INTERPRETATION

第577回 あきらめは次への勝利

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

桜の開花が待ち遠しくなりました。マスク着用も任意になり、久しぶりに解放された気分を満喫できそうです。指導先の大学では4月にどのような出会いがあるだろうとワクワクしています。春というのは人の気持ちを前向きにさせてくれますよね。

とは言え、人間ですのでいつもいつもハッピーというわけにはいきません。世界を見渡せば心が痛む状況が続きます。私のように日ごろからニュースの通訳をしていると、共感疲労に陥りがち。世の中には「自分のチカラで変えられること」もあれば、「自力ではどうにもならないこと」もあるのです。

では、そのような時にどうするか?実は古典を紐解いてみると、古の偉人たちもそれに苦悩していたことがわかります。私が愛読するマルクス・アウレーリウス著「自省録」もそのような文言でいっぱいです。ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスも、他者の目を気にし、世の行く末を憂い、悩み苦しむ様子を綴っていました。この名著を日本語に訳した精神科医の神谷美恵子先生も、その生涯において大いに苦悩した方でした。ちなみに「自省録」は最近、「超訳版」が出版され、読みやすくなっています。

これまでの自分自身の歩みを振り返ってみると、「頑張ることが楽しい」という軸を元に生きてきたように思います。通訳という、毎回受験勉強のようなインテンシブさを求められる仕事であるため、事前準備の頑張りが当日のすべてに反映されるからこそ、やりがいとなっているのです。

ただし、これが通用するのは「自分の心身が限りなく健やかな状況時」に限ります。日頃から体調管理を大事にして、常に心も体も万全であれば、「毎回全力でフル展開」も可能でしょう。でも、人間ですので生きていれば様々なイレギュラーが生じます。自分で避けたり対峙したりできることもあれば、どうにもならないこともあるのです。それに加えて、季節の変わり目や世情などで体が付いていけなくなるというケースも。

そのような際、今まで自力で切り抜けてきた人ほど、それが成功体験となっているため、「今回だって自分で何とかできる」と思いがちです。初期段階で白旗掲げて降参することをなかなか自分に許してあげられないのです。それどころか、観念や諦念は自分が自分に敗北するように思えてしまうのですね。

私自身、このサイクルで頻繁にがんじがらめになってきました。人生の折り返し地点を過ぎた今でも、この厄介な「怪物」に悩まされます。ホント、ヤレヤレです(笑)。

では、どうするか?私の場合、これまでは「何かをあきらめること」を良しとせず、「自分の頑張りで克服する・解決する」を良しとしてきました。突破口の可能性がたとえ0.00001%と限りなく低くても、そこに賭けていたのです。でも、ようやく最近ふんぎりがつきました。それは「あきらめるべき物事に対してはあきらめよう」というものでした。

かつての価値観からすれば、これは「自分自身への大いなる敗北」です。何しろ「頑張れば何とかなった」をデフォルトに生きてきたのですから、うまく克服できないということは自分の努力不足・不甲斐なさゆえというマインドが染みついています。しかし、どうにもならないものはどうにもならないのですよね。この当たり前すぎる「当たり前」を受け入れようとしなかった自分も、なんとまあ盲目的で頑固だったんだろう、と最近は笑い飛ばせるようになりました。

新年度を前に、期待がある反面、何となくモヤモヤdaysをお過ごしの方もおられるでしょう。「あきらめという潔さは、実は穏やかに生きる上での次への勝利」と私は自ら言い聞かせています。

(2023年3月14日)

今週の一冊

「ベストセラーに学ぶ最強の教養」(佐藤優著、文藝春秋、2021年)

鈴木宗男事件で連座し、逮捕・起訴された元外務省の佐藤優氏。私は氏の著作が好きでこれまでいろいろと読んできた。中でも「国家の罠」を読むと、いかに個人が無力であるかを痛感させられる。一方、「十五の夏」「埼玉県立浦和高校 人生力を伸ばす浦高の極意」などは、未来を担う若者たちが希望を抱けるような内容だ。佐藤氏の講演会にも何度か出かけたが、膨大な知識と記憶力、幅広い教養に感銘を受けた。

今回ご紹介するのは、様々なベストセラーを読み解く一冊。氏が厳選した42冊に解説が加えられている。一番古いのは1871年の「西国立志篇」、新しいのは2016年の「コンビニ人間」である。

中でも、「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子著)への解説が心に響いた。著者の渡辺氏は修道女であるが、神の世界に入ったきっかけは2・26事件で父親を失ったことにあろうと佐藤氏は推論する。「置かれた場所で咲きなさい」の中で渡辺氏は、現実を受け入れ、歩んでいくことの大切さを綴っている。そのことについて佐藤氏は、「最終的に、変えられないことをいつまでも悩んでいても仕方がない」と解釈したのである。「渡辺氏は、他者の悩みを自分の悩みと同じように受け止め、解決に向けて努力するという生き方を続けている」(p142)と読み解いている。

もう一つ感銘を受けたエピソードは、ロシア語通訳者の故・米原万里さんとのひとこま。佐藤氏は保釈後しばらく人との接触を断っていたが、例外は米原さんであった。自由の身になって初めて米原邸を訪ねたとき、米原さんは黙って佐藤氏の手を握り、しばらく沈黙してからこう言ったという。

「あなたの経験を本にしたらいい。職業作家になったらいいわ。応援する」(p164)

そのあと、米原さんはがんに見舞われた。今度は佐藤氏が米原さんの手を無言で握り続けたという。「手の温もりには言葉以上に人の気持ちを伝えることができる力がある」(p164)という一文が心に響いた。

私はここ数年「親子関係」「共感」というテーマに注目している。人が苦しい時に慰め、寄り添ってくれるのが肉親、とりわけ実両親であればどれほど励まされることだろう。しかし、世の中にはそれが叶わない人もいる。でも、絶望しなくて良い。その分、自分が他者への共感力を醸成できるきっかけを得られるかもしれないし、肉親以上の心優しい友人と巡り合えたりするかもしれないのだから。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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