INTERPRETATION

第553回 昭和・平成・令和の通訳へ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私事で恐縮ですが、我が家で飼っていたハムスターが先日一周忌を迎えました。キンクマハムスターで、それはそれは可愛い子でした。面倒を見ていたのは娘です。

幼少期に私はオランダに暮らしていたのですが、一人っ子だった私はきょうだいを切望していました。学校にいる間や放課後は友達と遊ぶことができます。でも帰宅すると遊び仲間はいません。当時はクラスメートの間でハムスターが大流行。そこで私もハムスターを飼うことにしたのです。私にとってのきょうだいとなりました。

そのようないきさつから、娘が「飼いたい」と言い出した時、私は好意的にとらえました。ただ、本人が真剣に面倒を見られるかという不安もありました。その当時、我が家は色々と難しい時期に直面していたからです。

それでも本人の真摯な思いを受け止め、お迎えすることとなりました。このハムスターを通じて私は娘の気持ちが少しずつ理解できるようになり、共通の話題もできて母娘の距離が縮まっていきました。我が家のハムスターは私にとって娘の心を知る上での「恩人」となったのです。

しかし、わずか1年強で容体が急変し、旅立ってしまいました。それはとても悲しいものでした。ペットロスという言葉は聞いていましたが、単に「飼っていた生き物が亡くなってしまった」ということにとどまらぬほど、深い悲しみを抱きました。

当時受けた強烈な淋しさは月日と共に薄れていきました。でも、今なお思い出すたびに「もう少し一緒に過ごしたかったなあ」という気持ちも湧きあがります。そのような感情と共に迎えた一周忌でした。

さて、日本にはかつて大家族時代がありました。サザエさんに出てくるような複数の世代が同居する家族構成。いわば古き良き昭和の頃です。そのような環境下では誰もがお互いを支え合い、幼い子どもにとっても祖父母などの肉親の病気・介護や死が身近にありました。しかし、平成を経て令和となった今、家族の在り方や人間関係、そして世の中全体が変わりつつあります。今年6月に出た「男女共同参画白書」には、「もはや昭和ではない」という文言が出ています。価値観が変わってきているのです。

考え方の変化。それは生き方だけではありません。仕事においても同様です。私が携わる通訳や翻訳業界しかりです。昭和から平成初期までの通訳業界には以下のような特徴がありました:

1 移動の際、クライアントがグリーン車やビジネスクラスを利用するのであれば、通訳者も「帯同する」という観点から同じくグリーン車やビジネスクラス。宿泊先もクライアントがVIPフロアの場合、通訳者も同じフロアであった(代金はもちろんクライアントやエージェント持ち)。

2 資料は紙ベースで、すべて事前にエージェントが揃えてくれた。クライアントも早め早めに資料を出すことが多く、大量の資料を宅配便で通訳者の自宅まで送ってもらえた。私のように東京都の隣接県在住でもバイク便で届けてもらえた。

3 業務時間が1時間以上の場合、複数の通訳者がアサインされた。

4 通訳現場にエージェントの営業担当者が同行することが多く、通訳者の現場ニーズに即対応してもらえた。

5 水や差し入れ、食事などが用意されることが多かった。

ざっとこのような具合です。もちろん、これらが令和の今、すべて無くなったわけではありません。しかし日本経済自体が斜陽になったことから企業もコストカットなどを行っています。高度経済成長やバブル期のような羽振りの良さは、日本社会全体から少しずつ消えていったのです。

でも、これも「現実」なのですよね。よって、「昔は良かった」と懐かしんだところで現状が激変するわけではありません。通訳者に求められることも変わりつつあります。その一方では、技術進歩のおかげで通訳者も多大な恩恵を受けています。たとえば在宅ビデオ会議通訳ができるようになったこと。あるいは、直前の資料配布であっても自動翻訳ソフトにかければあっという間に精度の高い訳文が出てくるといったことなどが一例として挙げられます。

