INTERPRETATION

Vol.17 小澤摩位子さん「しつこく、粘り強く」

ハイキャリア編集部

多言語通訳者・翻訳者インタビュー

【プロフィール】
小澤摩位子さん Maiko Ozawa
東京外国語大学外国語学部ロシア・東欧課程ポーランド語専攻卒業。在学中より、翻訳の仕事を開始。同大学大学院地域文化研究科博士課程在学中、ポーランド政府奨学金給付生として、ワルシャワ大学法制学科留学。2005年、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士課程前期過程修了、現在はフリーランスポーランド語通訳翻訳者として活躍中。

小さい頃から語学に興味を持っていたのでしょうか。
そうでもないんです。小学校の頃から英会話教室に通っている友人もいましたが、私は塾通いすらしていませんでしたから。
英語は特別好きな科目ではなかったものの、先生が厳しかったので、自然と勉強したのかもしれません。毎朝NHKラジオを聞くよう義務付けられ、ノートや課題の提出も必須でした。留学経験のある先生で、いつの間にか、先生みたいになりたいと憧れるようになりました。外国語大学出身だと聞いてからは、「私も外国語大学に行く!」と、一人盛り上がっていたのを覚えています。

なぜ、ポーランド語を?
大学ではヨーロッパ言語を学びたいと思っていました。高校生の時に第二次世界大戦に関する本を読んで以来、戦渦を被った土地に興味があり、ポーランド語を選択しました。言葉を学びながら、その国が戦争時に置かれた状況を研究したいという気持ちがありました。例えば、日本と韓国の関係を考える時、どうしても日本人としての感情が入ってしまいますが、同じような状況下に置かれたドイツ・ポーランドのことは客観的に見ることができます。
ただ、実際のところポーランド語を勉強したことがなかったので、最初の授業は大変でした(笑)。中には、先生の質問にきちんと答えていた人もいましたが、私は「多分、『こんにちは』と言っているのかなぁ」と推測するぐらいで、授業の内容はちんぷんかんぷんでした。

どのようにして勉強しましたか?
日本でポーランド語を勉強しようにも、大学で教材として購入したもの以外に入手可能なテキストは皆無でした。大学の教材自体も、先生が作ったオリジナルでした。クラスでは、毎回自分の声を録音して自宅で発音を確認するように言われたのですが、私はもっぱら録音するだけ。授業で習うことといえば、「これは何ですか?」、「○○です」といった会話だけなのに、それすらも覚えることができませんでした。アルバイトに明け暮れる毎日で、一人クラスで落ちこぼれていました。最初の一年間は、どうしてポーランド語を選んだんだろうと、何度も投げ出したくなりました。授業中に寝ていたこともあり、当然ながら成績も一番下でした。
当初、英語の教師になりたくて、教職の授業を取っていたんです。でも、ある時教授に「ポーランド語は非常に難しい。教職を取っている場合ではないだろう」と言われたのをきっかけに、やめることにしました。もっと時間をかけないと習得できないんだと、そこではじめて目が覚めたんです。2年生の終わりにポーランドに行ったこともあり、やっと本腰を入れて勉強するようになりました。
初めてのポーランドはいかがでしたか?
「暗かった」、です。どうしてわざわざ冬に行ったんだろうと(笑)。風邪をひいて、ずっと寝込んでいました。実は、初めての海外だったんです。ヨーロッパと聞くと、華やかなイメージをお持ちかもしれませんが、私の見たヨーロッパは違いました。
現地大学の日本語学科学生の家に滞在したのですが、日本語が通じる分甘えてしまって……。せっかく勉強してきたポーランド語を使わなくては! と、会話も試みましたが、なかなか続きません。数の練習はたくさんしました。数字の後にくる名詞が数によって変化するんですよ。1つのりんご、2つのりんご、と練習に付き合ってもらいました(笑)。

