INTERPRETATION

第575回 変化を恐れず前進

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

長年の習慣というのは、深く考えなくても身に沁みついていますよね。朝起きてから出かけるまでのルーティンしかり。車に乗ってエンジンをかけて出庫するまでの目や手、足の動きしかりです。体が自然と覚えてくれるというのは大いなる恩恵です。

その一方、自分のやり方が確立してしまうと、慣れ親しんだ年月が長いほど変更するのが大変になります。勇気も必要です。

たとえば私にとって最近の大きな変化の一つに「手帳」があります。私は20年以上にわたり、同じ会社の同じ規格のダイアリーを愛用してきました。手帳の前半には月間カレンダーがあり、後ろにはウィークリーのタテ型が記載されているというタイプ。カレンダーに仕事の予定を書き込むと、その月がどれぐらいハードなのか全容がつかめます。「月末は通訳業務が立て込んでいるから、今週中に前倒しで予習しよう」と見通しが立てられるのですね。ただ、カレンダーのスペースは小さいので、ウィークリーの方に同じ内容を書き写し、補足もしていました。

しかし、この手帳には難点もありました。それは「カレンダーページとウィークリーページが離れているため、転記の際、記載漏れが起こりうる」というもの。カレンダーの方を見ながら、後ろのウィークリーにその都度、書き写すのですが、何度か漏れが生じたことがあったのですね。プライベートであればまだしも、仕事スケジュールに抜けがあったら一大事です。よって、とても気を遣ったのでした。

昨年末のとある日。たまたまツイッターで見かけたのが、現在使っている手帳の広告でした。それは手帳の上半分と下半分がわかれており、月間カレンダーとウィークリーを「同時に開いて眺められる」というスグレモノ。つまり、カレンダーを開いた状態ですぐ真下に該当の週ページを開けられるのです。常に月間スケジュールを確認できるのはありがたい!迷わず購入です。

使い始めるや「もっと早くに出会っていたら」と思いました。「今までのあの転記労力って何だったのかな」とも。それぐらい重宝しています。

実は今回のような「変化」、通訳予習でも最近ありました。具体的には「単語リスト作成」です。

それまで私は「単語の暗記法は手で書いてこそ!手を動かすことで記憶に定着する」とかたくなに信じていたのですね。よって、予習ではルーズリーフに単語リストをひたすら手で書いていました。それはそれで良かったと思います。確かに「音読しながら手を動かすこと」は脳の活性化となり、覚えることにつながったからです。

しかし欠点もありました。それは「並べ替えがきかない」ということ。一度紙に書いたら入れ替えができません。五十音順にもアルファベット順にもできない。リストが膨大であるほど、現場に持参しても該当の語を探し当てるのが難しくなるのですね。

先輩や同僚のみなさんがエクセルでリストを作っておられるのは、長年見てきました。ただ、私はもともとエクセルが苦手。使い方を熟知すること自体が大いなるハードルで、二の足を踏んでいたのです。が、この「並べ替え不可問題」はストレスでもあります。そこで、一念発起して使うことにしたのでした。

いざ活用してみると、その効率に驚くばかり。表示も英日・日英が瞬時に変えられますし、五十音順アルファベット順もあっという間です。何しろキーボード入力は早いですし、リストが延々と増えても気になりません。むしろ、「おぉ~、今度の会議で使う単語リストは200にもなった」という妙な達成感(?)につながります。いえ、頭の中で暗記するのが最重要なのは言うまでもありませんが・・・。

というわけで、長年の習慣もいざ変化を加えてみると想像以上に容易であったりします。そのことがわかっただけでもうれしいです。変化を恐れず前進、ですよね!

(2023年2月28日)

【今週の一冊】

「単語の9割は覚えるな!同時通訳者が実践する最強の英会話メソッド」(宮本大平著、サンマーク出版、2017年)

20年以上にわたり放送通訳を続けてきた私にとって、英語から日本語に訳す方が断然ラク。何しろニュースの場合、話題の連続性があるので、日ごろから追いかけていれば何となく話題もなじみが出てくるのだ。

ゆえに、会議通訳の仕事が入ると焦ってしまう。会議の場合は英日・日英の両方を担当する。「私は英→日専門です」というわけにはいかないので、双方向で同じレベルのアウトプットが求められる。AIIC(国際会議通訳者協会)のかつての規定では、「通訳者の母語に通訳する」が原則であった。つまり、イギリス人であれば「ドイツ語から英語へ」、オランダ人なら「フランス語からオランダ語へ」という具合。しかし、EUの拡大に伴い、この原則も変化し始め、今では非言語にアウトプットを行うケースが増えている。

一方、日本の通訳者の場合は長年状況が異なっていた。何しろ日本語を完全に理解して英語に訳せる非日本人通訳者が圧倒的に少ない。なので日本人通訳者が英日・日英双方を担当していたのだ。私もその一人ということになる。

日本語と英語は語順が異なり、しかも日本語は「主語」が無くても文章が成り立つ。よって、日英通訳は私にとって非常に難しい。できれば放送通訳だけで仕事をしていきたいと思うが、そうも言っていられないのが昨今の経済事情(何しろ生活せねばならないわけだし)。そこで日英をいかに負担なくして行うかは課題であった。

今回ご紹介する一冊は、そのような悩みを解決してくれる助っ人本。たとえば「乗り物」には自転車、車、バイク、電車など色々ある。これら個々を同通で英訳するのは大変だが、すべてvehicleで統一すれば良い、というのは目からうろこだった。他にも「多い」を表す際、manyやmuchだと可算名詞か不可算名詞かで迷ってしまう。そんな時はa lot ofで切り抜ければOKと出ていた。

特に重宝したのは82ページに出ている「~につきましては」の説明。これはAboutやRegardingを文頭に持ってくるとのこと。ちなみに日英同時通訳では日本語の主語から動詞までの距離があるため、内容を保持するのが大変。よって、主語を聞いたら即座にAboutやRegardingで同通し、落ち着いて残りの文章を通訳するのが負担も少ないと感じた。

もっと早くこの本に出会っていたら、日英も楽になっていたなあとしみじみ思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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