INTERPRETATION

第102回 「見えているけれども、見ているか」

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

1月も気が付けばあと数日。先日の3連休初日はBBC時代の友人一家や仕事仲間が遊びに来てくれて、数年ぶりの再会を喜びました。二日目は横浜で通訳学校の授業、最終日の14日は関東地方でも珍しい大雪となりました。

今回の雪は思った以上に積もり、翌日になっても解けないままでした。この日私はお金の振り込みをするためコンビニを2軒回ったのですが、その時に感じたことがあります。今回はそれについてお話しましょう。

わが家の近所には2軒のコンビニがはす向かいにそれぞれ立っています。いずれもお客様が多く、駐車場も充実しているので、車でやってくる人もたくさんいます。最初に私が訪ねたお店はずいぶん前からあり、固定客も多いようです。

私はそこへ自転車で向かったのですが、駐車場から入ろうとしたところ、前日の雪が凍っており、でこぼこツルツルの状態だったのです。自転車を何とか倒れないように止め、バックしてくる車に気をつけながら入口へと向かい、用事を済ませました。このお店の前はちょうど日陰になるため、雪がなかなか解けないのもやむを得ないのかもしれません。

次に向かったコンビニは、数年前に新規オープンしたお店です。「わざわざ先のコンビニの反対側に作っても、共倒れになるのでは」と当初は思いました。そこはかつて畑があったのどかな場所でもあります。緑をなくしてまで複数のコンビニを作っても・・・というのが私の印象でした。

ところが今回、そのコンビニに差し掛かった時、前のコンビニとの大きな違いに気付いたのです。それは「雪かきがしてあった」ということでした。

駐車場の出入り口はもちろんのこと、歩道から店舗入り口に差し掛かる部分も、人が歩けるように除雪されていました。また、自転車置き場の部分もきちんと雪がどけてあったのです。おかげで怖い思いをせずに安心して自転車を止めて店内へ向かうことができました。

カウンターで入金作業をしている間、店員さんに「スタッフの皆さんで除雪したんですか?」と尋ねてみました。するとその店員さんは「そうなんですよ。昨晩と今朝、雪かきしました。いや~、筋肉痛ですよ」とニコニコ答えてくれたのです。その笑顔からは、大変だったけれど雪かきして良かったという気持ちが滲み出ていました。

店員さんの表情から私は色々と考えさせられました。コンビニというのは、「24時間開いていて、お客様にとっていつでも買い物ができる」という便利さがあります。けれども、それ「だけ」に安住するのではなく、「どうすればお客様が喜んでくれるか」を考える必要もあるのです。それを考えた上での雪かきだったのだと思います。

「誰かのお役に立ちたい」「喜んでもらいたい」というのは、仕事でも人生でも私たちに大きなモチベーションを与えてくれます。これはコンビニのような販売業に限らず、通訳業も同じだと思います。「英語から日本語に訳す」ということのみでは、これからの時代、機械にとって代わられるかもしれないのです。しかし、コンピュータのように一字一句違わずという通訳がたとえできなくても、私たち人間にしかできないことがあるはずです。

日ごろ仕事をするうえで求められるのは、「見えているだけでなく、見ているか」だと思います。先のコンビニで言うならば、「雪が降っている」という状態が店員さんの目に「見えている」だけでは不十分なのです。「雪が降っている」ことを自分の目で「見て」、そこからどういう行動がとれるかを考えること。それが主体的に「見る」ことだと思います。

通訳の仕事でも、ただ漫然と聞こえてきた言葉を訳すだけでなく、お客様が何を望んでいるのか、しっかりと「見ること」を心がけたいと思っています。

(2013年1月28日)

【今週の一冊】

「図説 日本鉄道会社の歴史」河出書房新社、2010年

3学期始業式の前日、子どもたちが「冬休み最後の記念にどこかへ行きたい」と言い出した。そこでさいたま市にある鉄道博物館へ出かけた。

前回訪ねたのは開館直後で大混雑だった。展示物もゆっくり見られず、館内で食事をするのもままならずで、人ごみが苦手な私はしばらく足が遠のいていたのである。しかしあれから数年たった今は色々と改善も施されており、実に楽しめた見学であった。

今回ミュージアムショップで偶然入手したのが、図録「井上勝と鉄道黎明期の人々」である。この特別展は数年前に開催されたらしい。ページをめくると、日本の鉄道初期に尽力した井上勝のことが描かれている。井上勝は長州藩出身で、19世紀半ばに伊藤博文などとイギリスへ密航した。現地ではロンドン大学に在籍し、様々な技術を学んで帰国したのである。

今回ご紹介する「日本鉄道会社の歴史」は、日本の鉄道を歴史的にとらえた一冊であり、井上勝のことも紹介されている。井上は、それまでのようなお雇い外国人依存体制から、日本人自らが鉄道業を発展させる必要性を説いた。そして東京から神戸までの東海道線を開通させるなど、生涯を鉄道のために捧げている。晩年は持病の腎臓病を押して再び欧州視察に出かけ、訪問先のロンドンで68歳の生涯を閉じた。

先の図録によると、英語に秀でていた井上はイギリス人技術者との間で通訳も務めたという。それまでは言葉の問題で建設現場では混乱していたが、井上が常に現場で日本人とイギリス人の間に立って指揮をしたことから、スムーズに業務が進むようになったそうだ。単なる英語力だけでなく、専門知識を持つ大切さを改めて私は感じた。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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