INTERPRETATION

第631回 人間だから

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

日々の生活の中で、物事がうまく進まなかったりすることは誰にでもありますよね。自分が失敗してしまうこともあります。そのようなとき、私はよく、

「人間だもの みつを♪」

と唱えています。そう、詩人・相田みつをさんのあの名言です。

今回の本稿は「人間だもの」ではなく、「人間だから」がテーマです。

先日のこと。ブルー・インパルスの元隊長さんのお話を聞く機会がありました。ブルー・インパルスとは航空自衛隊の存在を人々に知ってもらうため、アクロバット飛行を行うチーム。コロナ禍では医療従事者を励ます展示飛行をしていましたよね。私は幼少期に暮らしていたイギリスで英国空軍のRed Arrowsの曲技飛行を見て以来すっかり魅了され、これまで英日の航空ショーを楽しんできました。今回の元隊長さんのトークイベントは滅多にないチャンスです。

お話では曲技の裏話や鑑賞の楽しみ方などが披露され、期待を上回る内容。質疑応答時間もたっぷりありましたので、早速私もお尋ねしてみました。「AIが様々な仕事をこなせるようになった昨今、ブルー・インパルスもいずれはAIによって取って代わられてしまうのですか?」という問いです。私自身、「通訳の仕事はいずれAIに奪われる」と聞かされているだけに、飛行の世界も同様なのか気になっていたのですね。

これに対し、次のようなお答えを頂きました。

「すでにドローン技術は十分そこまでできるようになっています。でも、ブルー・インパルスでアクロバット飛行をすると言うのは、単に自分たち隊員の満足だけでは意味が無いのです。人々に観て頂くことに意義があるのですね。」

私はこのことばにとても感銘を受けました。なぜならこれは通訳の世界と同じだからです。

通訳翻訳の世界でも、今や素晴らしいAI技術が台頭しています。「ヒト通訳者」とは異なり、単語の記憶は無限にできますし、誤訳をすることも無いでしょう。体調不良に陥ることもありません。最近は要人のテレビ記者会見の中継で、自動通訳機を用いて日本語文字起こしまでしている番組もあるのです。

確かに正確性や高度な技術力という意味では、ドローン飛行や自動通訳機の方が優れているでしょう。でも、それだけではない、というのが私の考えです。「なぜ人はブルー・インパルスのアクロバット飛行に魅了されるのか?」と問われれば、それは「私たちと同じ生身の人間が、今、この瞬間に曲技飛行をしているから」なのです。同時通訳も同じで、「自分たちと同じ人間が、神業とさえ言われる通訳をしているから」耳を傾けたくなるのです。

これは他の職業も同じです。優れた機械で自動生産された一品より、シェフやパティシエが作ってくれたメニューに私たちは惹かれます。素晴らしいマッサージ機よりも、温かい手で心を込めてほぐしてくれる施術士さんに感謝したくなります。

つまり、相手が「人間だから」私たちは感動し、感謝をしていくと私は思うのですね。

最近は「AIが人類滅亡を招く」という物騒な見出しもあります。ただ、私としては、AIそのものが私たちを追いやるのではなく、「感動する心を人類が手放したとき」に危機が訪れるのではないか、と感じます。

だからこそ、感動することの大切さを私は次世代に伝え続けたいと思っています。

(2024年4月23日)

【今週の一冊】

「マンホール:意匠があらわす日本の文化と歴史」石井英俊著、ミネルヴァ書房、2015年

街を歩きながら意識していることがあります。それは「珍しいモノ探し」。とりわけ注目しているのがマンホールのデザインです。よーく見るとその土地独自の意匠が描かれているのですね。たとえば東京都の場合、ソメイヨシノやイチョウがデザインされています。いずれも都のシンボルです。一方、鳥取県のマンホールは、伝統的な「しゃんしゃん祭」の傘。こうした伝統行事などもあり、実はマンホールウォッチングは旅先での楽しい発見なのです。

本書の著者・石井氏は東京都職員として水質管理の仕事に携わってこられました。伊勢市で偶然見かけたマンホールを機に、マンホールデザインにすっかり魅了されたのだそうです。以来、折りたたみ自転車で全国津々浦々マンホール探しの旅に出たとのこと。本書は石井氏が集めた全国各地のマンホールデザインが写真付きで掲載されています。しかも由来の詳しい解説付きです。

ちなみにさいたま市と言えば、やはりサッカー。マンホールの意匠はサッカーボールです。消火栓の絵柄にもサッカーが描かれているとのこと。一方、私のお気に入りは「謎解きクイズ」のようなマンホール。たとえば、アニメ聖地巡礼で一躍有名になった埼玉県鷲宮町のマンホールは「ワ」の字が4つで、真ん中に「宮」が描かれたデザインです。

歩きスマホで危ない思いをするよりも、自分の足元のマンホールを探してみる。これもまた楽しそうです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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