INTERPRETATION

第578回 通訳者のメンタルヘルス

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今からさかのぼること数十年前、親友が大手銀行に就職しました。総合職として将来を嘱望されており、努力家の彼女は好成績を上げていたものの、わずか数年で退職してしまったのです。「燃え尽きてしまった。日常生活でも見るものすべてをお金に換算してしまうのが辛い」と吐露していました。

どのような仕事であれ、それに携わる人は誇りを持ちながら、そして世の中に寄与したいとの思いで働いています。通訳者の私もその一人です。フリーランスで働いていることもあり、仕事の一つ一つが真剣勝負。一期一会の世界であり、失敗してしまえば次が無いとの恐怖心もあります。業務依頼を受けたその瞬間から予習開始のゴングが鳴り響き、当日、マイクのスイッチをオンにするギリギリまで緊張状態を保っているのです。大いに体力を消耗します。でも、業務後にお客様に喜んでいただければ疲れも吹き飛びます。「自分」という肉体を総動員してやり遂げたことは、達成感とやりがい、そして次へのモチベーションにつながるのですね。

しかし、人間は機械ではありません。トップギア状態をずっと続けていれば、どこかで破綻してしまいます。そこで今回は、通訳者のメンタルヘルスという観点から、どのような状況に見舞われやすいかについてお話します。通訳者全員に該当するわけではありませんが、いずれも私自身が目下、試行錯誤しながら共存しているものです。

(1)体すべてをフル稼働
通訳の本番中は体全体の神経をフル活用します。目はスクリーンに映し出されるスライドを凝視しつつ、話者の表情や口元からも話の流れをくみ取ろうとします。耳から入ってくる単語は一つたりとも落とせないと思えば、全神経で集中しますし、ヘッドホンの音量は通常の音楽鑑賞より大きくなります。手は、重要な語句や細かい数字などをメモするため、いつもペンを握りしめてスタンバイ状態。良き発声のためにも背筋はピンと伸ばします。聞き取りやすい声を出すためにも喉に力が入ります。お客様から見える位置に座る場合は、足がだらしなく開かないよう、膝頭を付けての着席です。この状態を長時間続けているのです。

(2)耳が「過敏」になる
「ハイキャリア」で連載中の寺田真理子さんは、かつての苦しい経験を綴っておられます。:
https://www.caresapo.jp/senmon/fukushi-omoi/48757
この中で寺田さんは、「ウィスパリング通訳」をした際に全神経を音に集中するため、「一時的な聴覚過敏になる」と述べています。私も実は現在、同様の症状に見舞われており、日常生活でも音に過敏になっているのですね。コロナが続いて静かな環境に慣れたこともあるのでしょう。最近は車内やカフェなどの話し声が気になってしまいます。「かつては何とも思わなかったのに、市民の楽しいコミュニケーションに対して心の中がささくれ立つ自分って何なんだろう・・・」と自分の狭量さが目立ちます。この仕事で過敏さが身に付いてしまったのでしょう。

(3)文字や表情にも過敏になる
神経が研ぎ澄まされるのは耳だけではありません。私の場合、活字や表情もそうです。たとえば誰かと話している際、相手の目や口、顔全体の表情などから必要以上に心理を読み取ろうとしてしまいます。これは放送通訳や会議通訳現場で、話し手が表情を通じて何を言わんとしているのかを嗅ぎ取る習性が身に付いたからだと思うのですね。活字も然り。通訳の予習中、参考資料や著作などからイイタイコトを必死に読み取るべく、行間を読もうと必死になります。それを日常生活でも当てはめてしまう自分がいるのです。実に消耗します(笑)。

