INTERPRETATION

第476回 すべて自分の選択

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳者になろうと決意し、通訳スクールに通うことにしました。もうずいぶん前のことです。大学の学部生の頃に授業で通訳クラスを受講し、非常に面白いと思ったのがきっかけでした。

当時は通訳者をめざす人がさほど多くない時代でした。学校数もあまりありません。中でも難関と言われている某スクールの入学試験を受けたところ、判定は「準備クラス」でした。通訳訓練ではなく、いわゆる英語の「基礎」を学ぶコースです。

ショックでした。自分では当時、そこそこの検定数も持っており、英語力はまあある方だと自負していたのですね。入学試験もうまくできたと思っていた分、本コースにすら入れないという判決(?)が下されたのは、正直、こたえました。

「それならば」と思い、別の学校を探して再びテストを受験したところ、かろうじて一番下の通訳クラスに入ることができました。「ようやく認めてもらえた」と嬉しかったことを覚えています。

そのころのスクールは今とはずいぶん違いました。時代が異なっていたからです。当時は「厳しく指導して、受講生を奮起させて実力を伸ばす」という方法だったのですね。よって、先生方も本当に厳しく、クラスの中はいつも緊張感がMAXであり、私など小心者でしたので、いつ指名されるか怖くてたまりませんでした。

それでも何とか順調に進級して同時通訳科に上がったのですが、そこの先生がこれまた大変厳格な方でした。たまに行われる逐次通訳訓練では、受講生を指名し、先生の教卓の横に立たされます。持参して良いのは辞書(当時は紙辞書!)1冊だけ。メモはとれません。先生が音声を流して止める、そして受講生が逐次通訳をする、という流れでした。

ただでさえ私にとってはコワイ先生でしたので、指名されただけでも震え上がり、辞書を持って前に立つだけでも膝がガクガクしました。横におられる先生、そして目の前にはクラスメートたちがいます。晒されているわけですので頭の中は真っ白になり、音声が流れている間はまったく集中できません。音が止まっていざ訳出しようにもアワワワとなり、一言も発することができず、という状態でした。

そして月日が経つにつれて、その授業に行くのが苦痛になってしまったのですね。

「行きたくないなあ。でも、せっかく授業料を払っているし。」
「ここまで進級できたのだから、何とか頑張らないと」
「でも、あんな恐怖感を味わうのはもう耐えられない」

このような思いが頭の中をグルグルしてしまったのです。

幸いなことに、別の校舎で放送通訳のコースを開講していることを知り、受講料はそのままで転籍することができました。ただ、私の家から非常に遠かったため、結局はそのままフェイドアウト。体力が続かなかったためでした。

ということで私の場合、中途半端に終わってしまった「通訳スクール生活」でしたが、それでも通訳者へのあこがれの灯をずっと抱き続けていたため、紆余曲折を経て何とかこの仕事にありついたように思います。

あの経験から私が得たこと。それは、「何事もすべて自分の選択である」というものでした。そのスクールを選んだのも自分、厳しい先生のもとで受講し続けていたのも自分、転籍したのもフェイドアウトしたのも、すべて自分が決めたことなのですよね。

日々の生活を続けていると、「大変だなあ」「しんどいかも」という状況に誰もが直面すると思います。でもそこからどう行動するかも、結局は自分にかかっているのですよね。自分が想像していたのとは違う展開に置かれた場合、もともとそのような状況に自分が陥ってしまったのも、いわば自分の選び方ゆえであったと言えるのです。

そうなってしまった場合、くよくよしてもなかなか先に進めません。自分を責めても辛くなるだけであり、自罰的感情は心を余計辛くさせてしまいます。むしろ大切なのは、「自分には見る目が無かった。以上!」と思い、次の生き方を考えることなのだと私は思うようになりました。

出口が見えないと袋小路に追い詰められたような気分になりますよね。でも、大丈夫、必ずどこかにトンネルの先はあるはずです。

(2021年1月19日)

【今週の一冊】

「『盗まれた世界の名画』美術館」サイモン・フープト著、内藤憲吾訳、創元社 2011年

絵画を見るのが好きな私にとって、ニュース通訳で気になるのがたまに出てくる「絵画盗難事件」です。美術館に忍び込んで盗んだり、王宮に入り込んだりなど、プロの犯罪集団は色々な手口で名画を奪っています。

本書に出ているのは、そうして盗まれてしまった数々の絵画についてです。ゴッホやフェルメールなど、著名な画家の絵も災難に遭っています。とは言え、あまりにも著名な絵画は、たとえ盗んだとて、転売やオークションにかけようものなら、犯罪者が誰かすぐにわかってしまいます。そこで犯罪集団が何をねらい始めたかと言うと、「教会」です。

特に深刻なのがメキシコで、政府は盗難美術品のデータベースを作っているとのこと。ただ、メキシコの場合、貧困問題もあるため、盗品の多くが外国の買い手に密輸出されているのだそうです。盗難美術品や絶滅危惧種の密猟など、世界では今なお多くの問題があります。その背後にあるのが貧富の格差です。それが解決されない限り、根が深い課題であると、改めて本書から気づかされたのでした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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