INTERPRETATION

第566回 ミルフィーユのごとく

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

出講している大学で、今年度になってから新たな試みを始めました。導入したのは「出席カード」です。学部・学科と名前を書いて提出する、あの出席カード。昔からありますよね。最近は教室の入り口に鉄道系ICカードのような出欠管理システムも大学によってはあるのだとか。便利な時代です。

私はこのカードを、出席確認に加えてもう一つの用途で用いています。それは授業に関する質問やコメントを自由に記載してもらう、というもの。そのきっかけとなったのが2020年度の遠隔授業でした。クラス全体に向けて「質問は?」と尋ねても、なかなか皆の前で講師に聞くのは抵抗があるのでしょう。しかし、チャット機能を使ったところ、ものすごい速さでたくさんの質問が寄せられたのです。そこで対面授業になってからも、この出席カードをいわばチャットのツールのような位置づけにしたのでした。

学生たちには学習法の質問や授業教材のお尋ねなど、何でも書いてOKと伝えています。週を追うごとにお悩み相談が書かれていたり、イラストが描かれていたり、「先生の好きな食べ物は?」などのほほえましいものも増えてきました。授業にカードを集めて読むのは私にとっての至福のひとときです。

寄せられたコメントや問いは次週の授業で質問者名を伏せたうえで回答します。そうすることで、以後も安心してコメントを書いてほしいからです。問いの多くは若い学生さんにとって共通するものもあり、私自身が学生時代を振り返りながら精一杯お答えできたらと思っています。

学期の後半にもなると、筆跡だけで名前と顔が思い浮かぶようになります。文字というのは実は多大なメッセージを秘めています。いつも丁寧に書いている学生が、少し文字が揺らいでいたり、大量に綴っていたのがなぜか文字数が減っていたりという場合、生活面で何かあったのかなと気に留めるようになりました。杞憂に終わることがほとんどですが、コロナが続く中、学業以外にも講師として心を配ることができればと考えています。

ちなみに一番多いお尋ねは「どのようにして通訳者になったのですか?」というもの。私自身、「幼いころから通訳者に憧れていました!」という状況からは程遠く、むしろ「偶然の積み重ね」でこの仕事にありつきました。私が大学4年生の頃はまだ男女平等が法制面でも黎明期。女性は結婚したら専業主婦になる道のりもあったのですね。よって私自身、そのような考えがメインと思われる会社への就職を考えたこともありました。

しかし、たまたま大学4年生の夏休みに海外留学をすることになり、その結果、夏休み中の就職活動が不可能になったのです。よって、夏休み前に新聞の求人広告で仕事を探すことに。偶然見つけたエアラインに応募したところ、運よく一次選考に通り、2次選考の重役面接では私の大真面目な答えがなぜか面接官の役員の方々の笑いを(いや、失笑だったかも)誘ったがゆえに内定が決まりました。そのまま長く勤めようと思うも、今度は留学熱が高まり転職。海外で1年弱学んで帰国したら仕事が全くなく、たまたま訪ねた通訳スクールの恩師から仕事を紹介され、そこから通訳者人生が始まりました。

つまり、こういうことなのです。人生というのは、計画通りに行くこともあれば、偶然の積み重ねがどんどん自分を運んでくれることもあるのだ、と。まるでミルフィーユのごとく思いがけない出来事がレイヤー上に重なっていき、自分の人生が不思議な形でいざなわれてきたと私は感じています。

ちなみに私は日々の中の「偶然」に救われることが度々あります。たとえばちょっとしんどいことがあった日のこと。メールを開けたらご無沙汰していた級友から心温まる文面が届いていました。別の日には、出先で知人にバッタリ会い、とても嬉しくなったこともあります。どれも数秒ずれていたら違う展開になったでしょうけれども、そのタイミングで自分がその瞬間にいたということは、とてもありがたいことだと思うのです。

偶然というのは「出てこ~い!やってこ~い!」と念じたとて生じるわけではありません。むしろ何も期待していないときにふっと湧き出てこちらにもたらされるように私は感じます。そうしたシンクロニシティを大切にしていくことが、日々の充実につながるのではと思っています。

(2022年12月6日)

【今週の一冊】

「誰も知らない世界のことわざ」エラ・フランシス・サンダース作、前田まゆみ訳、創元社、2016年

通訳者にとってことわざや慣用句、ジョークやダジャレなどを訳すことほど神経をつかうことはない。なぜならそうしたことばにはそれぞれの文化や歴史、慣習などが反映されているから。多数の国から参加者が出席する国際会議では、プレゼンで誰かがジョークを言った場合、できれば全員が同じタイミングで笑ってほしい。よって、通訳をする際にもタイミングが大事になってくる。

今回ご紹介するのは世界のことわざを集めた一冊。見開き一ページで美しい絵が添えられ、その国のことばでの表記もある。日本からは「サルも木から落ちる」が登場。英語で直訳しても通じるが、ほかにもEven Homer sometimes nodsがある。こちらは大詩人ホメロスがお目見えするものだ。

さて、本書のような場合、私は最初のページから読むよりも、目次から好きな個所を読みたい。目下、自分自身が関心を抱いている国のことわざを探してみるのだ。ちょうど先日の国際会議でオランダの方が登壇されたので、オランダのことわざをチェック。「テーブルクロスには小さすぎ、ナプキンには大きすぎる」(p34)という表現が掲載されていた。日本の「帯に短し襷(たすき)に長し」と同じだなと嬉しくなった。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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