INTERPRETATION

第83回 空中作戦

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日のこと。片づけ関連の記事を新聞で読みました。その中で関心を抱いたのが「空中作戦」という言葉です。これは「いったん手にしたらやり遂げるまで手から離さない」という概念。手に持ったまま、どうするか決めて最後まで完了させるのです。例えばポストから郵便物を取り出したとします。忙しいとついつい「あとで開封しよう」となってしまいがちです。けれども「空中作戦」では「とりあえず」や「あとで」という言葉は禁句で、一度郵便物を手に持ったら、「開封する→保管するか捨てるか決める→とっておくものはファイリングする」というところまで行うのだそうです。

これはなかなか良いアイデアだと思い、早速私も実践することにしました。たとえば洗濯物。ベランダから夕方取り込んだら自分と夫の分はとにかく畳みます。そしてそれぞれのクローゼットにしまうところまでやってしまうのです(ちなみに子どもたちには自主的に畳む・しまう作業をさせています)。しかし、今までは物干しサークルやハンガーから取り外してソファの上に無造作に重ねていました。ですので、いざソファに座ろうと思っても洗濯物が邪魔になってしまっていたのです。

一方、新聞はどうでしょうか。こちらも朝取り込んだら、とりあえず最初から最後のページまでザッとめくることにしました。どうしても読みたい記事があれば、ページの端を折ったり赤ペンで印をつけたりします。そうでなければその場で斜め読みして処分するようにしています。このおかげで、新聞が未読のまま積み重なることもなくなりました。

この「空中作戦」を通じて、私は3つの利点を感じました。まず、集中して作業を完了させていくので、ミスが少なくなるという点があります。今までは「とりあえずここにこれを置いておいて、あっちのことをあとでこうやって」と何かをしつつも頭の中は他のことを考えていました。そのせいで、今目の前のことがおざなりになってしまい、落としたりこぼしたりということがあったのです。とにかく今やるべきことに集中すると、結局は時間の短縮になることがわかりました。

2点目は、即断即決で潔く決められるというメリットが挙げられます。たとえば郵便物をその場で開封し、処分するか保存するかを考えることで、割り切れるようになるのです。今までは「とりあえず取っておいてあとでどうするか決めよう」と宙ぶらりんのものがたくさんありました。けれども、「空中作戦」で「要る?要らない?」と自問自答し、その場で決められればあきらめもつくようになったのです。

利点3つ目は、「家の中が片付くようになった」という点です。今までのように、やりっぱなし、出しっぱなしといった「ぱなし」状態がなくなり、しかるべき場所に収まるようになりました。これは収納術に通じると思いますが、とにかく「モノの収まるべき場所」にしまうことにより、探し物をすることがなくなりました。

このように私にとっては良いことづくめの「空中作戦」ですが、私自身、課題も感じています。まず大事なのが、「そもそものモノの数を減らすべき」という点。しまう場所を設定するためには、モノの総数自体が少なければいけません。今使っていないものを処分することが求められています。

さらに、今、自分がその作業を「空中作戦」でできるのかどうか、しっかりと見極める必要もあります。たとえば朝、新聞を取り込んだ時も、今、読めないのであれば、そもそも取り込まない方が良いのかもしれません。メールの送受信も、今、返信できないぐらい忙しいのであれば、メールソフト自体を起動しない方が良いということになります。「ちょっと見るだけ」とソフトを立ち上げてみたら、複雑なメールが来ていて返信しなければ、となった場合、時間が必要になるからです。

「空中作戦」は始めてまだ10日ほどですので、これから自分なりに改良を加えて、日常生活の中で応用できるようにしたいと思っています。

(2012年8月20日)

【今週の一冊】

「言葉にして伝える技術」田崎真也、祥伝社新書、2010年

ソムリエとしてテレビなどでもおなじみの田崎真也さんが、ソムリエの表現力について述べた本。ワインや料理のおいしさを言葉でどう表現するかがテーマになっている。言葉を生業にする者として興味深く読んだ。

中でもなるほどと思ったのが、ワインの味や香りの記憶はデジタル化できない、というくだり。「いくら詳細なデータを入力して、照合しようとしてもピタリと一致するものを探すことはかなり困難」と述べている。ワインの味に関してデータベースを作り、それに基づいてお客様にワインを提供してはという意見に対する田崎さんの反論である。大事なのは自分の舌や嗅覚を鍛えて味や香りを覚えておくということなのだ。

これは通訳者にも通じると思う。同時通訳中、わからない単語をその場で素早く電子辞書で引くことは可能だ。けれども、日ごろから多くの分野の文章を日本語・英語で読み込み、何が出てきても自分の経験からぴったりとくる訳語を瞬時に出さなければいけないのである。辞書は便利だが、現場においてその文脈にぴたりと合致する単語を探し出すのは困難なのである。

田崎氏はワインに関する知識を覚える際、視覚や聴覚をフル活用している。味や香りについて紙に手で書き、自分で書いたものを一度読み上げる。そして書き終えたらそのノートを見ずに、同じことを別の紙に書き写すのだという。わからなくなったら先のノートに立ち返り、完全に書き写せるまで何度も繰り返すのだそうだ。

英語の勉強も同じだと思う。魔法のような英語力向上法というのはない。書いたりリピートしたり話したり読んだりという作業を、何度も地道に繰り返すしかないのである。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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