INTERPRETATION

第450回 重なるときは重なる、そういうもの

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日のこと。久しぶりにありとあらゆることがぜーんぶ重なってしまい、内心「えらいこっちゃ~」状態となりました。

私の場合、放送現場で何かハプニングが起きた際、自分でも驚くほど冷静でいられます。東日本大震災のときにはちょうどスタジオで同時通訳をしていたのですが、なぜかあのときは一切慌てることなく、むしろ冷静に通訳できたことをいまだに覚えています。部屋は揺れるわ、目の前のPCは倒れそうになるわという状況だったのですが、立ち上がって両手で倒れ掛かってきたPCとテレビ画面を押さえつつ、そのまま自分の番が終わる15時まで通訳をし続けました。

会議通訳現場でも同様です。直前にどれほど大量の資料が手渡されようが、大幅に原稿の書き換えがあろうが、話し手さんが音速かというぐらいの早口で話されようが、「やるしかない!」とクールにとらえられるのです。このスタンスが自分の中で備わっているのは、仕事現場において大いに助かっていると感じます。

けれども、その反動なのかどうかはわかりませんが、プライベートになるとこの手が全く使えないのです。自分でも情けなくなるぐらい、腑抜けになります。

具体例をお話しましょう。

その日の朝。家族が体調不良っぽいかもと訴えてきました。一方、私はこの日、大量の原稿執筆と締め切りを控えていました。しかもそれら原稿のうちの一本は「当日朝に依頼が来て、数時間以内に完成させて納品」という、いわゆるturnaroundが異常に短い形態の仕事です。さらに授業準備の教材作成。受講生から提出されたレポートのチェック、返信、まとめ作業、出席簿への評価転記など。また、室内を見渡せば、大量の要チェック図書館本(返却期限間近)、積読となった紙新聞、郵便物、要返信のお手紙なども目に入ってきました。

お天気なので布団を干そうかと迷い、台所のお皿を早く片づけなければと焦り、夕食の準備をどうしようかと迷う。

そんな状態になってしまったのです。

要は、自分があれもこれもやろう、できるはずと過信していることに全ての諸悪の根源(?)があるのでしょうね。反省です。

しかも、こればかりは自分の性格ゆえなのだと思うのですが、こと仕事に関しては絶対に手を抜いては二度と仕事が来ないのではないかという恐怖感が常に根底にあります。よって、教材準備の際にも極端な話、既知の単語であっても徹底的に辞書で調べておかないと不安になるのです。それこそ、指揮者が交響曲のスコアを前にして一音一音、すべての音符に意味を見出そうと解析する感じかもしれません。とてつもない労力を私自身が自分に課してしまっているのは自覚しています。

さて、その日、体調がイマイチと思えた家族は、それでも頑張って出発していきました。駅まで車で送っていき、帰宅して戻ってきて、さあ仕事です。自分としては気持ちを切り替えてひたすら集中して進めていくことになります。とりあえずキリが良いところまでと思いながらPCで作業をしているとあっという間にお昼!頭・首・背中が凝り固まっていたため、気分転換もかねて外のベーカリーへパンを調達に。帰宅して食べて、また仕事に戻りました。

再度集中して仕事をしていると、件の家族が体調不良で早退するとの連絡が。この日私は夕方ギリギリまで仕事をする予定で、一日の計画をたてていました。話を聞くと、かなり具合が悪そうなので、病院へ連れていくことに。

ところがいざ、車で迎えに行こうと出発したものの、コロナ明けゆえかあちこちで道路工事やら水道管工事やらで我が家の周りは一方通行・大渋滞!すぐに駅に着くはずがなかなかたどり着けず、心配して本人から嵐の電話着信がスマホに!さりとて運転中なので出られずでした。

そんなこんなで何とか落ち合い、駅前のロータリーで病院へ電話をするも、当日に診察を入れてもらうには先方も調整が必要な模様。こちらはロータリーで後続のバスにせっつかれるのではという状態で電話していましたので、心臓バクバクでした。ハイ、そもそもそんな場所で電話する方が悪いのですよね。それでも何とか夕方最後の時間帯に予約がとれ、一段落となったのでした。何にしても、色々な面で大いに反省材料のあった一日でした。

ということで、教訓は?

1.給与発生の仕事は丁寧にする。責任を果たすこと。
2.一方、図書館本などは、あくまでも余暇。潔く返却する。
3.布団干しは、やらなくても命に差し障りない。
4.新聞はネットで最低限のニュースはおさえている。読めなくても気にしない。
5.食事作りが大変なら中食OKにする。
6.教材準備も細部まで調べ始めるとキリがなくなる。授業中に受講生から出た質問で私自身がわからなかったら、宿題として私が持ち帰り、後日答えることを誠実に伝えれば良し。

こんな感じでしょうか。

何にしても、何歳になっても、人は失敗をして教訓を得て、また次に同じ失敗をしたらまた反省して・・・ということを繰り返していくのでしょうね。重なるときは重なる、でもそれで良し。これも人生ナリと思っています。

・・・と言いつつ今回、ワタワタしていた私を支えてくれた周囲には本当に心から感謝です。この場を借りて感謝!!

(2020年7月7日)

【今週の一冊】

「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」小山田咲子著、海鳥社、2007年

私は授業で毎回、学生たちに本の発表をさせています。ジャンルは何でもOK。マンガも写真集も可。とにかく本や活字に親しんでもらいたいという一心でこの活動を長年続けています。今学期は大学がオンライン授業になったこともあり、せっかくですので、出欠確認もかねて、学生たちには紹介した本のレポートを提出してもらっています。

その中で、とある学生が紹介してくれたのが今回取り上げた一冊です。私はこの本を知るまで小山田咲子さんという方を知りませんでした。andymoriというバンドでギターボーカルを務める小山田壮兵さんのお姉さんでもあります。

この本では、早稲田大学在学中の咲子さんが書き始めたブログが掲載されています。咲子さんは本や映画、そして様々な芸術を始め、人生そのものへの好奇心が大きい方でした。そして何よりも旅を愛し、在学中もたくさんの場所を訪れています。その様子は本書にみずみずしい文章で綴られており、紀行文としても、あるいは、芸術評論文としても味わえます。

その咲子さんは卒業した年の9月に旅先のアルゼンチンで同乗していた車が横転し、亡くなりました。24歳と2か月でした。異国の地で愛する家族を亡くされたご遺族の心境はいかばかりかと思います。中でも巻末に書かれている母・照美さんのことばが心に響きました:

「私は仕事と芝居に夢中で、自分自身を最優先した。子どもはかってに育つものと思い、子どもに頭を下げることなどしなかった。」(p299)

おそらく照美さんは断腸の思いでこの言葉を綴られたのだと思います。母親として、私自身、考えさせられる一文です。

本書にはたくさんの映画や書籍などの作品名が登場します。そしてもちろん、訪れた国の名前も。ぜひ本書を手に取り、咲子さんのたどった歩みを追体験して頂けたらと思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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