INTERPRETATION

第586回 明朗会計

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

かつてロンドンの大学院で学んでいた頃、現地の公認会計士の友人から以下の話を聞きました。

「担当しているお客様から電話がかかってきた際、たとえ最初は時候の挨拶だったとしても、もし具体的な会計の話になったら、その時点でこうお伝えするの。『ご相談のお電話になりますので、ここから料金が発生しますがよろしいですか?』って。OKならタイマーでカウント開始。私たちの仕事は、それこそ10分単位でコンサル料金が発生するのよね。」

その合理性に思わずうなってしまいました。確かに、お客様がアドバイスを得るとなればそれは会計士にとっては立派な業務です。彼女曰く、そのような細かい規約が契約書には書かれているそうです。

通訳業界も料金体系がしっかりしています。半日・全日・延長料金を始め、交通費や資料の取り扱い注意事項なども契約書には綴られています。私たちの仕事は拘束時間「だけ」で見れば単価が高く思われます。しかし、業務当日まで通訳者は膨大な予習をし、健康状態を保ち、万全のコンディションを整えていきます。このプロセスすべてへのギャラなのです。音楽家やスポーツ選手などと似ています。

数年前、私は滋賀県豊郷町(とよさとちょう)にある「伊藤忠兵衛記念館」を訪ねました。滋賀は「近江商人発祥の地」。この記念館は伊藤忠商事・丸紅の創業者である初代・伊藤忠兵衛の本家を開放したもので、初代および二代忠兵衛の足跡をたどることができます。二代忠兵衛は20世紀初めに英国留学を果たし、先見の明をもって事業を進めました。その根底に流れるのが近江商人の思想である「三方よし」、すなわち「売り手によし、買い手によし、世間によし」です。

この「三方よし」という考えは、現在の企業フィランソロピーやSDGs、ESGに通じるでしょう。会社だけが利益を追い求めるのではなく、社員や顧客、そして社会にとって貢献できることが世のため人のためになるのです。

「三方よし」からさらに私が思い出すのが「明朗会計」というフレーズです。よく企業の広告などで見られますよね。ごまかしやインチキがない勘定を意味します。明朗会計を掲げるレストランは飲食代金を、運送会社なら輸送費を、中古車ディーラーなら販売価格を明示します。今の時代、私たちは大半のサービスにおいて「料金を確認」してから、「そのサービスを利用する」のが当たり前です。でも、もし料金が掲げられていなければ?たとえば小包を東京から大阪まで送る際、どこか運送会社のHPを見たとします。「まずはお試しで無料相談を」と言われて「ラッキー!」と飛びつくも、発送後に請求書が届き、それが法外な値段だったら困ります。つまり、サービスを提供する側は明朗会計を提示することで信頼を得られるのです。それがやがては三方よしにつながると私は感じます。

今や世の中には多様なサービスが存在します。自分が消費者なら何をサービス提供者に求めるか、その「基準」を持っていれば怪しいケースに巻き込まれることも防げるでしょう。一方、自分がサービスを提供する場合も、誠意を持って堂々と価格を明示していくことが求められると私は感じています。

(2023年5月16日)

【今週の一冊】

“Britain’s 100 Best Railway Stations” Simon Jenkins著、Penguin UK, 2018年

イギリスが大好きなので、イギリス関連本にはつい手が出てしまいます。今回ご紹介するのはイギリスの鉄道駅を取り上げた写真集。「ベスト100」と銘打ったタイトルから、著者の思いが想像できます。掲載しているのはイギリス各地の駅で、ロンドン地下鉄駅も含まれます。巻末には索引もあり、お気に入りの地名から調べられます。

中でも印象的だったのが地下鉄のBaker Street駅。シャーロック・ホームズで有名ですが、本書には写真だけでなく、昔の絵画も載っています。かつて私が通勤や通学で使ったLondon Victoria駅の建築装飾は、改めて見ると実に美しいことがわかります。一方、地方にはまるでミニチュア模型のようなかわいいデザインも。鉄道発祥国のイギリスは古きものを大切にしており、駅の外観だけでなく内装や待合室なども当時のままとなっています。

ポストコロナで人の移動も本格化しました。私も近い将来、イギリスを旅したいです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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