(4)仕事に依存してしまう
私の場合、「仕事を通じて世の中のお役に立てること」は何物にも代えがたい喜びです。たとえフリーランスで仕事量が不安定であろうとも、業務を通じて新しいことを学べて自分がusefulになれることは生きがいでもあるのです。しかも予習をすればするほど、当日それが良い形で訳出に繋がります。頑張れば報われるのです。しかし、これは諸刃の剣でもあります。勉強のための時間捻出ばかり考えてしまう。本来であれば休息をとるべきなのにそれを押して机に向かってしまう。夜なのに仕事メールをチェックしてしまう。こうした状態で常時神経が高ぶってしまうのですね。仕事は自分にとって尊いと見なすことは、別の見方をすれば仕事にものすごく依存をしている状態にもなるのです。

(5)「頑張る・我慢する」を良しとしてしまう
努力が報われる仕事というのは、常時自分が頑張った結果と言えます。けれども、頑張るためには何かを我慢することを良しとしてしまうことにもつながります。「今、我慢しておけば良い結果が出る」というのは一時的には構わないでしょう。でもそれが自分の行動様式に沁みついてしまうと、生き方そのものもそれで乗り切ろうとしてしまいます。たとえば、難しい人間関係においても「私が頑張れば」「私が我慢すれば」と無意識に思ってしまうのです。通訳業務の場合は「ことば」と「知識」の分野で頑張れば良いのですが、この頑張りを対人関係にあてはめようとしてもうまく行きません。なぜなら相手にも感情や価値観があり、自分とは異なるからです。「頑張って達成できた」という、仕事で蓄積した成功体験を他者に該当させることは、自分だけでなく他人に対しても過剰な期待をかけることになってしまうのです。

今年の1月中旬にニュージーランドのアーダーン首相が、突然辞任を発表しました。理由は「燃え尽きてしまった」というものでした。通訳者として私自身、長くこの仕事を大切にして生きていくためにも、燃え尽きぬように自らのメンタルヘルスを大切にしたいと思っています。

(2023年3月21日)

【今週の一冊】

「自己肯定感が低い・傷つきやすい・人とうまくやれない それは”愛着障害”のせいかもしれません。」(中野日出美著、大和出版、2019年)

先週本稿で佐藤優さんの著作を紹介した。佐藤さんは鈴木宗男事件に連座し、逮捕されて東京拘置所の独房に512日間拘留されている。捜査の間、佐藤氏について証言をした者の中には、事実とは異なることを言った者もいた。しかし、氏の両親はどこまでも息子のことを信じていたのである。何があっても我が子を信じる様子は、私の心の中に深く残った。そして佐藤氏は小菅を出た後、「国家の罠」を記し、世の中は「国策捜査」について知ることとなったのである。

今回ご紹介する一冊のテーマは「愛着障害」。子どもは幼児期に親と愛着を形成できれば、生きる力を得て、大人になってからも自己肯定感を持ち、幸せになれると言われる。しかし、親子によっては愛着を作り上げることができず、子どもはその後、大いなる苦しみを抱きながら大人になるケースも存在する。人間関係がうまく行かなかったり、何かに依存するようになったりと、苦しい人生を歩むことになってしまうのだ。

著者の中野氏によれば、愛着障害による弊害は青年期だけでなく、成年期以降でも浮上するという。それが生きづらさをもたらしてしまう。そして、愛着障害は親から子へ、子から孫へと世代間連鎖される。どこかで誰かが断ち切らない限り、続いてしまうのだ。私は本書を読み、愛着の根本にあるべきなのは「親自身が自らを愛し大切にすること」だと感じた。親が自分の心を大事にしていれば、それが他者や我が子を愛することにつながる。その土台があれば、たとえ佐藤氏のような状況になったとしても、親は子を信じることができる。そして、親に信じて愛してもらえた子どもは、必ず立ち直ることができると思う。

本書には愛着障害についての具体的な内容を始め、どうすれば克服できるのかがわかりやすく説明されている。私自身、これを読んで大いに開眼し、励まされた。もし今、生きる上でしんどさを感じているのであれば、ぜひ読んでほしい。一歩を踏み出せると思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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