INTERPRETATION

第491回 恩返し

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日、とある通訳関連のセミナーでお話する機会を頂きました。事前に受講生の方々から質問を寄せていただいていましたので、準備をしながらどのような構成にするか考えました。そして「通訳者になるまで」「勉強法や心がけていること」「今まで印象的だった仕事」と大まかに分けてみました。

自分のキャリアを振り返り、何が自分をここまで連れてきてくれたのか、私は仕事に対してどのような思いを抱いているのか、今までどういった影響を受けてきたのかなどを考えることは、過去を改めて客観的にとらえ、未来を見据える上でとても大切だとしみじみ思いました。

私の場合、「通訳者になりたい」という思いももちろんあったのですが、むしろそれ以上にさまざまな偶然やご縁があったからこそ、何とか紆余曲折を経て歩を前に進めることができたのだと思います。自分一人のちからだけではどうにもなりませんし、その一方で、他者が手を差し伸べて下さったときに私が準備不足では、やはり進展はなかったでしょう。物事にはタイミングがその時その時に与えられるのだと感じます。

小学校から大学院、外部のスクールなどにおいて素晴らしい「師」との出会いがあったこと、心から尊敬できる大先輩や人生の師匠に巡り合えたこと、周囲の励ましに恵まれたことも大きかったと考えます。また、しんどい時も仕事自体が私の目を辛さから背けさせてくれました。通訳業務が無ければ、苦しみや悲しみにどっぷりと浸かって這い上がれなかったであろう時も、未知の世界を知ることで、世の中の広さを教えてもらうことができました。

読書を通じて故人やご存命の方から勇気を頂いたこともあります。一読者である私のファンレター(?)に心温まる返信を下さった著者の方もおられます。そうした方々に支えられてきました。

また、これから社会を担っていく若き教え子たちからも、私は沢山のエネルギーを頂いています。明るく真摯に授業に臨み、クラスに活気をもたらしてくれる平成生まれの若者たちのお陰で、昨年の苦しいコロナ禍を何とか切り抜けることができました。とりわけ私にとっての2020年は心身ともに消耗する年でもありましたので、週数回の授業が私を支えてくれたことはとても大きいものでした。

自分を支えてくれる存在として、よく「家族」という言葉が挙げられますよね。苦しい時も寄り添ってくれる家族がいることは、何物にも代えがたい幸せだと思います。何があっても自分を裏切らず、支えてくれる血縁がいれば、どれほど励まされることでしょう。

でも、そうした存在が居なくても、絶望することは無いと私は思うのですね。私自身、今回のセミナーを機に色々と過去を思い出してみると、むしろ血の一切つながっていない方々の方が親身になり、見捨てずに私を丸ごと受け入れて寄り添ってくれたことがあったのです。

「親孝行」「家族孝行」ももちろん尊いものです。でも、自分が受けたご恩を、別の方や若い世代にリレーのようにつなげていくことも、立派な恩返しだと思っています。そして、仕事を通じて世の中にささやかながらも貢献することが、これまで受けてきた教育への感謝だとも感じているのです。

(2021年5月11日)

【今週の一冊】

「どうせなら、楽しく生きよう」渡辺由佳里著、飛鳥新社、2014年

本との出会いというのもご縁ですよね。私が今回ご紹介する一冊と巡り会えたのも、偶然でした。確かアメリカ関連のニュース記事を検索していた際、著者の渡辺さんが書いておられるコラムを見つけたのです。内容は忘れてしまったのですが、非常に独自性のある視点で、とても惹きつけられました。それで他にはないかと探したところ、行き着いたのがこちらの書籍です。

渡辺さんは様々な洋書を紹介するという仕事をなさっていますが、生い立ちにはなかなか厳しいものがありました。父親が厳しかったこと、しかも言葉の端々にそれが表れていたことなど、単なる「昭和の頑固おやじ」として片づけてはいけないほど、著者に深い心の傷を残しています。進路も自分で決められず、国際結婚をした後もハラスメント的言動をとる父親であったことが分かります。

そうした呪縛から逃れようとひたすら努力され、自分なりの結論に至るまでの心の流れを記したのがこの一冊です。心に響いた箇所は本当に沢山あるのですが、いくつか絞ってご紹介します:

「持論を押しつけてくる人や、人格攻撃をしてくる人の『アドバイス』に耳を傾ける必要はありません。」(p51)
→私も実母から「世間一般では」「常識では」という枕詞付きでこれまで様々なことを言われてきました。中にはありがたい助言もありましたが、それと同時に私自身の人格を否定することも一度や二度では無かったのですね。ずっとそれまでの私は「子供として生まれた以上、親孝行をしなければならない」という呪縛がありました。しかし、モラルハラスメントに関する本で「そもそも親がそのような言動を子どもにとってはならない」という記述を読んで以来、考えを改めました。

「親を恨んでいても、人生がよくなることはない」(p91)
→この文章はとても印象に残りました。自分の人生を良くしたいのであれば、「誰誰のせい」と言い続けたところで、私自身が幸福になるわけではありません。自分で動くしかないのですよね。

「『諦める』のは、新しい世界への扉を開く、前向きで潔い決断」(p122)
→そうですよね、諦観することは敗北ではないのです。自分は自分の生き方を追い求めて良いのです。私の場合、決断への勇気が無かったから苦しみがズルズルと続いたことを改めて感じました。

他にも「やるだけのことはやったのだから、もう気にしなくていい」(p185)や「がんばりすぎるから人生に疲れる」(p189)などの名言もあります。フリーの通訳者として生きてきた私は、「努力さえすれば良い結果がもたらされる」と信じてここまでやってきました。でも、うまくいかないことはあるのです。頑張り過ぎて心を疲弊させるぐらいなら、好きなことをして自分で自分を楽しませた方がよほど幸せになれます。

スケート・羽生結弦選手のショートに「Let me entertain you」があります。アップビートなメロディと羽生選手の表現力は、私たちの心を引き上げてくれますよね。歌詞にある”Life’s too short”という言葉を始め、自分で自分をentertainするような人生を歩みたいと思っています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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