」で、「人として備わっているその腕を使え」という父親の言葉を、息子は認める素振りを見せます。

しかし、息子は恋人を抱きしめるために腕を使ってニヤリというオチになっています。

このオチを際立たせているのが、詩ならではの言葉遊びで、waste と waist というように韻を踏んでいるところです。

But his father, a practical farmer, accused him
Of letting the strength of his arm go to waste.
生粋の百姓だった彼の父親はぼやいていた
人として備わった腕を使わず 無駄にしていると

こちらは父親の言葉で、waste「無駄にする」んじゃないぞ!というぼやき。

And there he confirmed the old man’s accusation
By letting the strength of his arm go to waist.
そこで男は 父親の言葉を認めざるを得なかった
人として備わったその腕を 彼女の腰に回すのだった

こちらは息子の言葉で、恋人の waist「腰」に手をまわすのに腕はちゃんと使ったぞ!という屁理屈。

詩の構造として、対立がはっきりしていて、なおかつ息子のひねくれた屁理屈のトーンがよく伝わる形になっています。

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お互いを認めようとしないことから生じる対立。

解決の糸口としてよく言われるのは、Role reverse 「役割交換」をしてみるということです。つまり、親は子の役割を、子は親の役割を体感してみるということ。

この詩の親子で言うならば、農家の父親と詩人の息子で、お互いの職業を体験してみるのが良さそうです。

肉体労働派の父親は、頭をひねりにひねって言葉を操り文学の力でお金を稼ぐことの苦労を知る。詩人の息子は、日々土で汚れながら自然の営みに翻弄され生計を立てることの厳しさを知る。

そんな親子に和解の時は訪れるのか。続編となる詩があったとしても、ぼやきと屁理屈が続きそうな気もしますが!

Written by

記事を書いた人

にしだ きょうご

大手英会話学校にて講師・トレーナーを務めたのち、国際NGOにて経理・人事、プロジェクト管理職を経て、株式会社テンナイン・コミュニケーション入社。英語学習プログラムの開発・管理を担当。フランス語やイタリア語、ポーランド語をはじめ、海外で友人ができるごとに外国語を独学。読書会を主宰したり、NPOでバリアフリーイベントの運営をしたり、泣いたり笑ったりの日々を送る。

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