我が家のハムスターとの楽しい思い出から一年。日本社会や通訳業界の変遷を感じつつ、これからも時代の要請に応じてお客様に喜んでいただける通訳者を目指したいと思っています。

(2022年8月23日)

【今週の一冊】

「毒になる親 完全版」スーザン・フォワード著、玉置悟訳、毎日新聞出版、2021年

「毒親」ということばが日本で知られるようになってからずいぶん経ちました。今でこそ自分の親が毒親であるとカミングアウトする人も増えています。しかし、家庭の中の問題は今なおその家族の中の「秘密」とされ、なかなか表出化しません。本書は1999年に邦訳が刊行され、20年以上を経た昨年に出版された完訳版。原書タイトルの副題は”Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life”とあります。親から負った傷、つまり「負の遺産」をどう克服し、子ども自身が自らの生きるちからを得ていくべきかが綴られています。

フォワード氏はじめ多くの心理学者が家族問題にスポットを当てて類書を出してきました。被害に遭った子どもたちは、なかなか外部に相談できない分、こうした書籍にすがるような思いで答えを見出そうとしてきたはずです。一方、毒親の真相を知らない世間は子どもたちに対し、「生んでもらって育ててもらった恩があるのだから、子どもであるあなたが我慢しなきゃ」「親も年老いてきてるのだから、そこは子どもの方が辛抱すべき」といった言葉をかけます。子どもたち自身、「自分さえ我慢すれば波風が立たない」という生き方を否が応でもしてきたのです。頭の中には「親孝行」ということばがうずまき、ますます子どもは追い詰められます。ただでさえ忍耐し続けて生きてきた子どもたちは、世間一般の「常識」や言葉がけにより、さらに傷ついてしまうのです。

本書は、毒親が具体的にどのような行為を子どもたちにするのかをケーススタディとして紹介しています。親子関係に苦しみを覚える子どもは、そうした事例の中に救いを見出せることでしょう。本の後半にはどのようにして自分自身の人生を取り戻せるかが書かれています。

中でも印象的なのは「『毒になる親』を許す必要はない」(p234)という部分です。子どもたちは何度も何度も自らが我慢することで、自分が渇望していた親からの愛情を今度こそは得られると信じていきています。けれどもやはり裏切られてしまう。そして、それでもあきらめずに忍耐し続ける、というパターンを繰り返します。被害に遭った子どもたちは「やはりうちの親は毒親だったのだ」と認めることは絶対にしたくないのです。なぜならそれは、自分が求める親からの愛情をあきらめるという絶望の境地に立たされるからです。

フォワード氏は「許し」を次のように定義しています:

「『許し』とは、許される側の人間がそれに値するなんらかの具体的な行動を取った時にはじめて適切なことと言えるのではないか、と私は思うのだ。子供に害悪を与えた親は、自分が行ったことがなんであったかを認め、その責任が自分にあることを認め、自分を改める意思を見せなければならない。被害者のほうが一方的に加害者を許して責任を免除し、その一方で加害者の親は相変わらず事実を否定し、被害者の気持ちを踏みにじってひどいことを言い続けるのでは、被害者の心の回復は起こりえないのである。」(p241-242)

「毒親問題は3世代前までさかのぼる」とよく言われます。毒親自身もその親から辛い言動をとられて苦しんだ被害者でもあります。だからとて、その悲しみと怒りを自分の子どもにぶつけて良い言い訳にはなりません。親自身が「苦しみの原因となったことの責任を本来追わなければならない」(p242)のです。つまり、子どもへ八つ当たりして負のバトンリレーをするのではなく、親こそが勇気をもって自ら対処することが必須なのです。

本書のテーマは毒親ですが、職場や夫婦など人間関係全般に応用できる示唆に富んだ一冊です。毒親の連鎖を何としても自分の代で食い止めたいと思う人を始め、人間らしく生きることを目指すすべての方に読んでいただきたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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