INTERPRETATION

第419回 初心者のキモチ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「体力づくりも仕事のうち」を標榜する私にとって、スポーツクラブに通うことは日常生活の一部です。レッスンで思い切り汗を流してすっきりしたり、仲間と語り合ったりということはかけがえのないひとときです。と同時に、インストラクターの指導法にも注目します。「ここでこういうトークをするのか~」「なるほど、指示出しはこうするとわかりやすいのね」などなど、気づきがいつも沢山あります。

教壇に立ち、通訳を指導するようになってからずいぶん年月は経っていますが、いまだに試行錯誤の日々です。良かれと思ってやってみた活動が今一つであったり、自分だけ空回りしてしまったりなど、数々の失敗をしてきました。通訳業務同様、「今日は完璧な授業ができた」と思える日はありません。教え始めたころは落ち込みもしましたが、単にめげているだけでは進歩につながらないため、「では、どうする?」と自問自答しつつ、楽しみながらあれこれ試しています。

さて、数週間前のこと。以前から「カリグラフィ」に興味があったことから、某カルチャーセンターの体験レッスンに参加してみました。カリグラフィとは洋風の書道のようなものです。ペンにインクをつけて美しくデザインされた文字を書くのですね。もともと活字や手書き、デザインに惹かれていたため、通おうかどうしようかと迷っていたのです。体験教室にまずは出てから決めようと思いました。ちなみにカリグラフィ歴はほぼゼロ。唯一の体験は、BBC勤務でロンドンに暮らしていたころ、大英博物館の講座でArabic Calligraphyのお試し講座にトライしただけです。

ワクワクしながら体験教室へ出かけてみると、私のために先生が練習キットを用意してくださっていました。ペンの持ち方や紙にペン先をあてる角度など、丁寧にレクチャーしてくださり、早速見本の練習から始めました。お手本で書かれていたのは2、3のアルファベット。先生がすらすらと見本を書いてくださったのとは逆に、私はどう頑張ってもヘナチョコ状態。見るのと実際にやってみるのとでは異なることを痛感しました。時間はたっぷりありましたので、ひたすら文字の練習。先生はその間、他の受講生の方の添削やアドバイスをしており、教室はとても和やかな雰囲気で各々が自身の課題に取り組んでいました。授業後半の私の課題はボックスにカリグラフィでデコレーションを施すというもの。楽しい体験レッスンでした。

今回の私は完全に「初心者」という状態で参加しました。ただ、そこで大きな「気づき」もあったのです。それは「初歩の学習者が何を求めるか」というキモチでした。

私の場合、カリグラフィに興味があるので参加したため、できれば体験レッスンでもアルファベット2、3こだけではなく、AからZまですべての文字を書いてみたいと思いました。また、先生のお手本をもっと見てみたいと思ったのですね。確かに基礎的なペンの動かし方や基本の文字をしっかりとマスターすることは大事です。けれども「真似事」でも良いので、色々とあれこれ試してみたいと感じたのです。

そこでふと思いました。私の通訳授業をとる受講生たちも、実はそうした気持ちを抱いているのではないか、と。授業シラバスやカリキュラムを講師が順守するのはもちろん大事です。けれどもちょっとした合間を縫って同時通訳を試させたり、シラバスには書かれていない投げ込み教材にトライしてみたりということも、リフレッシュにつながるように思ったのです。もちろん、講師の模範訳披露もです。

「教える側」ばかりにしばらくいると、つい「学ぶ側」の視点がおろそかになってしまいます。今回、カルチャーセンターの講座から感じた気づきを、今後の自分の授業運営に生かしたいと思っています。

(2019年11月12日)

【今週の一冊】

「地図帳の深読み」今尾恵介著、帝国書院、2019年

毎学期、私のクラスでは受講生ともども自己紹介の時間を設けています。その際、私がいつも口にするのは「地図が大好きです」ということ。7歳の頃から紙地図に魅了され、つい最近までカーナビを入れるのを渋ったほどです(家族からは不評でしたが)。

地図の魅力は色々とあります。自分で空想の旅ができること、カラーの図面からその場所について想像する楽しさ、オモシロ地名を探し出す喜びなどです。私は川の源から河口まで紙の上を追ってみたり、国境の上をなぞってみたりなど、幼いころからあれこれ楽しんできました。

中学・高校時代に使う地図帳は、単なる地図だけでなく資料集の役割もあります。巻末に国別や県別などの人口数や産業のデータなど、様々な知識を入手できます。学習地図帳の楽しさをたっぷり説明してあるのが本書です。

著者の今尾氏の書籍はこれまでも何冊か読んできており、本稿でもご紹介してきました。東海道新幹線の車窓から見える景色を写真と地図で比べてみる一冊も読みごたえがありましたね。一方、本書を読むにつけ、学習地図を児童生徒たちだけの専有物にするのはあまりにももったいないという気分になりました。それぐらい楽しい切り口が満載です。

たとえば平成の大合併。たくさんの「ひらがな地名」が誕生しました。みどり、たつの、いすみ、さくらなどはその一例です。こうした地名が生まれる際には、色々とその地域なりの事情があったのでしょう。でも、今尾氏がユーモアたっぷりに記していた以下の文章が印象的でした:

「『父は横浜から小樽へ移り、そこから札幌へ通う生活をしていた』という文章はスンナリ読める。しかし、登場する地名をひらがな市名に置き換えてみると『父はひたちなかからさぬきへ移り、そこからまんのうへ通う生活をしていた』ということになる。場合によっては、読解はかなり難しい。」(101ページ)

漢字かな交じりというのは、実は視覚的にも楽なのですよね。この一文には思わず笑ってしまいました!

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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