INTERPRETATION

第515回 孝行

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

我が家には日めくりカレンダーがあります。六曜やことわざなどを始め、とりわけ個人的に楽しんでいるのが「記念日」の記述です。国民の祝日はもちろん、語呂合わせや何らかのエピソードが土台となった記念日も紹介されています。

11月には勤労感謝の日がありますよね。これは新嘗祭から来ています。ハッピーマンデーが主流の昨今ですが、勤労感謝の日だけは11月23日と変わりません。一方、11月の第3日曜日は「家族の日」なのだとか。6月の父の日、5月の母の日のみならず、8月8日が「親孝行の日」であることも最近知りました。こちらは「はは(8・8)、パパ(8・8)」が由来です。家族に感謝するという崇高な記念日は多いのです。

さて、今回のテーマは「孝行」です。まずは皆さん、次の問いを考えてみて下さい:

「感謝したい人を一人『だけ』選ぶとしたら?」

複数でなく一人のみ、となると悩みますよね。「家族」「職場関係者」「恩師」「恋人」「友人」など、複数おられるのではないでしょうか。「ありがとう」の気持ちを伝えたい人が何人もいることは、とても幸せであり尊いことだと思います。

皆さんが感謝したい相手というのは、「自分が辛かった時、決して非難せず、お節介もせず、寄り添ってくれた」「辛口の意見を言ってきたけど、最後まで味方でいてくれた」という方々ではないでしょうか?

既にご存知の方もおられると思いますが、私は境界性人格障害の母を持ち、長年、悩みながら生きてきました。一人っ子ゆえ兄弟姉妹で支え合うという選択肢はありませんでした。些細なことで正気を失い逆上する母に父は寄り添うことができず、夫としての役割を早々に放棄しました。その結果、私は幼い頃から母の精神的サポートをしてきたのです。「ヤングケアラー」という語がまだ世に出る前でした。

母にとっての私は、世間体を保つため、さらに親戚に自慢するための「道具」でした。母を怒らせないこと、そして学業・仕事面での成功は、私への暗黙的至上命題でした。「早苗は私の自信作だから」と直接・間接的に何度も言われながら育ちました。母から見た実娘は「愛情を注ぐ我が子」ではなく、「自己愛を満たすためのモノ」でした。

数年前から、私は両親の問題とは別の課題に直面することとなりました。大きな決断を迫られる内容でもありました。長い道のりでした。

そうした最中、状況を母に説明したところ、母は私の想像をはるかに超えて半狂乱状態となりました。そして、それを抑えきれなかった父も母の剣幕にのみ込まれました。その翌日、両親連名のメールが私に届きました。文面には、私を徹底的に非難し、糾弾し、社会的に抹殺させることばが並んでいました。

具体的な内容は差し控えますが、実両親から浴びせられる言動として、非常に辛いものがありました。そしてようやく私はこの年齢になって、自分の親が「毒親」であることを認めざるをえなくなったのです。

それまでの私は、「毒親であれ、ここまで育ててもらったのだから親孝行せねばならない」「親を敬えないのは私が悪い。親の言動に耐えられないのは忍耐力欠如の私に非がある」と必死に言い聞かせていました。

しかし、あの糾弾メールを機にようやく目が覚めたのです。そして、こう思うようになりました:

「どう客観的に考えても、これは毒親以外の何物でもない。このまま私が耐えたら、いずれ私の心が取り返しのつかないことになる。そして、肉親で無いにも関わらず私を真剣に支えてくれる人を、私の方から傷つける恐れが出てくる。」

特に最後の部分は私にとっての恐怖でした。実親から見放されて糾弾された私が、もし取り乱し、心を病み、本意でないまま勢いに任せて生き始めたらどうなるでしょうか?最愛の子どもたちや大切な友人・知人・恩師を誤って傷つけてしまうことになりかねないのです。

子どもはいくつになっても実父・実母を愛したいと思っています。そして親から愛されたいと願っています。しかし、どれだけ子どもが両親を敬いたい・慕いたいと願っていても、それを拒絶する親が世の中に存在するのも事実です。そうした大人に傷つけられたまま、声を上げられぬまま、「親孝行」という言葉の重みに耐えながら自分の心に蓋をし、精神的に追い詰められてしまう子どももいるのです。

私は自分の心を取り戻すために半世紀かかりました。この文章をお読みの皆さんで、もし私同様の苦しみの真只中にいらっしゃるのであれば、どうか自分を責めないでほしいのです。悪いのはあなたではありません。親孝行をしたくなるような「子孝行」をしてくれた親であるならば、ぜひ親孝行をしてください。でも、愛情も寄り添いも我が子に与えない「子孝行」皆無の親元で苦しんできたのならば、その関係を正々堂々と断ち切ることを自分に許してほしいのです。たとえ実両親であっても、あなたの人生をコントロールする権利はありません。

あなたの人生はあなたのものです。

(2021年11月9日)

【今週の一冊】

「数字でわかる!こどもSDGs」秋山宏次郎監修、カンゼン発行、2021年

ここ数年、多方面で見聞するようになったことば「SDGs」。国連が2030年までに定めたものであり、環境や貧困、ジェンダーなど、17の達成目標が描かれています。日本企業もSDGsに照準を定めた活動をし始めており、学校教育の現場でも学習の一環として取り上げられています。

さまざまな不平等や迫りくる地球環境問題を、どう克服すべきか。それを考えるきっかけを与えてくれるのが本書です。子どもでもわかるような平易な言葉で説明がなされており、クイズ形式でトピックが並びます。具体的な数字でとらえることにより、どれだけ状況が深刻なのか、より分かりやすくなっているのですね。

たとえば「読み書きができない15歳から24歳の若者が世界にどれだけいるか?」との問いには3つの選択肢が出されています。答えは2億5千万人で、これは日本の人口のおよそ倍であるとの説明もあります。これほどの数の人たちが、今、この瞬間、教育を受けられないまま生きているのです。

巻末には17のSDGs目標と、169の詳細ターゲットの解説もあります。SDGsについて基本から学びたい大人にもぜひお勧めしたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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