大学卒業後、大学院に進んだのは?
実は、4年生の春に病気をしてしまい、就職活動ができなかったんです。卒業論文も、難しいテーマを選んだこともあり、なかなか満足のいくものが書けませんでした。どうせなら、もうちょっと研究してみたいなという気持ちもあり、大学院進学を決めました。
大学院では、言葉からのアプローチではなく、ポーランド社会や政治について研究しました。ポーランドに留学もしました。論文を書こうにも、資料は日本にほとんどなく、それだったら現地に行こう、と思ったんです。奨学金を頂き、約2年間現地の大学で勉強しました。

二度目のポーランドはいかがでしたか?
前回の滞在では、ポーランド人って何ていい人なんだろうと思っていたんです。でも、実際に生活してみたら、どこの国も一緒だな、と(笑)。
以前から興味を持っていた、ポーランド・ドイツ間の関係ですが、戦争の爪痕は精神的にもまだ色濃く残っているようでした。戦争体験がなくとも、親から伝え聞いていることがあるのでしょう。『戦場のピアニスト』の舞台となった場所では、歴史的な傷あとを目の当たりにし、複雑な思いでした。アウシュビッツの強制収容所跡にも行きました。冬の寒い中に行ったので、余計に物悲しさや荒涼とした雰囲気を感じ、絞首台跡でピースしながら写真を撮っている観光客を見た時には、何とも言えない気持ちになりました。
印象に残っているのは、寮生活です。相部屋だったポーランド人学生が、とにかく早口で話すため、何を言っているのかさっぱり分かりませんでした(笑)。毎日どこかの部屋でどんちゃん騒ぎ、廊下はタバコの煙でもくもくでしたが、現地学生の生活を間近で見ることができたのはよかったですね。

日本帰国後は?
2004 年秋に帰国後、論文提出に追われていたこともあり、就職活動をしないまま大学院を修了してしまったんです。ぼんやりと、ポーランド語を使える仕事があればいいなとしか考えていませんでした。そんな時に、愛知万博でポーランド語スタッフを募集していると教授が教えてくれました。まさに、天からの助け(笑)! 卒業式を待たずして、愛知に向かいました。

フリーランス通訳・翻訳者になったのは?
愛知万博が終わり、日本でできるポーランド関係の仕事はないだろうかと模索していたところ、学生の頃翻訳を請けていた刑務所から、「またやりませんか」と声をかけて頂いたんです。これをきっかけにフリーランスという形で動いています。
ポーランドにいた頃、在ポーランド日本大使館で臨時職員として働いたことがあります。知り合いから翻訳を頼まれたこともありましたが、特に自分から動かずにいたのに、紹介やたまたまポストが空いたことで仕事が舞い込んでくることが多く、本当に運がよかったなぁと今でも思います。
英語と違って、毎日のように仕事が入ってくるわけではありませんが、今のところ楽しくやっています!

通訳と翻訳、どちらがお好きですか?
小心者なんです、私。翻訳は、ある程度時間をかけることができる反面、形に残るので、「あそこは、あぁ訳せばよかった」といつまでも引きずってしまうことがあります。人と会うのが好きなので、やっていて楽しいのは通訳かもしれません。でも、壇上で通訳する時なんかは、「皆が私を見たらどうしよう」と変に意識してしまっていけません。結局、どっちもどっちかなぁ(笑)。

一番印象に残っているお仕事は?
バレーボールの通訳です。私は選手団の通訳担当で、記者会見には英語の通訳者がついていました。ところが、いきなりその場になって、「記者会見もポーランド語で行います」との発表が! 駆け出し通訳者だった私は舞い上がってしまい、試合後の高揚感と、会場の雰囲気に飲み込まれ、思うような通訳ができませんでした。今思い出しても、本当に悔やまれます。例え、私が駆け出し通訳者だったとしても、周りにそんな言い訳は通用しません。いろんな意味で、プロの厳しさを思い知らされた時でした。

