INTERPRETATION

第635回 耐える・伝える・去る

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

5月半ばから下旬にかけては私が一番好きな季節です。暑すぎず寒すぎず、しかも日の入りが遅いので、美しい夕焼けを眺めることもできます。爽やかな気候は、私の大好きなイギリスを思い起こさせます。

でも、人間というのは機械ではありませんので、たとえ環境が良好でも気分の不調に見舞われることはあります。特にGWが明けると次の国民の祝日は2か月半後の7月!よってこの時期に疲れがたまって体調を崩すケースも増えます。私の周囲からもそうした悩みの声が聞こえてくるのですね。

そこで今回は、私自身が取り入れている切り抜け方をご紹介します。少しでも参考になれば幸いです。

具体的な切り抜け方とは、 「耐える・伝える・去る」です。

 

日本ではよく「石の上にも3年」と言われますよね。たとえば仕事。仮に不本意な部署に配属されたとしても、とりあえず3年は頑張ってみよう、という考え方です。確かに一理あります。日本では昔から忍耐が美徳とされてきたからです。しかし、視点を海外に向けると「3年も同じ職?それよりステップアップが大事」という考え方も存在します。労働市場がとても流動的なのです。

よって私自身、もし今の状況に不満を覚えた場合、とりあえず自分なりの「期限」を定めて我慢してみます。そして時期が過ぎても改善されなければ、しかるべき相手(部門)に自分の希望や提言をしていきます。そこで改良されればラッキーです。でも、そうでなければ、そして、将来的にも改善の兆しが無さそうとあれば、迷いなくその場を「去る」ことを自分に赦しています。自分の人生には限りがあるからです。

具体例を書きます。若い頃、私は職場の配属先が希望部署ではありませんでした。そこで、期限を設けてその部署で働きつつ、希望職種への異動を願っていました。しかし、なかなか兆しが見られなかったので、一定期間が過ぎた後、上司や周囲に希望を伝えたのです。上司も非常に理解を示してくれたのですが、人員の問題もあり、異動は叶いませんでした。しばらく考える日々が続きましたが、次の目標が自分の中で生まれたこともあり、思い切って転職をしたのです。

以来、「耐える・伝える・去る」はあらゆることで私のキーワードになっています。

人間関係も同じです。不本意な人間関係で心を痛めるぐらいなら、自分なりに考えて動く方が、次のライフステージに進めると思うのですね。特に対人関係の場合、自分一人の問題にとどまりません。相手の人生もあります。たとえ当初は良き関係を築いていたとしても、お互いが別の方向を見始めてしまった場合、ややこしくなります。話し合いをしてお互いが理解し合い、双方にとっての良好な着地点が見いだせればベストです。それが思いやりです。しかし、それが叶わないなら、そこにしがみついていても幸せからかけ離れてしまうと思うのです。

執着から自由になることが自分を次のステージに導いてくれると私は考えます。「耐える・伝える・去る」ことは決して自分の敗北ではありません。一度しかない人生を有意義に生きる術だと思っています。

・・・あ、ちなみにこれは英語学習でも使えます。たとえばテキスト。まずはしばらく「耐えて」取り組んでみる。一定期間が過ぎたら、「通常のテキスト活用法」とは異なるやり方を自分なりに工夫して導入してみる(これが「相手への働きかけ=伝える」に相当します)、それでもうまく行かないなら、そのテキストから離れる(「去る」)、という具合です。

(2024年5月28日)

【今週の一冊】

「体はやせたがっている」マリアン・ウィリアムソン著、白川貴子翻訳、サンマーク出版、2011年

今回ご紹介する一冊は、たまたま大学図書館の書棚で見つけたもの。私は図書館の心理学系コーナーが好きで、よく眺めています。背表紙を見ているだけでも、「世の中には色々な悩みがあるのだなあ」「それを助けたいと思って、これだけ多くの著者が本を出して下さっているのよね」と励まされます。

さて、世の中にはおびただしい数のダイエット本があります。雑誌の世界でも、「ダイエット・片付け・英語学習」は3大ヒットテーマと言われているほどです。もっとも昨今は「英語学習」の代わりに「貯蓄」というイメージが私の中にはあります。自動翻訳が台頭したため、語学学習へのモチベーションが薄れたからなのでしょう。

本書の著者・マリアンさんは、出版のきっかけについて、アメリカの名司会者オプラ・ウィンフリーさんとの会話から生まれた、と述べています。オプラさんも長年、減量に苦しんだ経験があります。マリアンさんはダイエットを単なる運動や食生活改善だけではなく、心理面からのアプローチが必要と思い、それを本書でわかりやすく述べています。

その前提条件となっているのが本のタイトルの「やせたがっている」の部分。具体的には「健康でありたい」ということです。しかし、私たちは環境や人間関係、仕事などあらゆる外的要因からストレスを抱えて、それを消し去るために「食」で補ってしまうのですよね。

中でも印象的だったのが「自分の感情」との向き合い方について。マリアンさんは、自分の感情は食べ物と同じ、と述べます。つまり「よく噛んで味わう」ことが大事なのだと。心の中に苦しみや悲しみがあるなら、きちんと向き合うことが大切、と綴ります。

翻訳者・白川貴子氏の和文も実に読み易く、250ページ強の本もスラスラと読めます。体重に悩む人もそうでない人にも、自分の心と向き合う上で読んでいただきたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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