INTERPRETATION

第501回 ドナドナ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

これまでの自分の仕事人生を振り返ってみると、とらえ方が分類できると思っています。分類項目は「ラク」「大変」および「楽しい」「つまらない」です。これをマトリックスにしてみると、

「ラクだし楽しい」

「ラクだけどつまらない」

「大変だけど楽しい」

「大変だしつまらない」

となります。

大学卒業後に入った会社での私は、「社会人一年生」でもあったことから、何もかもが新鮮でした。最初のうちは「大変だけど楽しい」という思いが強く、少しずつ慣れていくにつれて手順もわかるようになり、「ラクだし楽しい」となっていったのですね。

けれども、心の中ではどうしてもやりたい業務が他部署にあったため、いつかはそこに異動したいと思っていました。その気持ちが募るにつれて、目の前の仕事は「ラクだけどつまらない」となっていったのです。そして転職をしました。

その後留学を経て帰国して、「やはり社会人たるもの、正社員にならねば」との思いに駆られて某出版社に入社しました。活字は好きですし、英語も生かせると思って入ったのですが、蓋を開けてみると「大変だしつまらない」という思いが強くなっていきました。満員電車が元々苦手ということもあり、そこは1か月で退職。以来、通訳の仕事を本格化するようになりました。

今現在身を置いている通訳業および指導業というのは、正直言って、私にとっては「気力体力忍耐力を要する仕事」です。スポーツ選手のような瞬発力や体力、芸術家同様の緊張感や日々の積み重ねで求められる忍耐力など、様々な要素から成り立っています。つまり、単刀直入に言えば、

「大変」

の一言に尽きます。

それでも私は「未知を知る喜び」というこの仕事が心から好きであり、楽しんでいる。よって、今の私の仕事人生は、

「大変だけど楽しい」

ということなのですね。

これはたとえば営業職のようなノルマがある仕事でも、「数字達成は大変だけど、お客様に会うことで元気をいただける」のであれば、同様に「大変だけどやりがいがある」となると思います。

もし「通訳準備や授業準備はつまらない」「通訳現場や教え子を好きになれない」「雇用主が苦手」というのであれば、それは私からすると「自分には合わない仕事」です。不満を抱き我慢をしながらお金のために生き続けるという選択肢もありますが、それでは現場で自分の力は発揮されず、受け手もそのような本人の姿をうすうす感じ取るはずです。

童謡に「ドナドナ」という曲があります。子牛が市場へ売られていく悲哀を謳ったものです。自分が職場へ向かう際、「ドナドナ」のような気分になっているのだとしたら、自分の心に正直になり、違う仕事人生を考えても良い。

そう私は思っています。

(2021年7月27日)

【今週の一冊】

「空の旅 Welcome Aboard」柳沢光二著、用美社、2019年

子どもの頃から飛行機への憧れがありました。当時暮らしていたアムステルダムでは、スキポール空港に着陸しつつある機体が自宅のベランダからよく見えました。そのほとんどがKLMオランダ航空やヨーロッパ系の機体でしたが、週1回だけ、JALが飛んできたのです。毎週、時間が近づくと私はベランダに出て、鶴のマークをひたすら見ていました。あの頃はまだ国と国が離れていた時代。遥か遠い日本からやってきたB747を眺めては、日本を懐かしく思い出していたのでした。

あれからずいぶん年月が経ち、今や空の旅は誰もが経験できる時代となっています。私の場合、今なお座席は窓側を予約したいですし、出発直前に手を振ってくださる整備士さんには、私も懸命に手を振るようにしています。コロナ禍で今は飛行機にご無沙汰していますが、きっとまたいずれ搭乗できることでしょう。

今回ご紹介する「空の旅」は、日本の民間航空の黎明期について写真入りで紹介している一冊です。20世紀初めには民間の水上飛行機や遊覧飛行があった一方、人々の間では「飛行機は危険」という考えが広がっていました。北原白秋や岡本太郎などはそうした中、空の旅を文章に綴ることで、人々に飛行機の魅力を伝えていたのです。

本書で特に印象的だったのは、エア・ガール(今のCA)が初めて採用された際、テスト飛行前に撮られた写真です。カメラに収められているのは小泉逓信大臣と令嬢の芳江さん。小泉純一郎元総理の母君です。小泉逓信大臣の曾孫であられる小泉進次郎大臣が活躍される今の飛行機と言えば、チケットもペーパーレス、チェックインもデジタル化になるなど、隔世の感があります。

その源となった日本の飛行機情勢を知ることができる貴重な一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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