希少言語ということで、苦労することはありますか?
やはり、仕事量ですね。絶対的に少ないので、他の仕事もしないと、なかなか通訳・翻訳だけで食べていくのは難しいです。通訳・翻訳の専門技術を学ぶにあたって、学校がないのもつらいところではあります。
いい点は、各界を代表する方のお仕事ぶりを間近で見ることができることです。これも、希少言語ならではのことだと思います。普通は、もっと通訳者として経験を積まないと、こんな経験はできないでしょうから。小泉前首相をはじめとする国を代表する方の通訳を依頼される時は、私などが通訳していいものかと、恐縮してしまうことがあります。
ポーランド語の通訳者自体が少ないので、仕事に行くと、大体顔ぶれは決まっています。それに比べて、ポーランドには通訳者がたくさんいるんですよ。日本語学科のある大学が多いのも、その理由の一つですが、皆さん非常に日本語が堪能でびっくりします。ポーランド語を母国語としている人からすると、日本語は簡単なのかもしれませんね。ただ、書くという意味においては難しいようで、留学していた頃に現地においてあった日本語の在留許可申請案内は、読んで理解できませんでした。今はどうかわかりませんが、当時ポーランドに留学していた人は、皆さん英語の申請用紙を利用していたようです(笑)。そういう意味では、現地でも日本人にしかできない仕事があるかもしれませんね。

小澤さんの強みは?
現場に馴染むのが早いことでしょうか。通訳だけしかやりません、というスタンスではなく、できることはやりたいと思っています。極端な例ですが、ホテルでアイロンをかけたことがあります(笑)。バレーボール通訳の際、ホテルに届いた団長のシャツがしわしわで、皆が受付でクレームをつけたんです。もちろん私が通訳するわけですが、らちがあかないので、それなら自分がアイロンをかければいいじゃないか、と……。良く言えば、型にはまらない、というんでしょうか。ただ、これもまずは本業の通訳の仕事がきちんとできた上でのこと。これが逆転してしまうと、何のために私が現場に呼ばれているのかわかりませんものね。クライアントがお金を払うのは、通訳者としての私にですから。

空き時間の過ごし方は?
法律の勉強をしようかと計画中です。ポーランドには、日本企業も多く進出しているので、EU関係や企業に関わるようなことなど、仕事に絡めた法律を学びたいんです。新しい世界が開けるかもしれませんし。

今後のキャリアプランは?
このまま通訳・翻訳の仕事を続けていければと思っています。でも、それだけだとなかなか厳しいので、プラスアルファがあるといいかな、と。しばらくは日本で生活する予定でいます。ポーランドと日本、両方の国の役に立てるような仕事をこれからもしたいと思っています。

もし通訳・翻訳者になっていなかったら?
英語の教師になりたかったです。学生時代、家庭教師や塾講師をしていましたし、子どもに接するのが大好きなんです。私自身器用でなく、分からないことを努力して分かるようにしてきた部分が大きいので、分からない人の気持ちは分かります。将来的に、ポーランド語も教えてみたいのですが、習いたい人がいるでしょうか……(笑)?

担当教官から頂いた本と、ポーランド語基本帳。

ポーランド語通訳・翻訳者を目指している人へのメッセージをお願いします。
希少言語ということもあり、幅広い分野に対応できることが必要だと思います。何か興味を持ったら、それについてとことん勉強してみてください。言葉が難しい分、ほとんどの人が途中で挫折していくのですが、ポーランドに関して何か自分が興味を持てるものを見つけるといいと思います。私の場合は、ポーランドのバンドが好きだった、というミーハーなきっかけもあるのですが(笑)。いつか、彼らとポーランド語で会話をしてみたいと思っていたところ、今では現地でコンサートがある時には招待してもらうという、当時からは想像できなかったような状況です。人それぞれ、モチベーションを高めるポイントは違うと思いますが、これがあるないで全然違います。そして、諦めないこと。しつこくやること。私なんて、大学時代、「あの子、まだいる……」と言われ続けてきたので、そのしつこさがよかったのかもしれません(笑)。地道な作業ですが、面倒だと思わずにやることです。このもの覚えの悪い私が、今こうやってここでお話しているのですから、皆さんもきっとできます! がんばってください。

【編集後記】

初めてのポーランド語通訳・翻訳者のインタビューでした! 人と違うことが大好きとおっしゃっていた小澤さん、飾らない話し方がとっても素敵。しかもここまで自分のことを客観的に話せるってすごい。諦めない、しつこくやる、何にでも通じる言葉ですね。私も小澤さんを目標にがんばらなきゃ!

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テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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